頭痛や腹痛などで病院に行った時、「いちばん痛い時を最大として、今の痛みは10段階でいうとどのくらい?」などと聞かれたことのある人はかなりいらっしゃるでしょう。病院では、頭痛や腹痛に限らず、痛みを伴うさまざまな疾患や怪我において、この質問をされることがたびたびあります。もちろん私も聞かれた経験はありますし逆に尋ねることもありますが、実はそのたびに躊躇するんです。痛みをぐっと堪えているような時、その痛みの度合いを他人事のように冷静に判断するなんて、少なくとも私には無理ですから。それに仮に今日、10のうち「5」と答えても、今日の「5」と先週の「5」が同じかどうかなんて誰にもわからないじゃないか、と思っちゃうんですね。だったらその問いに答えることにどれだけの意味があるんだと。これほど人をいらつかせる質問もないんじゃないか? などと考えてしまいます。

 タイラー・ディルツ『ペインスケール ロングビーチ市警殺人課』(安達眞弓訳 創元推理文庫)は、殺人課刑事のダニー・ベケットを主人公とする警察小説です。その冒頭、ダニーは疼痛の専門医にこの質問を受けるのですが、彼はまともに答えようとせず、この医師に向かって、自分の身分を知っているかと逆に問いかけます。「警察官でしたか」という返答を「殺人課の刑事です」と訂正しつつ、ダニーはこんなことを考えます。

「痛みなど、これまでの体験を語れば通じるのだ」
「痛みをリアルに感じるのは現場をこの目で見ているからだ」
「夫に離婚を切り出した末に命を奪われた妻」
「おやすみなさいを言ってからお水をちょうだいと起きて、溶接工の父親にトーチで火刑に処された六歳の坊や」
「老齢年金の小切手を渡さなかったせいで、シャブ中の孫に手足をバラバラにされた高齢のご婦人」
「彼らが想像を絶するほどの苦痛を自分ひとりで背負った事件を、こっちは山ほど扱ってきたんだ」
「わたしはあんたを号泣させるほどの痛みにまで思いがおよぶんだ」

 医師にぶつけてやりたいそんな本音を抑えながら、「8です」と答えるダニー。痛みというものを単なる感覚としてではなく、感情の問題として捉えているようにも見えます。本作は、ある殺人事件を通して、体だけでなく心にまで訴えかけてくるこの「痛み」に対して、ダニーがどのようにして向き合っていくのかを描いた作品といえるでしょう。

 ロングビーチ市の高級住宅街で発生した殺人事件。主人公ダニーは、冒頭の疼痛治療のシーンの直後、パートナーのジェンから電話でそれを知らされます。前の事件で左腕に負った怪我の療養から明けて、1年ぶりに復帰することになったダニーが目にしたのは、下院議員の息子の妻と子供たち二人、あわせて三人の惨殺死体でした。誰が、いったいどのような理由で妻をなぶり殺しにしたのか、しかも二人の子供まで道連れにして。現場の様子を見て、さまざまな可能性を描き始めるダニーの左腕には、痛みがしつこいくらいに絡みついてきます。

 本作は、ロングビーチ市警殺人課を舞台とする警察小説の第二作に当たるのですが、前作である『悪い夢さえ見なければ』(安達眞弓訳 創元推理文庫)と比べると遙かにおもしろくなっていて、まだシリーズに手を着けてない方はこちらから読んでもいいんじゃないかと思うほどです。前作も本作も、事件の発生から捜査の過程、そして解決までを丹念に描くという警察小説の手法を実直になぞっていくわけですが、本作は章ごとに物語の起伏が多く、また捜査の展開にもかなり捻りが加えてあり、前作を上回るボリュームながら、飽きさせず一気に読ませる力を持っています。
 また、市警の面々を群像的に描くという側面もあり、主人公ダニーをはじめ、パートナーのジェン、コンピュータに詳しいパットなど、前作に比べてそれぞれをより掘り下げた描写があり、それは事件と無関係な部分にまで及びます。こういった手法は、マルティン・ベックシリーズにも通じるものがあり、著者は、そのことを念頭に置きながらシリーズを手がけているのかもしれません。

 そして本作のテーマである「痛み」。事件を通して、被害者の痛みと左腕の疼痛を重ね合わせることで、自らの過去(妻を事故で失った過去を持っている)と向き合い、それでも前に進もうとするダニーの姿を、本作ではより深めていきます。語り手である彼を通して事件を見、それに応じて変化していく彼の内面を知れば知るほど、彼に寄り添いながらその生き様を見届けたいという気持ちにさせられます。

「ペインスケール」とは、痛みを疑似的に定量化するための架空のものさしです。私たちにとってはただのものさしかもしれませんが、ダニーにとって「今日の痛みは10のうちどの辺ですか?」という問いは、痛みの感覚だけでなく、彼の感情をも推し量るものさしなのかもしれません。

 現在、シリーズは4作目まで出ているようです。ダニーとロングビーチ市警の面々が、次回はどんな活躍を見せてくれるのか、期待して待ちたいと思います。

 なお、前作『悪い夢さえ見なければ』は、第6回読者賞で1票を投じていただきました。こちらはシリーズ一作目ということもあり、顔見せ的な要素も含んでいますが、ダニーの左腕の疼痛を作るきっかけとなった事件が描かれていますので、お読みでなければこちらもぜひ。この『ペインスケール』もまた、読者賞で票をいただけることを願っています。第7回読者賞は、今年1月から12月に刊行された翻訳ミステリーが投票の対象です。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。