みなさんこんばんは。第14回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。
 
 雨の続いた日々がひと段落、ようやく夏に……と初夏の気分を味わう間もなく全力で照り付ける太陽の季節の到来ですね。強烈な日差しと暑さの中なんとかめげず出かけるだけでもうぐったり……そんな真夏日には映画でも多少なりとも涼を取りたくなるものですよね! キンキンにクーラーで冷やした部屋で身体を冷やすのみならず、さらに「心が涼しくなる」ことを求めホラー映画を観たくなる方も多くいらっしゃる季節なのではないかなと思っております(というか私がそうです)が、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 
 というわけで、今月は心底「ぎょっとする」ホラーのご案内。今最もホラージャンルにおける安定した評価を得ている監督のひとり、マイク・フラナガン監督の『オキュラス/怨霊鏡』です。
 

■『オキュラス/怨霊鏡』(OCULUS) [2013.米]


あらすじ:かつて父が母を殺害するという悲劇の現場となった自宅から救出されたケイリーとティムの姉弟。しかしそのとき父を殺害した容疑でティムは精神病院に送られていた。それから11年。ようやく病院を退院したティムに、ケイリーは悲劇の本当の原因を私たちは突き止め、終わらせなくてはならない、と告げる。ケイリーはあのとき、あの家にあったいわくつきの鏡が事件を起こしたことを証明し、破壊しようとしていた。あの鏡がある場所ではいつも悲劇が起きている、私たちもその犠牲者だったのだ、そのためには鏡が何をさせるのかを記録しなくては。ビデオカメラを設置し、再び鏡を取り付け、実験を始めたとき、2人の過去の記憶も呼び覚まされていく……

 呪いの●●VS人間、というホラー定番の題材で何がそんなに私をぎょっとさせたか? それはこの〈呪いの鏡〉が「その中に何かを見た者が死ぬ/殺す」というような単純な呪いをかけるものではなく、高純度のサディスティックな悪意そのものとして表現されていること、そしてこの「不条理に巨大な悪意を前にした者たちのなすすべのなさ」の絶望感があまりにも深かったからなのです。繰り返されてきた過去の惨劇においても、その因果を解明しようとするかつての犠牲者のこどもたちが追い込まれる事態においても、とにかくこの悪意には容赦がない。最前列の観客として彼らを弄んで心を破壊し、悲劇を楽しむ呪いの鏡に「何故そうするのか」の理由は全くなく「どうしたらやめてくれるのか」という解決策もない。ただひたすらに人間の感情の無力を嘲笑う究極の悪意として存在している存在が敵、という不条理がじわじわと観ている側の心を冷やしていく。この「鏡=純粋な悪意という概念の視覚化で、それが存在理由」という点さえ前提として納得できれば、きっとこのホラーの悪夢性を楽しむことができるのではないかと思います。
 
 ちなみにこの鏡、見た目は普通の飾り鏡で、特に何か喋ったりするわけでもありませんし、自分の力で動くこともありません(これが唯一のウィークポイント)。ただ、この鏡はその家の時空を歪ませ、幻影を見せるのです。主人公たちの現実は幻に浸食され、幻かと思ったものは現実に存在するもので、その「認知を誤らせる力」に自分でも気づかない間に動かされている……という時点でめちゃくちゃ厄介な敵であるこの鏡は、しかも主人公たちが仕掛けた電子機器もだまし討ちの手段に使いまくってくるというデジタルにやたらと強い呪物……! と書くとシュールなのですが、実際に見るとこれがなんとも恐ろしい。
 
 容赦のない悪意によって作られる幻覚と現実は完全に見分けがつかないものであり、彼らが囚われ続ける過去の惨劇の記憶と現在進行形の苦しみはめまぐるしく入り乱れ続けます。底知れない悪意という瘴気にあてられ動けば動くほどに昏睡させられていく主人公姉弟。その現実と非現実、現在と過去の境界線はどんどん曖昧になり、「本当のこと」はわからなくなっていく。現在の現実/現在の幻影/過去の現実/過去の幻影のシームレスな入れ替わりのなかで、観客も時空の混乱を「体感」することになります。「自分たちがいるのがもうどこなのかわからない」という絶望に姉弟が飲み込まれていくさまを見せる流麗な語り口がなんとも恐ろしく蠱惑的!
 
 皮膚感覚に訴える暴力表現の不快感、神経を突き刺すような痛覚の表現も恐ろしく、過去に起きた惨劇での剥がされた爪と歯、名前がぎっしり書かれたノートや謎の影の見せ方も胆冷え効果抜群。少女期のケイリーを演じた赤毛に薄い眉、白い肌に離れ気味の鋭い目をしたアナリース・バッソの「ホラー映画の少女」としての完璧な佇まいも素晴らしく、凶暴化したパパと壊れて壊されたママの悲劇に怯えながら、せめて弟だけは守ろうとする健気さはどこまでも切ない……
 
 悲劇的な過去を背負った主人公たちの雪辱戦たるこの鏡との再会、永遠に思えるような一夜の戦いの行方がどうなるのか……その結末もさることながら「境界」の消滅で幻惑する語りを楽しむ真夏の夜のホラーとして、気になる方は是非お試しを。
 


■よろしければ、こちらも/『サイレンス』



https://www.netflix.com/title/80091879
 同じくマイク・フラナガン監督作品の『サイレンス』(劇場未公開、Netflix配信のみ)も「悪意がきた!」系スリラーとして上質な一品。森の中の一軒家で殺人鬼に侵入され、通信手段を絶たれた耳の聞こえない女性作家が必死で助けを求め、家から逃げようとするもどんどん退路を断たれ……というこちらも、「筋だけきけばごく普通のホラーでは……?」と思われる密室バトルなのですが、これまた最後まで全く気が抜けない!やはりここでも殺人鬼が何者なのかはよくわからず、悪意が人の形をして現れたような存在で、「殺すこと」が目的でなく「絶望させたい」という意思で彼女を弄んでくるのですが……脱出のための悪戦苦闘に加え、Wi-Fiをめぐる攻防戦が重要になる現代性、視覚情報と聴覚情報の違い、ヒロインが作家であることを活かした展開(今作でも現実と幻視の境目が曖昧になるという表現が効果的に使われています)と80分程度のランタイムの中にぎゅっと詰まったサスペンス要素が盛りだくさん。怖くて楽しい一品です。
 
 ちなみにマイク・フラナガンは『ジェラルドのゲーム』(こちらもNetflixで見られます)を映像化しており、2020年公開予定で製作進行中の『ドクター・スリープ』でも監督を務める予定、そして本人も以前からスティーヴン・キング作品の熱狂的ファンであることを公言している人なのですが、『オキュラス/怨霊鏡』には『シャイニング』の要素が入っていたり、『サイレンス』では主人公宅の本の1冊として『ミスター・メルセデス』が映っていたりと端々にキング愛が見えるのでそのあたりをチェックしてみても面白いのではないでしょうか。
 


■よろしければ、こちらも2/『むずかしい年ごろ』


 キングで思い出しました!解説によると「ロシアのスティーヴン・キング」と呼ばれることもあるというアンナ・スタロビネツ『むずかしい年ごろ』も「何がなんだかわからないけど背中が冷えてくる」感覚を覚えた奇妙な味のホラーSF中・短編集で、ひんやりした気持ちになりたい方におすすめしたい作品です。どの話も「わたしがわたしでなくなる」「わたしの知っている誰かは本当に誰かなのか」「そもそもわたしは誰かを本当に知っているのか」「いやむしろそもそも彼(女)は彼(女)だったことが、わたしはわたしだったことがあるのか」という実存不安が不条理劇的な要素をもって語られています。例えば表題作『むずかしい年ごろ』は双子の兄妹を育てるシングルマザーの話なのですが、思春期になるにつれ得体のしれない存在になっていく兄の変化に感じる母と妹の不安、「むずかしい年ごろだから」と思っている間に大変なことが……という「大変」の方向の捩れ方がかなり衝撃的で、生理的にぎょっとさせる感覚はちょっと凄いものが。非日常へとつながる日常の裂け目はいつ、どこで現れるか誰にもわからない……!
 
 夏の夜のお楽しみとしてぞっとするような映画や本で涼を取ったはいいものの、今度は恐怖や興奮で眠れない……ということになるならば、それはそれできっと楽しい夏の思い出に。それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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