過去にこの連載で、フランク・シナトラについて語ったことがある。ジョン・サンドロリーニの『愛しき女に最後の一杯を』を取り上げた回のこと(第31回 ワン・フォア・シナトラ)。その折に触れた彼の代表曲のひとつが、「ニューヨーク、ニューヨーク(Theme from New York, New York)」。
 そもそもは、1977年に公開されたライザ・ミネリ&ロバート・デ・ニーロ主演映画のタイトル曲で、オリジナルはミネリ本人の歌唱によるものだったのだけれど、彼女と親しいシナトラが翌年カヴァーしたところ大ヒット。いまやニューヨークを象徴する歌として“非公式な市歌”と称されているそうな。
 そんなわけで、ニューヨークと言って思わず口ずさんでしまう歌といえば、この「ニューヨーク、ニューヨーク」か、はたまたビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い(New York State of Mind)」と相場が決まっている。いや、アメリカを想起させる代表的なスタンダード・ナンバーだと言ってもいいか。
 


 本邦初紹介となるイギリス人作家スティーヴ・ロビンソンの『或る家の秘密In the Blood)』(2011年)には、イギリスを訪れたアメリカ人が、この「ニューヨーク、ニューヨーク」をめぐって英国人のタクシー運転手と交わす珍妙なやりとりが、なんとも言えず印象的なシーンがある。
 家系調査士というユニークな職業を生業とするジェファーソン・テイト(JT)初登場となるデビュー作で、彼を主人公とするこのシリーズ、最新作『Letters from Dead』(2018年)ですでに7作を数えるほどの人気を獲得しているという。
 
 作中、調査のためにロンドンのヒースロー空港に到着しタクシーに乗り込んだ主人公テイトに話しかけてきた運転手は、ニューヨークという地名を耳にするや“ニューヨーク、ニューヨーク”というのは“いいところだから二度おなじ名前をつけたんですよね”と得意げに語る。これがシナトラでおなじみの歌のひとふしだとしたら、ご存じのように、実際には、シャーウッド・アンダースンの『ワインズバーグ、オハイオWinesburg, Ohio)』(1959年)と同様、ニューヨーク州ニューヨークという意味なわけだけど。呆れたのか適当に生返事で受け流す主人公に対して、運転手はさらに、前述のシナトラの“非公式な市歌”ではない、ほぼ同名異曲の「ニューヨーク・ニューヨーク」を口ずさみだす――というもの。
 タクシー運転手が音痴な鼻歌で披露したのは、1978年(シナトラのそれと同年)に発表された“ジェラルド・ケニーのディスコ・ナンバー”のほう。
 ジェラード・ケニーは、無名時代にビリー・ジョエルとバンドを組んでいたこともあるというシンガー&ソングライターで、ビリーと同じくピアノ弾き。主人公テイト同様に“英国に渡った米国人”だ。渡英直後にニューヨークへのノスタルジックな想いをこめて書いたのが、「ニューヨーク、ニューヨーク(New York, New York〔So Good They Named It Twice〕)」。このポップ・チューン(ディスコ・ナンバーとは思えないけど)は、シナトラの(ほぼ)同名曲に気圧されながらも、英国ではある程度の評判を得たようで、007シリーズの主題歌で知られ大英帝国勲章まで授かっている人気歌手シャーリー・バッシーにいたっては、アルバム『オール・バイ・マイセルフ(All By Myself)』(1982年)に「ニューヨーク、ニューヨーク・メドレー(New York, New York Medley)」を収録。シナトラとケニー、両方の「ニューヨーク、ニューヨーク」を掛け合わせて録音していたりする。
 つまりは、英国人の運転手にしてみれば、けっして間違えているわけではなく、シナトラではないケニーの歌なのだから“いいところだから二度おなじ名前をつけた”というのも正しいのだけれど、アメリカ人のテイトからしたら、勘違いのかたまりに思えたというわけ。そんなアメリカ人とイギリス人の文化的すれ違いの可笑しみが、この短いエピソードのなかにふんだんに描かれているのでありました。
 ジェラード・ケニーはその後、1980年発表のアルバム『リヴィング・オン・ミュージック(Living On Music)』に収録された珠玉のバラード「ファンタジー(Fantasy)」がシングルとして売れて、英国のヒット・チャート入りを果たした。
 その後もスタンダード・ナンバーを中心にシンガーとしての活動を続けてるんだけど、第2のビリー・ジョエルというほどの出世が待っているというわけにはいかなかったようだ。
 ちなみに、ジェラードの実兄マイケルもシンガー&ソングライターで1983年にはアルバム『マイケル・ケニー(Michael Kenny)』を発表している。
 
 さてさて、『或る家の秘密』に話を戻すとしましょう。
 物語はそんな軽妙なシーンからは想像できないほどに、重層的かつ複雑に構成されていて、サスペンスにも充ちた内容なのでありました。
 ボストン在住の富豪から妻の家系調査を依頼され、数百年前にイギリスに渡った王党派の一族との関わりを調べていたテイト(JT)は、6名もの家族全員の記録が失われていることを知る。依頼人からの命を受けて、飛行機恐怖症(テロマーヘイノフォビア)をおしてロンドンへと向かったところ、一族の周辺には不可解な失踪や死亡事故が多発していた。何者かが歴史のなかからその家族の記録を抹消しようとしていたのだ。当然のことながら、真相を探るJTの身にもさまざまな妨害や脅迫が……。
 何百年の昔まで遡る家系のお話なもんだから、少々説明が面倒になるのだけれど、頑張って説明してみたいと思う。 

 物語の発端は、1783年。フェアボーン家の当主ジェイムズが、妻エレノア、長女キャサリン、次女ローラ、末っ子のジョージ、それに妹クララとその夫ジェイコブの6名とともに、家財すべてを積み込んだ帆船ベッツィー・ロス号に乗り込み、ボストン港から新生活の場であるイギリスへと向かった。JTの調査によると、家族はコーンウォール州に行きついたと思われジェイムズの所在は確認できたのだが、他の6名の行方がいっさい記録に残っていなかった。というのも、ジェイムズはその後、スーザンという女性との間にロウェナとアランという姉弟をもうけていたが、エレノアとの離婚もしくは死別の記録すらなく、6名はただ歴史のなかから忽然と消えてしまっていたのだった。
 
 時は流れて1803年。成長したロウェナは父ジェイムズが何か重大な秘密を抱えていることに気づいていた。しかも恋人モーガンの子供を身籠っていたが、関係を両親に反対され仲を裂かれ、生まれくる子はどこかへ連れ去られる。さらにはモーガンも何者かの手により殺害されてしまう。
 
 そして現代。ヘルフォード岬で渡船会社を経営するエイミーは、家のなかに昔の密輸業者がつくった隠し部屋があることを発見する。そこにはトランクがひとつだけ置かれていて、その中に精巧な細工の文箱が隠されていた。エイミーには失踪中のゲイブリエルという夫がいて、おそらくその文箱は彼がそこに隠したものと思われた。なかには、ロウェナが書きのこした手紙とハート型の縫い物がしまわれていた。かつてその家に住んでいた人物のことを調べることを決意したエイミーは、地元の農夫が書いた詩がきっかけとなってロウェナの恋人を殺害した犯人に行きつく。
 
 一方、調査のためにデボン州ダートムアへと向かったJTは、スーザンの子孫にあたる女性からロウェナの悲恋の物語を伝え聞き、恋人モーガンの殺害事件を探るために、絞首刑になった犯人が拘置されていたボドミン監獄の博物館を訪れ、そこで偶然エイミーと出会う。共通の目的をもつ二人は協力し合い調査を続行するのだが、何者かの魔の手が彼らに迫っていた……。

 とまあ、複雑に絡み合った糸を丁寧に解きほぐしていくかのような展開。そこに、隠された歴史を白日の下にさらすことにつながる、重要な役割を担った小道具が登場してくる。歴史の中に埋もれた悲劇に見舞われる間際、キャサリンが記した手紙が隠された文箱。文箱は幼少時のロウェナに譲られ、それが時を経てエイミーのもとに渡って、さらなる悲劇の導火線に火をつけてしまうことになるのだ。

 一族の存続にかかわる歴史の大きな謎。宝のように奪い合われる秘密の文箱。そして手に汗握るサスペンス。本格ミステリーと冒険サスペンスと歴史ロマンのエッセンスを一度に味わえる面白さ。一読、アーロン・エルキンズのエドガー賞長編賞受賞作『古い骨(Old Bones)』(1987年)と出会ったときにも似た興奮が体中を駆けめぐった。
 思えば、エルキンズのシリーズ・キャラクターであるギデオン・オリヴァー教授か、はたまた、デイヴィッド・ハンドラーのやはりエドガー賞受賞作(最優秀ペイパーバック部門)『フィッツジェラルドをめざした男(The Man Who Would Be F. Scott Fitzgerald)』(1991年)の作家ホーギーなんかを思わせる、物腰柔らかで軽やかな感覚をJTはまとっているように感じられる。
 
 シリーズは、生粋のアメリカンであるJTが、家系調査のためイギリスをはじめ各国へと渡って事件と遭遇する形式。飛行機恐怖症にもかかわらず、だ。異国の地で“クローゼットの中の骸骨(家族の秘密)”を手探りで見つけようともがくJTにとって、「ニューヨーク、ニューヨーク」は、母国アメリカを思う心の拠り所となる音楽として、シリーズの冒頭に登場するにはぴったりのBGMだったかもしれない(作者は生粋の英国人だけれど)。次作以降の紹介も期待したい注目のシリーズといえるだろう。

 じつは1944年のミュージカルで1949年には映画化もされている『踊る大紐育(On the Town)』のために書かれた、レナード・バーンスタイン作曲、ベティ・コムデン&アドルフ、・グリーン作詞の「ニューヨーク、ニューヨーク(New York, New York)」という歌もあって、ぜひともこちらも一聴していただきたい。メル・トーメがニューヨークの街をテーマに作り上げた名盤『ソングス・オブ・ニューヨーク(Songs of New York)』(1962年)でも、聴くことができる名曲であります。
 
◆YouTube音源
“ニューヨーク、ニューヨーク(New York, New York)” by Frank Sinatra

*フランク・シナトラ、1978年のヒット曲にして後期の代表的ナンバー。アルバム『トリロジー(Trilogy: Past, Present & Future)』(1980年)に収録された。

“ニューヨーク、ニューヨーク(New York, New York)” by Gerard Kenny

*1978年リリース、ジェラード・ケニーのヒット曲だが、作中でディスコ・ナンバーと記されているわりに、実際にはこのようなポップ・チューン。それでも英国のTV番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」でのライヴ風景がディスコティーク風だったので、こちらの動画をご覧いただこう。

“ニューヨーク、ニューヨーク・メドレー(New York, New York Medley)” by Shirley Bassey

*1979年のTVバラエティ・ショーからの映像。シナトラ版にケニー版の「ニューヨーク・ニューヨーク」を挟み込んだアレンジで、シャーリー・バッシーのライヴでは十八番のナンバーとなった。
 
“ニューヨーク、ニューヨーク(New York, New York)” by Frank Sinatra, Gene Kelly & Jules Munshin

*こちらは映画『踊る大紐育』(1949年)より。レナード・バーンスタイン作曲の「ニューヨーク、ニューヨーク」。
 
◆関連CD
『トリロジー~過去、現在そして未来~(Trilogy: Past, Present & Future)』フランク・シナトラ

*1980年に、3枚組レコードとして発表された大作アルバム。ビリー・ジョエルの「素顔のままで(Just the Way Your Are)などのニュー・スタンダードを、シナトラ流の解釈で圧巻の仕上がりを見せた名盤。
 
『オール・バイ・マイセルフ(All By Myself)』シャーリー・バッシー
*「ニューヨーク、ニューヨーク・メドレー」を収録した1982年のアルバム。「ニューヨークの想い」やレオン・ラッセルの「マスカレード(This Masquerade)」など名曲のカヴァー集。
 
『メイド・イット・スルー・ザ・レイン(Made It through the Rain)』ジェラード・ケニー
*件の「ニューヨーク、ニューヨーク」収録のデビュー・アルバム(1979年)。タイトル曲は、バリー・マニロウのカヴァーで全米10位の大ヒットとなった。
 
『リヴィング・オン・ミュージック(Living On Music)』ジェラード・ケニー*1980年発表のセカンド・アルバム。英国チャート34位を記録したスマッシュ・ヒット「ファンタジー」収録。
 
『ソングス・オブ・ニューヨーク(Songs of New York)』メル・トーメ
*ニューヨークに関わりのある歌を集めた1962年のコンセプト・アルバム。「ニューヨーク、ニューヨーク」のほか、トーメの十八番である「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)など全13曲。
 
◆関連DVD
『ニューヨーク・ニューヨーク(New York, New York)』
*ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ主演による、1977年のアメリカ映画。サックス奏者と歌手との恋愛を描いた。主題歌「ニューヨーク、ニューヨーク」はシナトラにカヴァーされて大ヒット。
 
『踊る大紐育(On the Town)』
*ジーン・ケリー、フランク・シナトラ主演による、人気ミュージカルの映画化作品。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。







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