先日、中国ミステリ小説家の孫沁文(鶏丁)の新作『凛冬之棺』のレビューをTwitterにアップしたところ、密室ミステリという点が日本人に受けたのか、そこそこリツイートされました。その際に大山誠一郎先生が「読みたくてたまりません。」というコメントをしたことが、この本を出版した新星出版社の目に留まり、微博(マイクロブログ)で取り上げられました。


 つい最近、新星出版社のミステリ小説、陸秋槎『元年春之祭』の日本語訳が早川書房から出たばかりです。この本の売り上げが良ければ、同出版社が日本市場に更に積極的になると思うので、このようにTwitterなどで日本人の反応を見て、評判の良さそうな中国ミステリをより優先的に和訳出版するような流れが見られることを期待しています。
 
 最近私が驚いたところでは中国のサスペンス小説家・那多が新刊を出したことです。この那多、中国でも有名な小説家なのですが、5年以上長編をほとんど書いておらず、しかも私の記憶によれば超常現象的な描写が多いホラー寄りの作風が売りでした。ところが最近出た長編『十九年間謀殺小叙(19年間の殺人の物語)』が中国のミステリクラスタから好評を得ており、作家本人の知名度と相まって話題作になっています。
 買って読んでみたかったのですが、人気のせいかアマゾンで在庫切れ。しかも那多は現在、この本のための中国サイン会ツアーを巡業中ということで、これは間違いなく近い内に映像化されることでしょう。
 
 聞くところによると、那多は2012年から作風を一新して、論理的な推理で人間性を磨き上げて成長したとか。そして本書は8年の歳月を費やして書かれたものと言われているので、要するに2012年から今年までほぼこれ一本を書くことに集中していたようです。SFやホラーなど多ジャンルを書いていた作家がついに方向性を定めたのかは分かりませんが、那多の参加によって年々確実に存在感を増している中国ミステリがよりサスペンス寄りに偏る気がします。
 
 今回でこのコラムも50回を迎えましたが、この連載を始めた4年前の2014年と比べて中国ミステリの発展具合を見てみると、作家・読者ともに自信が増したなという印象です。これにはもちろん中国ミステリ自体の知名度や水準の向上が深く関係していて、中国国内で評価を受けた作品が増えたことで、国外進出に目を向けることが多くなりました。いかんせんまだ内部から「中国ミステリはもっと頑張らなければならない」という声は聞こえます。
例えば、ここでもよく取り上げる呼延雲は9月の新刊サイン会で「欧米の舶来の文芸(ミステリ小説)に『中国の芯』を埋め込む」と言っていました。中国ミステリ業界は以前から「本土化(中国化)」を叫んでおりましたが、小説の刊行の他、それを原作にしたドラマや映画の製作が増えていき、業界が盛り上がっている様子を見ると、「本土化」へ向けた具体的な道が見えてきたようです。
 中国ミステリの国外進出は、日本を例に取ると最近では上でも挙げた『元年春之祭』がなかなかの好評のようで、出版社である早川書房から第2、第3の中国ミステリの翻訳出版も期待できそうです。アメリカでは周浩暉のサスペンス小説『暗黒者』の英語版が6月に刊行されました。中国ではすでにドラマ化された本作ですが、噂によるとアメリカ版のドラマが制作されるかもしれないということ。2016年出版の、歴史ミステリの『元年春之祭』と2008年出版の、現代中国の警察小説『暗黒者』がともに海外進出した事実は、中国ミステリの歴史と層の厚さを物語っているようです。
 
 一方で『凛冬之棺』のように中国要素が薄く、密室トリックに重きを置いた作品を読みたいという声が上がる日本はアメリカや他国とは別の展開が期待できそうです。中国文化を濃厚に描いた「本土化」した中国ミステリが日本で出版されるのはもちろん歓迎していますが、孫沁文(鶏丁)のように今までずっと密室トリックを書き続け、仲間内では「密室の王」や「中国のカー」と呼ばれるトリック重視の作家に海外からスポットが当たることになるのも、中国ミステリの海外進出のまた一つのあり方でしょう。
 現在、中国で翻訳出版されている日本ミステリの数に比べると日本に入ってくる中国ミステリなどまだ微々たるものです。別にそれに追いつく必要はないのですが、もう少し日本語に出版される数を増やすためには視野を広げる必要があり、それは日本ではなく中国側の出版社の働きかけにかかっている部分が多いです。今後、今回の大山誠一郎先生のツイートのような微かなシグナルであっても、作品が売れそうなきっかけを見つければすぐに日本にオススメするような構造ができることを期待しています。

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)

現代華文推理系列 第二集●
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