今回は、なぜかフランスの探偵と怪盗のスリーカードが揃ってしまった。とはいえ、キャラクターの創造者は順に、米、英、仏の作家なのだが。

■メルヴィル・ディヴィスン・ポースト『ムッシュウ・ジョンケルの事件簿』■


 ムッシュウ・ジョンケルは、パリ警視総監。ミステリ史にその名を残すアブナー伯父(アンクル・アブナー)物で知られるポーストは、『ランドルフ・メイスンと7つの罪』の主人公をはじめいくつものシリーズキャラクターをもっていた。なぜフランス人の警視総監を探偵に据えた連作を書いたのかは不明だが、その経歴には、幼い長男を失い弁護士の職を捨ててフランスをはじめヨーロッパを巡遊したとあるから、その体験を生かした連作ということになるのだろう。
『ムッシュウ・ジョンケルの事件簿』(1923)には、12編収録されているが、米国を舞台にしたものは、冒頭の一編のみ(といっても事件の現場はアフリカ)で、あとは、フランスを中心とするヨーロッパが舞台。当時の読者は、謎解きとともにそのエキゾティシズムを味わったと思しい。ジョンケルは、背が高く優雅な身なりの初老の男性。物語の最初から顔を出すときもあれば、意外な形で出番があったりと、融通無碍な登場をするし、現実の捜査に関わりすぎて、どうも警視総監らしくない。
 冒頭の「大暗号」は、いくつものアンソロジーに収録された短編だが、久しぶりに触れて改めて名作の思いを強くした。アフリカ探検隊の隊長が書き遺した手記の内容は常軌を逸していた。コンゴの森林で悪戦苦闘の果て、隊長は未知の生物が目の前に迫りつつあるという恐怖にとらわれる。やがて隊長は「頭が異様に大きく、外形は立方体に近いのに、なんの特徴もない」生物と遭遇する……。これではホラーではないかという謎がカミソリのような論理で裁ち切られる。幻想味と論理が融合した珠玉作。
 幻想味は、この短編集の一つのモチーフになっているようだ。「異郷のコーンフラワー」は、ニースのカーニバルの絢爛優雅な描写で夢幻的な雰囲気が漂う中、妖精のような少女との出逢い、貴族の結婚と死にまつわる伝奇的要素、ルーレット必勝法まで繰り出された後、意外な結末が待っている。ミステリとしての結構に膝を打ちつつ、喪失感さえ感じる稀有な作。
 この二編もそうだが、謎捜しとでもいうのか、解かれるべき問題はAと見せて実はBというような作品が多いのも特徴的だ。「霧のなかにて」は、ジョンケルが馬車の中の射殺事件の真相に迫るようにみせて実は別のことが目論まれている。「呪われたドア」「テラスの女」でも、登場人物の投げ込まれた状況に読者は惹き込まれ、真の問題には気づかない。「ブリュッヒャーの行進」は、戦火の中、フランスの小村に迫るプロイセン軍への内通者を探し出す話だが、ミスディレクションも手がかりの仕込みも魔術的なまでに巧妙だ。
「三角形の仮説」ではジョンケルの(怪)論理が冴える一編。「霧のなかにて」「鋼鉄の指を持つ男」同様、丁重ながら言葉と論理で相手をねじ伏せていくジョンケルの怖さがよく出ている。
 特に好みの三つを選ぶなら、「大暗号」「異郷のコーンフラワー」「ブリュッヒャーの行進」になろうか。後半の短編では、同一モチーフが繰り返される傾向が出てくるのが玉にキズといったところだが、とにかく事件発生→捜査といった定型を避け、シチュエーションを様々に変えながら、物語としての面白さを備えた意外性に富む推理譚をつくりあげる才は、同時期でも抜きん出ていたといえよう。本格ミステリ好きには、見逃してほしくない短編集。

■A.E.W.メイスン『ロードシップ・レーンの館』■


『ロードシップ・レーンの館』(1946)は、名作リストの常連『矢の家』(1924) の作家による長編。近年では、『被告側の証人』(1914)が紹介されたくらいで、我が国での名声も霞んでしまっている感もあるが、私立探偵ホームズという存在に対し、作家がパリ警視庁警部アノーという警察官名探偵を創造したことは忘れてはならない。
 本作は、アノー警部物の第5作にして最終作。アノーというキャラクターが『薔薇荘にて』(1910) で誕生して36年目、著者81歳の作になるわけで、多彩な作品を残したメイスンにしても、このフランス人の名警部には強い思い入れがあったと思われる。
 アノーは、大柄で、「フランスの喜劇役者」のような風貌。「サイのように不器用にみえるんだが、レイヨウのように動きはすばやい」。「なにもかも見てしまう静かな目」の持主だが、「突如として圧倒的な威光を感じさせ」もする。ポアロとの類似も指摘されるが、世に出たのはアノーのほうが先だ。本書では、何度も英語の慣用句を間違って周囲を困惑させるが、間違いを指摘されても「そう言いました」と開き直るところが繰り返しのギャグになっている。ワトソン役のリカードは悠々自適の身で探偵熱に取り憑かれた御仁。アノーを敬愛する一方、鼻を明かしたい気持ちももっている。なにやら茫洋としたアノーと一人やきもきするリカードの関係がおかしく、魅力の一つとなっている。
 本書の主な舞台は、アノー探偵譚にしては、珍しくイギリス。二次大戦前の話だ。
 黒い噂が絶えなかった国会議員ホーブリーが自殺したとの通報が舞い込む。たまたま休暇で渡英していたアノーが友人リカードとスコットランドヤードの捜査に加わると、現場には自殺を否定する痕跡が残っていて……。
 と、こう書くと普通の本格ミステリのようだが、本書の魅力は伝わらない。
 リカードがフランスはブルターニュで足止めをくっていると、旧知のアノーから突然ロンドンのリカード邸に泊まりたいとの電報。アノーより早くロンドンの自宅に帰るため、リカードは元軍人の小型帆船に同乗し英仏海峡を渡るが、嵐の中、波間に漂う男を救助する。男の足首には何年も肉に食い込んでいたかのような鉄の足枷の跡がついていた……。
 こんな伝奇ロマン的な挿話が冒頭に出てきて、ロードシップ・レーンの事件につながるのだから、一筋縄ではいかないミステリである。アノーの明察は途中で真相にたどりつくものの、謎解き小説としてみると、その推理の筋道は必ずしも明らかではなく、込み入った事件のすべては告白の手記で明らかにされるところがいかにも弱い。
 ただ、本書の構えはもっと大きなものだ。冒頭に出てくるベネズエラの独房に繋がれた復讐者、事件が膠着状態になると一転舞台がエジプトのカイロに移るダイナミックな展開、その地で繰り広げられる国家的陰謀、拉致事件解明のための航空機による捜索などなど、7度も映画化された大ロマン『サハラに舞う羽根』の作者ならではの復讐・冒険・陰謀・恋愛といった要素が全体に脈打っている。国会議員の自宅での謎の死という本格ミステリ的題材をロマンの糖衣でコーティングしたような作品なのだ。
 主要人物の目鼻立ちもくっきりしており、特に父権主義の塊であるような汽船会社の社長や、屈託を抱えた国会議員の妻、己の道を見出そうと苦悩する元大尉らは印象的で、国会議員の死という事件の伏流には、こうした人たちの織り成すドラマがある。
 本書に関しては、「偶然を多用した展開が、ストーリー全体の信憑性をそいでしまって」いる(塚田よしと『薔薇荘にて』解説)という評語がある。確かに、冒頭のシーンもそうだが、主要人物には偶然の出会いや繋がりが多く、作者はわざとやっているといわんばかり。
 本書の最終章のタイトルは「大団円」。すべてが関連づけられ、すべてが解明され、あるロマンスの先行きが暗示されて、デウス・エクス・マキナたるアノー警部は、得意の言い間違いを放って、晴れやかに去っていく。これは物語なのだ。これはロマンなのだ。偶然がなければ物語もないだろうと、81歳の老作家は片目をつぶってみせているようだ。

■ジャック・ドゥルワール『ルパンの世界』■

 ルパンの世界
 出版社:水声社
 作者: ジャック・ドゥルワール
 訳者:大友 徳明
 発売日:2018/04/24
  価格:3,240円(税込)

 フランスのミステリ・キャラクターといえば、この人を置いていないであろう、アルセーヌ・ルパン。本書は、怪盗ルパン物の長短編から様々な要素を抽出し、多角的・詳細にその小説世界の実像に迫った評論。著者は、フランスの大学で物理学を教えるかたわら、著者ルブランの伝記や「ルパン辞典」を上梓しているルパン研究の第一人者という。訳者は、ルパンシリーズを多く訳している大友徳明氏。
 ルパンの小説のガイドやルパン論を期待した読者は戸惑うかもしれない。本書は、ルパンの小説世界に登場する、歴史への偏愛にはじまって、恋人たち、家族、衣服、アクセサリー、武器、自動車、様々な職業、芝居と映画、動植物、体の動作や罵り言葉まで抽出、列挙してコメントしている本なのだ。ルパンの活躍した世界をカタログ的に再現あるいはデータベース化することに情熱が注がれている。その意味で、ルパン中級者以上向けの本といえなくはない。
 様々な事項をカタログ的に並べていくという本書の性質上、関心のない事項には、眼が滑っていく部分もないではないが、さすがにルパン研究の第一人者だけあって、示唆に富む知見も各所で披露されている。
 いくつか挙げると――

・ルパンは、間違いなくノルマンディーのコー地方出身(言葉に気を配らないときに出てくる方言にそれが現れている)。
・マルセル・オヴノという人の論文によれば、ルパンの盗みの利益と損失を計算すると損失のほうが大きい(驚きの指摘だが、著者のいうように生活費はどこから得ていたのだろうか)。
・短編「十二枚の株券」で元大臣とタイピストが同じ建物に住んでいるのはなぜか(1900年当時、住む地区で金持ちと貧しい人が区別されることはなく、二階は金持ち、六階以上は貧乏人というように同じ建物に住んでいた。エレベーターがなかったから)。
・ルパンは、ほぼ水しか飲まないし、美食にも関心を寄せていない(食事の献立が知らされるのは『813』一作しかない)。

 ――などなど。
 
 日本版の付録として、巻末に〈ルパンの足跡〉と題する年表とルパン物の長中短編戯曲全58編の梗概が付されているのも便利。溢れるようなルパン情報に触れて、何度も原典に当たり直したくなってしまう本である。
 ルパンの活躍した良き時代は、ほぼ第一次大戦前のベル・エポックと呼ばれる時代であることを著者は強調している。本書は、必然的にベル・エポックの時代相を浮かび上がらせる研究書にもなっている。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita




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