書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」、youtubeで毎月更新しております。よかったら試しに聴いてみてください。毎月末がだいたいの更新日ですので、こちらと同様ご愛顧くださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

霜月蒼

『インターンズ・ハンドブック』シェイン・クーン/高里ひろ訳

扶桑社ミステリー

 殺し屋の小説が好きなひとなら問答無用のマスト。プロの犯罪者の小説のファンも、皮肉なユーモアの愛好者も必読であるし、アクション小説好きは無論、青春小説の醍醐味まであるよ!という快作。「殺し屋組織を『定年退職』することになった歴戦の男が、若手のためのマニュアルとして『最後の仕事』を文章にまとめた」という体裁をとる。

 しかし主人公は渋い中年男ではない。なんと25歳の青年だ。この組織では殺し屋の定年が25歳なのだ。彼の殺しのキャリアと青春時代は一致していて、それゆえ初期タランティーノ式アクション・ノワールに青春小説の光輝が加わるのである。荒唐無稽ギリギリの設定を才気あふれるユーモアでつなぎとめ、酷薄な世界観と若者のナイーヴさを重ねあわせる。軽薄と真摯の絶妙なブレンドが見事な逸品です。是非。

 なお北上次郎氏がフライングしてるんじゃないかという気がするんですが、来月の対象作品であるカリン・スローターの新作『罪人のカルマ』。いま読んでる最中で、「女性を見舞う恐怖とその克服」の主題を切実に響かせて最高の読み心地。来月を待たれよ。

川出正樹

『影の子』デイヴィッド・ヤング/北野壽美枝訳

ハヤカワ・ミステリ

 いや、今月は悩ましかった。ロバート・ロプレスティの小味で小粋な短篇集『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』、巧みなカードさばきでじりじりと緊迫感を高めていくC・J・チューダーのサスペンス『白墨人形』、謎解き・法廷・警察捜査と様々なミステリの面白さを併せ持つデイヴィッド・グラン渾身のノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBI』。傑作が目白押しの中から、デイヴィッド・ヤング『影の子』を選んだのは、今もっとも関心のある冷戦時代の共産圏を舞台にしているためだ。

 一九七五年二月、東ベルリンの〈壁〉に隣接する墓地で顔面を損壊された少女の遺体が発見され、人民警察のカーリン中尉は、国家保安省(シュタージ)の中佐から、少女の身元を突き止めるとともに「東側に脱出しようとしたところを西側の警備兵に射殺された」という筋書きを裏付ける証拠を見つけるように、と命令される。万一矛盾する場合は、他言無用という釘を刺された上で。青少年労働施設への派遣から復帰後に人が変わってしまった夫との仲がぎくしゃくし、公私ともにトラブルの予感を覚えつつ捜査を進めるカーリンは、徐々に東ドイツの中枢に潜む暗部へと足を踏み入れてしまう。

 「この事件には秘密が多すぎる。嘘が多すぎる。なにを信じたものか、だれを信じたものかもわからない」と彼女が述懐するように、冷戦下の共産主義国家という特異な環境下の警察捜査小説として幕を開けた物語は、やがて諜報小説の色合いを強くしていく。その一方で謎解きミステリとしての興趣も盛り込まれた野心的で骨太なミステリだ。

 東ドイツの体制に肯定的な主人公という設定も面白い。彼女の信条が、次回作以降変化していくのか、という点も興味深く、ぜひとも続けて訳されて欲しいシリーズだ。一言だけ付け加えると、タイトルは原題通り“シュタージ・チャイルド”の方が良かったと思うぞ。

 

 

千街晶之

『白墨人形』C・J・チューダー/中谷友紀子一訳

文藝春秋

「スティーヴン・キング推薦なのに本当に面白い」と、既に巷で話題になっている小説だが、五月のベストというより年間ベスト候補なので、やはり推さないわけにはいかない。三十年前、仲間たちとともに不穏極まりない一夏を過ごした少年。そして現在、彼の周囲で過去の封印が解かれ、死の舞踏が再びスタートする。過去と現在のカットバックで構成されている……と言えばありがちに聞こえるかも知れないが、この作品の場合、読者の興味を牽引する情報提供の匙加減がとんでもなく上手い。戦慄と悲哀を織り交ぜ、カタストロフィを予感させながら無慈悲に進行してゆく物語からは、運命の歯車の廻る音さえ聞こえてきそうだ。トマス・H・クックや道尾秀介の最高水準の作品にも匹敵する、美しくも忌まわしい傑作である。

北上次郎

『罪人のカルマ』カリン・スローター/田辺千幸訳

ハーパーBOOKS

 ウィル・トレント・シリーズの最新作だが、今回もすごい。というよりも、前作と今作はこのシリーズの、ある意味でのピークといっていい。
 ウィルの上司アマンダと、ウィルの同僚フェイスの母親、ええと、名前は何だっけ。ま、いいや。この二人の女性は前作『血のペナルティ』で大活躍したが、60代半ば過ぎだというのにどうしてこんなにパワフルなのかととても不思議だった。その謎が今回解ける。
 今回は若き日の彼女たちが登場するのだ。性差別が激しい1970年代で、男社会の警察で、逞しく生きる彼女たちの姿が圧巻。
 60代半ば過ぎでもあんなにパワフルだったのには理由があったのである。ラストまで激しく動きまわるストーリーも素晴らしいし、どこまで行くんだカリン・スローター!

吉野仁

『白墨人形』C・J・チューダー/中谷友紀子一訳

文藝春秋

 

 仲間と過ごす幸福な日々を送っていた少年の日常が突然の事件に裂かれ、やがていくつもの悲劇が重なり大人になった現在まで重く引きずっていたところ、ふたたび甦える悪夢。なるほど「スティーヴン・キング強力推薦!」も納得の出来映えで堪能した。今月はすでにツイッターなどで評判があがっていた作品を後追いするかたちとなったものが多く、ロバート・ロプレスティ『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』もその一作。後味のいい短篇を愉しく読んだ。ハーラン・コーベン『偽りの銃弾』もさすがコーベンと言いたくなる「ひねり」の巧さ。そしてもう一冊、百頁ちょいの作品ながらジョナサン・エイムズ『ビューティフル・デイ』、話自体は元海兵隊の主人公による失踪娘の救出劇というよくあるものながら、その独特の世界観に惹きつけられた。あわてて映画化作品も見に行ったほどである。この作家のもうすこし長い小説を読んでみたい。

酒井貞道

『空の幻像』アン・クリーヴス/玉木亨訳
創元推理文庫

 今月は大豊作だった。こういう時は自分の好みを優先するのが一番だ。というわけでアン・クリーヴスの《ペレス警部》シリーズ第6弾である。このシリーズは毎回雰囲気がとてもよく、おなじみシェトランド諸島の美しくも若干荒涼とした景観が、登場人物の心理に絶妙な陰影を添える。クリーヴスは、登場人物が自分の人生に抱く深い感慨を描くことを、明らかに好んでいる。この創作志向と、島の雰囲気によりもたらされた心理的な影とは、相性抜群である。『空の幻像』もご多分に漏れない。今必ずしも幸せでない人々が、友人の結婚を祝いにやって来た、というシチュエーションからおもむろに始まる物語は、ペレス警部の境遇変化や、幽霊譚という新機軸も併せて、一層の深化を遂げている。読み応えは満点である。一方、真相は意外な所から球が飛んでくる。じっくり描かれる人間ドラマのイメージが先に立ちがちであるが、クリーヴスは、謎解きにおける意外性の演出や伏線配置も、かなり上手い。作家の腕前をぜひ味わっていただきたい。

杉江松恋

『花殺し月の殺人 インディアン連続殺人とFBIの誕生』デイヴィッド・グラン/倉田真木訳

早川書房

 これ、完全にノンフィクションで小説ではないのだが、ミステリー好きの人は間違いなく大興奮しながら読むはずなので挙げちゃうことにする。過去にはケイト・サマースケイル『最初の刑事』なんかも挙がったことがあると記憶しているし。ネイティヴ・アメリカンのオセージ族が20人以上が怪死を遂げるという犯罪史上稀に見る連続殺人事件を扱ったお話しなのですよ。

 事件が起きたのは1920年代のオクラホマである。合衆国から買い取った土地から石油が出たことにより、当時のオセージ族は世界で最も富裕な人々と言われるほどの財を蓄えていた。その彼らが次々に殺されていくのである。ある者は処刑スタイルで頭を撃ち抜かれ、またある者は一服をもられて衰弱死し、オセージの危機を看過できず声を挙げようとした白人の協力者はリンチ殺人に遭う。本書は三部構成になっており、第一部では事件の経緯が冷徹な筆致で綴られる。第二部で登場するのは発足したての捜査局、後の連邦捜査局FBIで、乗り込んできた捜査官が意外な真相を暴き出す。これが本当に第一部を読んだ後だと天地が引っくり返るほどに意外な犯人なのである。さらに、抵抗勢力がその犯人を支持したことにより、長い法廷闘争までがおまけにつく。

 もうこれで十分、おなか一杯です、と言いたくなるのだが、さらに第三部が残っている。事件解決から数十年後の現在、新たに発見された事実からFBIが到達した以外にもまだ解くべき謎が残っていたことを、作者のデイヴィッド・グラン自身の手で突き止める。ここで示唆される本当の真相は、足元にぽっかり穴ができて墜落していくような絶望感のあるものだ。この二重解決の素晴らしさたるや。謎解き小説が大好きな方であれば嵌まることは請け合いである。5月は本当に秀作が多く、『白墨人形』『影の子』の2作はお好きな方なら年間ベスト級に挙げるだろうし、病膏肓に入った犯罪小説ファンなら絶対に好きになる『インターンズ・ハンドブック』という怪作もあった。その中で本書をベストとしてお薦めしたい。

 スティーヴン・キング激賞作品が最も多くの支持を集めるという事態に。いや、本当にキング推薦だけどおもしろいのです。その他の作品もバラエティに富み、実りある月になりました。来月もどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧