Ceux de la soif, 1938(1935/2-3執筆)[原題:渇いている者たち]
・≪ Le Soir ≫ 1936/12/12-1937/1/1号
Tout Simenon T20, 2003* Les romans durs 1937-1938 T3, 2012 <strong>Romans du monde T2, 2010
Le drame mysterieux des iles Galapagos, ≪ Paris-Soir ≫ 1935/2/6-12号(全7回)[ガラパゴス諸島の謎のドラマ]
・同名, Les Amis de Georges Simenon, 1991/5/24* 研究同人誌、300部
Mes apprentissages: Reportage 1931-1946, Omnibus, 2001

 ふたりの男のうちどちらが早くこの場所に着いたのだろう? そしてなぜ周囲のどこかではなくこの場所だったのか? 何も言えることはなかった。あるいはむしろ、ここであったのは周りより藪が薄く、その土地を前にして、他ではなくここで立ち止まらなければならないと感じられたからだった。
 ふたりの男は互いがそこにいることを知らないまま、同じ方角を見つめていた。水平線へと沈む太陽に、スクーナー船の帆が引っかかろうとしているかに見えた。そして眠り人を起こすような、あるいは獣が伸びをするかのような震えがあり、ふたりの男は同時に海を見つめるのをやめて、振り向いた。
 彼らは顔を合わせたことに驚きはしなかった。だがふたりのうち、より灰色の髭を生やし、それでも外見の違いのある男が口ごもった。
「教授……」
 山羊鬚を生やしたもう一方の男は沈黙で応えた。それだけだ! 彼らは会うたびにいつも同じだった。
 フランツ・ミュラー博士がこの島は彼のものだと主張していたのは事実だ。ベルリン出身の彼は、ガラパゴス諸島のもっとも人のいない島で暮らすという考えを持っていた。そして誰が日一日とその裸足でゆっくりと、海まですでに見えるようになったその道で、足跡を残していったのか? 誰が、そこで休んだ誰が、そう、この新しい、立ち止まる場所をつくったのか?
 ミュラーがリタとここへ来て5年になる。ヘールマン一家にトマトと茄子の種を貸し与えているのも彼だった。
 ヘールマンはそのことをよくわかっていたが、さほど謙虚というわけではなかった。
仏原文より瀬名の試訳。「震え」の部分の意味がよくわからない)

【注意:今回の文章では小説の結末に触れます】
 
 今回取り上げる『Ceux de la soif[渇いている者たち]は何と実録小説である。ガラパゴス諸島を舞台に不可解な失踪事件や死亡事件を描いた、実際にあった出来事を元にした小説だ。
 こんな作品があるとは知らなかったので私はとても驚いた。やはり日本でまったく知られていないシムノンの側面である。
 シムノンは小説に先立ち、ルポルタージュとしてこの事件を記事に纏め、「155日間世界一周」旅行中の1935年2月に《パリの夜》紙で伝えている。だがすでにこの時期、ガラパゴスで起こった一連の事件は世界的なニュースになっていた。シムノンは世界一周旅行でエクアドルに滞在しており、ジャーナリストとして警察の船に同乗してガラパゴスを訪れ、記事を書いたのである。その連載記事「ガラパゴス諸島の謎のドラマ」は長年にわたって詳細不明であったが、熱心なシムノンファンの手により発掘され、ベルギーに事務局を置く「ジョルジュ・シムノン友の会」の研究同人誌として1991年に初めて書籍化された。現在はオムニビュス社の『わが訓練』で読める。
 
 事件のあらましは次のようなものだ。ガラパゴス諸島とは赤道直下に位置し、13の島とさらに小さな島々からなる群島だが、その南側にフロレアーナと呼ばれる173平方キロの島がある。ガラパゴス諸島では正式名称とスペイン名と英名の3種が使われており、スペイン名でフロレアーナであるこの島は、正式名はサンタ・マリア島、英名はチャールズである。作家ハーマン・メルヴィルは1841年にガラパゴス諸島を訪れ、連作紀行文『エンカンタダス 魔の島々』(1854)を書いているが、その中の「第七話 チャールズ島と犬 王ドッグ・キング」はフロレアーナ島の話だ。またダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719)のモデルとなった男性は、孤島から救出された後の船旅でこのフロレアーナ島に寄っているそうだ(これらの知識は後述する書物『ガラパゴスの怪奇な事件』から得た)。
 ガラパゴス諸島と言えば、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンがビーグル号で世界を旅した際に訪れ、進化論の礎となる観察がおこなわれた場所だ。メルヴィルの6年前、1835年9月から10月のことである。
 もちろんダーウィンの『ビーグル号航海記』(1839)にはガラパゴス諸島での滞在記録が出てくる。これはものすごく面白い紀行文学なので、たとえ理系でなくても死ぬまでには必ず読んでほしいとここで強くお薦めしておきたい。とりわけ現代の博物学者・荒俣宏氏との魂の交歓がなされる少年少女向け邦訳(とは言え全訳である)『ダーウィン先生地球航海記』版は奇跡の訳業と賞賛できるほどの素晴らしさだ。『種の起源』『ビーグル号航海記』は全人類必読の書であり、この2著が書架にない読書家は不幸だとさえ私は思う。話を戻すと、ダーウィンはガラパゴス諸島のいくつかの島々を巡っており、9月23日にはチャールズ島(フロレアーナ)も訪れ、人々はゾウガメを動物性の食料としていると書き残している。フロレアーナにもガラパゴスの象徴と言うべきゾウガメやイグアナは生息していた。
 ただし熔岩でできたこの島は、人間が暮らすには決して快適な場所とは言えなかった。雨季と乾季があり、秋から春にかけての乾季は湧き水も乏しくなる。何度か移民や罪人がやって来たが、なかなか人は定住せず、島では彼らの持ち込んだ馬や牛や豚が野生化していた。
 1929年、そんなフロレアーナにドイツ人男女ふたりが移住する。男はフリードリヒ・リッターという医師で、ニーチェを信奉し、独自の哲学思想を持っていた。女はリッターとは父と娘ほどの年齢差があるドーラ・シュトラウヒ(ドールとも書かれる)で、ベルリンではリッターの教え子で、そして愛人であった。ふたりともそれぞれ結婚していたのだが、彼らは各々の結婚を解消し、共に新天地へやって来たのである。リッターは自分のことを「ガラパゴスのロビンソン」と呼んだ。
 グアヤキルとガラパゴス諸島の間は船で往復するしかないが、海路千キロでそれなりの日数が掛かる。またフロレアーナは小島であり、物資を運ぶ連絡船が来るのは半年に一度だ。フロレアーナから船で2、3日の距離にあるチャタム島(正式名サン・クリストバル島)ならば住民もおり、利便性も高い。しかしふたりは無人島で暮らすことを願っていたのである。
 ふたりは居住できそうな場所を見つけて、互いの名を取ってそこを「フリード」と名づけ、家を建て、庭をつくり、野菜を育て、生活を始める。彼らは哲学信条に則り、ほとんど裸で暮らしたようだ。しかしふたりだけで暮らせば軋轢も生まれる。彼らの関係性はときに険悪なものにもなったらしい。
 ふたりの生活は、あたかも「楽園のアダムとイヴ」であるかのように当時の新聞で紹介された。それを見てさらなる移住希望者が島を訪れるようになってくる。第2グループとなったのは1932年8月に到着したドイツ人のウィットマー一家である。夫のハインツ、再婚相手である妻マルグレット、ハインツと先妻との子である12歳の息子ハリー。ウィットマー一家は泉の近くに居を構えた。息子のハリーは病弱で、その療養のためにもなると一家は考えていたのである。
 さらに第3のグループ、女男爵(バロネス)を自称するエキセントリックなドイツ人女性ワグナー・ボスケとその仲間の男たちが同年10月にやって来たことでドラマは始まる(「女男爵」とは面倒な訳語なので、以後「バロネス」とする。魔術を使うとされたウィッチwitchは決して女性ばかりを指すのではないが、男のウィッチを「男魔女」と訳せないもどかしさに似ている)。
 バロネスが連れて来た男たちの中には、彼女のふたりの愛人がいた。ひとりはパリでバロネスと宝石商を共同経営していたルドルフ・ロレンツ、もうひとりはそこでレジ係をやっていたらしい若者ロバート・フィリップソンである。バロネスはこのフロレアーナ島にホテルを建てて、冒険好きの富裕層を相手に金儲けをもくろんでいた。そして男たちの力を借りて《アシェンダ・パラディソ(楽園農場)》の設立に取り組み始めた。バロネスは自己顕示欲も強く、出発前には新聞社に自分の計画を話して、記事に仕立ててもらっていた。
 そうした記事を読んだアメリカ人の裕福な船長も、自船でフロレアーナに訪れるようになった。バロネスらはその後いろいろな客を迎えている。夜通し呑んで騒ぐこともあった。ただ、ここでも人間関係の難しさから人々は逃れることはできなかった。バロネスは島に来てから急速に若いフィリップソンへ愛情を注ぎ、一方ロレンツにきつくあたるようになっていた。そのためロレンツは次第に島を離れたいと思うようになり、リッター博士らやウィットマー一家の小屋をしばしば訪れ、滞在するようになる。
 1933年の正月、マルグレットは島で男児ロルフを出産する。このときばかりは島の皆が喜びを分かち合ったようだ。しかし微妙な人間関係を孕んだまま時は過ぎ、1934年の乾季は酷暑となり、ここから大きく関係は動き始める。ロレンツの島を出たいという思いは膨らんでいた。2月28日ころ、不意にバロネスがウィットマー家を訪れ、ロレンツはいるかと尋ねた。出掛けているとマルグレットが応えるとバロネスは、自分とフィリップソンは島を離れることにしたと告げた(そのとき島に残っていたバロネスの仲間は、すでに愛人のフィリップソンとロレンツだけだった)。その後戻ってきたロレンツはそのことを聞き、バロネスの家へ行った。数日後、ロレンツはウィットマー家へ戻ってきたが、バロネスとフィリップソンの姿はそれを境に消えてしまったのである。いつの間に彼らが島を離れたのか誰にもわからなかった。奇妙なのは《アシェンダ・パラディソ》で旅行支度がなされた形跡がなかったことだ。バロネスはどんな旅行時にも愛読書の『ドリアン・グレイの肖像』を肌身離さず持っていたのだが、その本さえ家に残されていた。
 4月まで乾季は続いた。ようやく雨が降ったが、ロレンツの「島を出たい」という思いは募り、誰か船で連れて行ってくれと書き置きで訴えるほどだった。7月にトリクベ・ナッガルードという男が小さな漁船でフロレアーナにやって来た。彼はチャタム島に妻がいる男だった。ロレンツは有り金をはたいて、島から一刻も早く連れ出してくれと彼に懇願した。当初ナッガルードはその申し出に渋っていた。その日は7月13日の金曜日で縁起が悪かったからだ。しかし最終的に願いは受け容れられ、ロレンツは重いスーツケースを持って、人々に見送られて、ナッガルードの漁船でついに島を発った。もうひとり地元の少年が乗っており、彼らはチャタム島を目指す予定だった。
 ロレンツは無事に故郷へ着いたのだろうか? 実は島に残っていた人々は知らなかったのだが、11月16日、フロレアーナ島でもチャタム島でもないガラパゴスの北側に位置するマルチェナという小島の海岸で、ミイラ化したロレンツとナッガルードの死体をマグロ漁船が発見していたのである。地図で見ると、どう考えてもフロレアーナ島からチャタム島へ行く航路からは大きく外れている。潮に流されたとしか思えない。彼らの乗っていたはずの漁船はなく、小さなボートが近くにあった。同乗していたはずの地元の少年は見つからなかった。このことは世界的なニュースとして報道された。
 そして同じころ、フロレアーナ島でも事件が起こっていた。リッター博士が死んだのだ。
 その日、ドーラは鶏肉の瓶を開けて料理をしようとしていた。肉が悪くなっていることに気づいたが、リッターはよく煮れば大丈夫だと言ったらしい。そこでドーラは調理して、ふたりで食べた。しかしその後、リッターだけがひどく苦しみ出し、翌日の11月21日ないし22日の夜に亡くなった。彼は死ぬ前、「臨終に際し、私はおまえを呪う」と鉛筆で書きつけたという。この「おまえ」がドーラを指すのかは定かではない。
 12月4日、アメリカの富豪アラン・ハンコックが自船でフロレアーナを再訪し、亡くなったリッターの墓石と、残されたドーラを認めた。彼はドーラを連れて船で戻った。「ガラパゴスのロビンソン」の死はやはり世界的なニュースになった。ドーラはエクアドルで事情聴取を受け、そして故郷のハンブルクに戻った。
 翌1935年のことになるが、ドーラはフロレアーナでの出来事を手記に纏め、ドイツで出版した。リッターの手記も彼の遺族の手によって同年に出版され、2人の本は英訳版も出た。
 バロネスとフィリップソンの行方はついにわからずじまいだった。フロレアーナ島にはウィットマー一家が残った。
 この怪奇な事件の取材をしようと、事件発覚直後はたくさんのジャーナリストが島を訪れたらしい。シムノンもそうしたひとりだったのだ。彼は1935年、すなわちダーウィンがガラパゴス諸島を訪れてから100年後に、警察と共にフロレアーナ島へと足を運んで取材したことになる。すでに事件は世界的な関心の的になっており、《パリの夜》紙からもぜひ現地取材をしてくれとの願いがあったことだろう。
 
 私はこのような事件があったことを「ジョルジュ・シムノン友の会」の研究同人誌の解説文で初めて知った。その解説で言及のあったジョン・トレハン『The Galapagos Affair』(1983)という書物は『ガラパゴスの怪奇な事件』として邦訳が出ている。
 トレハンは優秀な昆虫学者で、ガラパゴス諸島で研究をしている際にかつてこのような怪奇な事件があったことを知り、当時の文献を調査してこの本を纏めたのである。学者の著作とは思えないほど達者な筆致で、リッター博士とドーラが島に移住するときから彼女が島を離れるまで、その5年間の経緯がかなり詳細に書かれている。トレハンはその後もノンフィクションの著作を立て続けに発表し、中にはアメリカの銀行強盗カップル、ボニーとクライドを題材にしたものもあるから驚きだ。邦訳書は訳文もこなれているが、巻末紹介を見ると訳者はプロの翻訳家ではなく医学部教授というからびっくりである。しかもこの事件はドイツで映画化されたと「訳者あとがき」にあって、さらに驚いた。
 このドイツ映画のことは調べがつかなかったが、2013年にダン・ゲラー、デイナ・ゴールドファイン監督により『ガラパゴス・アフェア 悪魔に侵された楽園(The Galapagos Affair: Satan Came to Eden)』という英語のドキュメンタリー映画が製作されている(https://zeitgeistfilms.com/galapagosaffair/)。ドーラの声はケイト・ブランシェット、マルグレットの声はダイアン・クルーガーが担当した。
 この映画は日本でも劇場公開されている。そして映画ではドーラやリッターの当時の手記のみならず、ウィットマー一家の妻マルグレットが1959年に出した手記も参考文献として用いられており、そのマルグレットの本はマーガレット・ウィットマー『ロビンソン・クルーソーの妻』として抄訳まで出ていたことには本当に驚かされた(さらにIMDbを見ると、2017年にはトレハンの本を原作としてウィリアム・ボイド脚本で『The Galapagos Affair』というドラマが製作中だと出てくる)。
 今回マルグレットの邦訳も読み、映画『ガラパゴス・アフェア』も観た。マグルレットの手記はとても読みやすく、孤島での暮らしぶりがよく伝わってくる。ただし事件の記述については他の資料と食い違いも少なくない。たとえばバロネスが失踪したのは2月末ではなく3月31日とある。ロレンツの遭難についても記述が異なり、漁夫とロレンツはいったん別の島に着いたが、そこで地元の少年を乗せてさらに船は出て、それで遭難したのだと書かれている。
 事件の関係者ドーラは1942年ないし1943年に亡くなっているため、それより後年に出たマルグレットの書籍はリッター博士とドーラに批判的だ。リッター博士は実はバロネスらを殺したロレンツの共犯者だったのではないか。リッター博士はバロネスが来たことで島内の地位を脅かされており恨みがあった。博士はバロネスらが死んだことを知っていた。さらにドーラもまた博士と確執があったため、博士が食中毒となってもあえて一日放置し、症状が悪化するのに任せていたのではないか、というのである。
 リッター博士は生前にマルグレットの夫ハインツがあたかもバロネスらを殺した犯人だと暗に示唆するような手記をしたためていたため、1935年に島へガラパゴス諸島知事と兵隊がやって来たとき、マルグレットは理不尽な尋問を受けた。彼女は憤慨し、夫が犯人である可能性をきっぱりと否定した。新聞社はリッターの手記を勝手に誌面に掲載していた。時系列から見て、この知事が同行した船にシムノンも乗っていたのではないかと思われる。シムノンはあまりウィットマー一家に歓迎されなかったかもしれない。
 マルグレットの邦訳本で事件のことが書かれるのは全体の半ばで、そこから先は事件後の暮らしが悠々と書かれている。アメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトから手紙と贈り物が届いたり、戦後はヒトラーが密かにフロレアーナ島へ逃亡したとの噂が立ってアメリカ兵が調査に来たり、コンティキ号の英雄トール・ヘイエルダールが家に泊まりにやって来たり……。
 関係者の手記の中では、マルグレットのものがもっとも信頼が置けたようだ。『ガラパゴスの怪奇な事件』の著者トレハンもマルグレットの見解を主として受け入れている。
 映画『ガラパゴス・アフェア』は事件前後に撮影されたモノクロの無声記録映画と当事者の手記を紹介しつつ、現在ガラパゴス諸島に暮らしている人々の回顧談や証言を織り交ぜて構成されている(注意:このDVDはアメリカ版のリージョン1しか発売されていないので、日本国内で観るには特別な動作環境が必要となる)。やはり驚いたのは、当時のフィルム映像がかなり残っていることだ。アメリカの富豪アラン・ハンコックは科学者を引き連れて何度かフロレアーナに立ち寄っており、その際にリッターやドーラ、ウィットマー一家、さらにバロネスらの生活を撮影していたのである。
 しかもハンコックはバロネスの協力を得て『フロレアーナの女帝(The Empress of Floreana)』というコミカルな無声海賊映画まで撮っており、そこには海賊に扮したバロネスとフィリップソンが登場する。もっとびっくりしたのは、ハンコックがマルチェナ島まで出向いて漁夫ナッガルードとロレンツのミイラ化した死体の映像まで撮っていることである。
 映画には当時島で生まれたウィットマー家の新生児ロルフも老齢の男性として孫と共に登場する。いまガラパゴスに生きる人々は、ロレンツがバロネスらを殺したのではないかと考えている。だがロレンツに協力者がいたのかどうかについては意見が分かれる。
楽園パラダイスとは場所のことを言うのではないわ」とサンタ・クルス島に住む高齢の女性が語るラストが印象的だ。「楽園とは状  況シチュエーションのことなの。それがガラパゴスに起こったことよ」と。
 他の男性も語る。「おまえが世界のどこに行こうとも、“おまえ”がついて回るんだ」と。自分自身がついて回る限り、人は世界のどこへ行こうともそこに社会をつくってしまう。だからそこを楽園にすることはできないのだ、と男性は警告する。深みのある言葉だと思う。
 私は進化論のポピュラー科学本でガラパゴス諸島のことは何度か読んできたが、こんな事件があったとは少しも知らなかった。
 トレハンの本の参考文献一覧を見ると、彼は主に英語の文献にあたったようで、フランス語圏の話題は書かれていない。シムノンがこの事件を取材し、小説化したという事実についても、本文中ではまったく触れられていない。現代日本の進化学者も、まさかメグレ警視シリーズの作者ジョルジュ・シムノンがガラパゴス諸島と縁があったとはほとんどの人が知らないだろう。
 
 シムノンがルポルタージュ「ガラパゴス諸島の謎のドラマ」を執筆したのは、1935年1月15日から18日のことであったようだ。その直前にシムノンは警察の船でフロレアーナ島を訪れたことになる。
 読んでみると、普段のシムノンのルポルタージュに特徴的な前のめりで息を切らすような筆致とは違って、落ち着いた文章で綴られていることにまず驚く。シムノンは事件の次第を世界旅行中のニューヨークで知ったらしい。つまりこの取材は急遽決まったことになる。だが「私は着くのが遅すぎた」と彼自身語っているように、すでに事件はドーラの帰国で幕を閉じ、関係者は陳述書に語った以上のことを話そうとせず、後はジャーナリストがそれぞれ推測を巡らせるほかないという状況だったのである。シムノンは現地を訪れたものの、直接の物的証拠は何も見ることはできなかっただろう。《パリの夜》の紙面には事件関係者らの写真もいろいろと掲載されているが、シムノンが直接撮影したわけではなく、すでに出回っているものが使われたと見られる。
 シムノンのルポでスクープと言えそうなのは、亡くなったリッターの手記を長々と引用公開していることである。ただ、ではシムノンはこの一連の事件に対して、何か解明の糸口となる新しい手掛かりを見つけることができたのかと言うと、そういうわけではない。他のジャーナリストとは違う仮説を提示できたのかと言うと、やはりそうではなかった。
 この一連の事件はいろいろと穿った推測ができる。ロレンツが小島でミイラとなっていたのは純粋に遭難事故だったとしても、バロネスとフィリップソンはどこへ消えたのか、リッターは本当に偶然の中毒死だったのか、という謎がある。バロネスはある日「船が迎えに来るのでそれに乗って出て行く」と突然告げたのだが、その船を見たものはいないし、もっと言えばバロネスの告白を聞いたのはマルグレットひとりしかいない。
 ロレンツは長い間バロネスやフィリップソンと険悪な仲だった。実はロレンツがふたりを殺して死体をどこかへ遺棄したのではないか、という推理が成り立つ。シムノンもルポでこの可能性に言及している。
 リッターの中毒死も疑問が残る。もともとリッターはその哲学信条から野菜主義者だったのだから、肉を食べて中毒を起こすのはいかにも奇妙だ。ただしリッターは野菜主義者だったにも関わらずときおり美味しく肉を食べていたそうだから、このときたまたま肉を食べただけかもしれない。ではなぜ同じ食事をしたドーラは食中毒にならず、リッターだけ亡くなったのだろう。リッターとドーラの間にはやはり確執が生まれており、ドーラは肉が傷んでいることを承知の上で、リッターを中毒死させたのではないか、という推理もあり得る。
『ガラパゴスの怪奇な事件』の著者トレハンはシムノンのルポを読んでいなかったと思われるが、両者はおおよそ同じ推測に達している。バロネスとフィリップソンはロレンツに殺された。そのことは実は島の人々も感づいていた、ということだ。ロレンツの遭難は偶然だった。
 リッターの中毒死については、シムノンははっきりとした推測をしていないが、トレハンはドーラによる殺人の可能性も残している。それはロレンツがバロネスらを殺したことについて島の女たち、つまりドーラやマルグレットが知っており、リッターの口を封じるための策だった、という可能性である。そしてマルグレットらは(後に出版した手記の内容も含めて)つたない嘘をついていたのではないかというのだ。実際、マルグレットとドーラの手記の内容にはかなりの食い違いがあるという。
 少なくともバロネスらふたりは船に乗って出て行ったのではなくロレンツに殺されたという推測は、すでにシムノンが取材したときから広まっていたのだろう。トレハンの著作でなるほどと私が思ったのは、バロネスらふたりが失踪したというのに、島の残りの人たちがちゃんとした捜索さえしなかった点である。ふたりが亡くなったのなら《アシェンダ・パラディソ》に残された物品や土地は皆で分配することになる。だがどこかでまだ生きているのならそれはできない。だから本来、ふたりが生きているかどうかを確かめるのはとても大切なことであるはずだ。それなのに捜索していないのは不自然で、彼らが亡くなったことを知っていたからではないかというのである。
 ロレンツが島を出て行くとき異様に重いスーツケースを持参していたことから、そこにバロネスらの遺体が入っていてロレンツは海に沈めようともくろんだのではないかとの推測も当時あったようだが、ロレンツを船で運んだナッガルードがバロネスらの失踪と無関係であったことから、そのような方法でスーツケースを始末するのは難しかったはずだとして、トレハンはこの仮説に否定的だ。彼らの乗った漁船はおそらく途中でエンジンが故障したのだろう。そしてロレンツとナッガルードはエンジンのついていない小舟で決死の避難を試み、地元の少年は船に残ったのかもしれない。あるいは小島で彼らは海賊の宝物を探そうとしたのだろうか──とトレハンは推測している。
私はシャーロック・ホームズを演じたくないし、ましてやメグレを演じたくない」とシムノンはルポの最終回で書き、メグレの名を出している。実際、シムノンはいくつかの推測を書くが、これぞという仮説は提示していない。ノンフィクション作品として見るなら、後年のトレハンの方が読み応えがあるし、出来映えもよい。ただし普段のシムノンと違って癖のない文体でさらりと読め、他の当時の旅行記と異なりはっきりと実録ルポとして書かれたところは、シムノンのキャリアを見渡す上で貴重な一資料となっている。
 
 以上、事件の概要を記したことで、今回の小説『渇いている者たち』のあらすじはほとんど語ってしまったことになる。シムノンはかなり事実の経緯に忠実に物語を進めているからだ。
 舞台がフロレアーナ島であるのは実際と同じである。登場人物の名前は置き換えられているが、その性格や経歴はおそらく実際のモデルとほぼ同じだと考えてよいのではないか(外観や年齢はわずかに変更されている)。対応表は次の通り。
 

実際の名称 小説内の名称
第1グループ
フリードリヒ・リッター博士 フランツ・ミュラー教授
ドーラ・シュトラウヒ リタ・コールヴィン(エールリッヒ)
飼っていた驢馬のブロ ハンス
第2グループ
ハインツ・ウィットマー (名前の記述なし)・ヘールマン
妻マルグレット マリア
息子ハリー ジェフ
新生児・男児ロルフ 女児
第3グループ
ワグナー・ボスケ女男爵 フォン・クレベール女伯爵
ロバート・フィリップソン ニック・アレンソン
ルドルフ・ロレンツ エリック・クラウス
《アシェンダ・パラディソ(楽園農場)》 《自然回帰荘》
その他
アメリカの富豪アラン・ハンコック バンブリッジ卿
漁夫トリクベ・ナッガルード ジャン・ラーセン
連絡船《サン・クリストバル号》 《サン・クリストバル号》(同名)

 
 物語はフロレアーナ島に連絡船が到着し、その船からフォン・クレベール女伯爵(以下「婦人」とする)とその愛人ふたりが上陸してくるところから始まる。婦人はエキセントリックな性格で、島に《自然回帰荘》なるホテルを建造し、ここをリゾート地にして富裕層相手に金儲けをしたいと考えていた。
 読み始めて、まずシムノンらしからぬ非常に読みやすい小説であることに私は驚いた。すでにシムノン自身のルポルタージュ記事を読んで、事件の成り行きを知っていたからかもしれないが、普段の小説よりもすらすらと読める。シムノンの小説の前半にとりわけ顕著に見られる独特の曖昧な雰囲気、すなわち登場人物が何を考えているのかすぐにはわからず読者側も逐一推測するように読み進めなければならないいつもの慎重さを覚えることはなく、キャラクターたちはどんどん行動を進めてゆく。これが実録小説だとわかった上で読むと、「ああ、なるほど、やはり」と思えるような軽さがある。少なくとも前半は、「シムノンでなければ書けない小説だ」という感じではない。どこかのジャーナリストが小説に手を染めてみた作品、と言っても差し支えない読み心地なのである。
 ミュラー教授やリタが大事に飼っている驢馬を、婦人が岸辺から荷物を運ぶので貸してくれと無遠慮に頼み込んできて、早々にぎくしゃくとした人間関係が始まる。婦人たちが乱暴に扱うので驢馬が傷を負ってしまうというエピソードは、実際にあったことである。このようにほとんど現実の経緯を辿って物語は進んでゆく。
 シムノンらしさはどこで現れるだろう? 物語は誰か特定のキャラクターに焦点を当てると言うよりも、群像劇のように進む。ここも普段のシムノンとは違うところだ。あるときはミュラー教授とへールマンのふたりが描かれ、あるときはリタとマリアの会話が書かれる。事実に取材し、依拠した痕跡が、このようなところからもうかがえる。
 どこか箍の外れた婦人は、楽園に憧れて船でやって来た新婚カップルの男を誤って撃ってしまい、おろおろと泣いてミュラー教授に救いを求めたりもする。そうした細かなエピソードを重ねつつ、やがて乾季に入って次第に湧き水が少なくなり、婦人が水を必要以上に盗んだと諍いが起こる。婦人は不平を言う。ミュラー教授やヘールマン一家は先に島に移住して、雨水を蓄える術を持っているではないか。自分たちにはそれがないのだからがたがた言うなというわけだ。渇いている者たちは徐々に苛立ちを募らせてゆく。
 全13章のうち、第8章に入ってヘールマンの妻マリアのキャラクターが少しずつ鮮明になる辺りから、シムノンの小説らしさが表れてくる。マリアは婦人に厳しく扱われているクラウスと心を通わせるようになり、同時にクラウスのキャラクターも立ってくる。そして渇きが深刻になり、食糧のストックも尽きかけたところで、バンブリッジ卿の船が島にやって来て、皆は歓声を上げる。
 婦人はバンブリッジ卿の来訪を歓迎し、夜通し呑んでパーティを催す。ピアノの演奏。バンブリッジ卿はチェロを弾く。婦人はガラパゴスの女王として上機嫌で時を過ごす。このような歓楽のひとときを描くシムノンの筆は、いつもの作家シムノンに戻ったかのようである。その後もパーティの描写はある。ニックはギターを弾き、ヘールマンは空を見上げ、南十字星がどこにあるのか知りたい、星座の本がほしいと呟く。その直後、ヘールマンの妻マリアがミュラー教授の立ち会いの下で女児を出産する。知らせを受けて道を急ぐヘールマンは南十字星のことを思う。この辺りの文章はちゃんと小説になっていて惹き込まれる。実録的な部分を離れたときにシムノンらしさが起ち現れる。
 そして急にミュラー教授の人となりが変化するのも、ある意味ではシムノンらしい展開だ。教授は狂気に陥ったかのように、日増しに内に籠もってゆくのである。それは乾季が続いてもはや我慢がならない状況に置かれ始めているからだが、この後彼が死ぬにあたっての伏線であるものの、その唐突さはシムノンっぽい。
 ミュラー教授の性格に変化が現れ始める11章の後半から、物語はガラパゴス事件の核心部分へと入ってゆく。婦人が「明日、知り合いの金持ちのヨットが迎えに来るわ。ニックと私は南洋へ行くの」とマリアに告げる。「どうして婦人は明日船が来ることを知ったのだろう?」とミュラー教授はその話を聞いて訝しむ。島に無線はないのだ。その夜《自然回帰荘》で最後のパーティが始まる。深夜過ぎまで婦人は呑む。だが翌朝、ミュラー教授宅で寝ていたクラウスは朝5時に起きて、岸に本当にヨットが来ているか確かめると言って飛び出してゆく。そしてすぐに「婦人は嘘をついた!」と言って戻ってくる。「ヨットの姿なんてどこにもない!」
 その日の午後、クラウスはしばらく姿を消していたが、やがてリタのもとに現れて言った。「彼らは行ってしまった! 家は空だ。浜辺にも行って痕跡を探したが何も見つからない……」
 そして6月。クラウスは島にやって来たノルウェー人の漁夫ラーセンに頼み込んで船に乗せてもらう。13日の金曜日だから縁起が悪いというラーセンを説き伏せ、ついに念願だった島からの脱出が叶うことになる。岸辺で皆と別れの挨拶をして、彼は島を出て行く。ここでシムノンは実際の日にちであった7月13日を1ヵ月ずらして書いているが、クラウスが重いスーツケースを持って出ていったところは同じだ。
 ちょっと微笑ましいのは、シムノンが漁夫のラーセンを物語の最初の方でも登場させ、読者にあらかじめ紹介していることだ。ルポルタージュ「ガラパゴス諸島の謎のドラマ」の中でシムノンは、バロネスの元愛人ロレンツを船で乗せて出て行った漁夫ナッガルードが事件の終盤で突如として登場することに不満を抱き、「もし私がこの冒険を自分自身で想像して書くなら、各キャラクターをもっと調和させるだろう。しかしこの事件は小説家である私がつくったわけではない(ので仕方がない)」と書いているのである。シムノンは小説化する際に、ちゃんと作家としての役目を果たし、いきなり漁夫が登場したという感じを抱かせないよう、キャラクターを調和させたのである。
 この別れの際にミュラー教授は、漁夫ラーセンに「数週間後に戻ってきてくれ」と頼む。それは彼が何かを察していたからだろうか。ここで第12章は終わり、最後の第13章は(これまでシムノンの小説で何度かそうなされたように)実録記事の体裁で書かれる。事実の通り、クラウスとラーセンは小島で死体となって発見される。1月1日の朝、バンブリッジ卿の船が島に到着する。彼はペルーにいたが、ガラパゴス諸島で死体が見つかったとの新聞報道を見て、フロレアーナに戻ったのだ。彼はリタを船で連れてエクアドルに戻った。彼女は領事や政府から事情聴取を受けた。ミュラー教授は20日の朝に気が狂ったのだと彼女は語った。一晩明けて昼に彼は喋らなくなり、3、4時間後にははっきりものも見えなくなった。彼は夜10時に喉を詰まらせ、窒息で死んだ。筋肉と神経がやられて、吐く力もなかった。島の皆の手で彼は埋葬された。
「陳述書に署名するのですか? 住所も書く? 私はもう住所がないんです! 両親と姉はいます。姉の住所ですか?」
 彼女は有名になっており、カメラマンが彼女を追った。だがバンブリッジ卿は彼女を船室に入れて、やって来た取材記者に言った。「リタ・エールリッヒ? 知らないね。船を間違えているよ……」
 そして船は川を下っていった。リタはハンブルクへ届けられるのだ。その日彼女は晩まで起きず、船室からも出ようとしなかった。ベッドで目を開け、彼女は月のように丸い船窓を見つめていた。
 
 これで物語は終わりだ。
 ガラパゴス事件の謎は明快な解答を示されないまま終わる。だがふしぎと最終章は、普段のシムノンらしい結末に思える。実録小説がシムノンの小説になって終わった、と感じられる。
 本作は邦訳されていないが、英訳も出ていない。英訳されていたならガラパゴス事件に関心のある英語圏の人はきっと参照し、後年のノンフィクションなどで言及したことだろう。あるいは英語圏の人たちがシムノンの小説を原案に映画をつくったかもしれない。
 この小説はシムノンが世界一周旅行をしている最中の1935年2月から3月に書かれた。つまりフロレアーナ島を取材して1月にルポを書いてから早くも1ヵ月後に書かれたわけで、普段の作品とは異なる実録小説として一気呵成に執筆されたことがうかがわれる。しかし雑誌発表は1年半後、書籍刊行は3年後だった。話題の事件の小説化作品にしては発表が遅れている。
 シムノンが関係者にちゃんと断ってこの小説を書いたとは思えない。こんな小説が書かれたことをフロレアーナ島の生存者らが知っていたのかどうかさえ定かではない。
 そもそもシムノンはかつて『赤道』連載第36回)を書いたとき、舞台のホテル《セントラル》の主人から「勝手にモデルにされた」と訴訟を起こされている。シムノンは小説中でホテルの名称さえ変えていなかった。「モデルにしたわけではない。よくある名前だから偶然に似てしまったんだ」と当時シムノンはかなり苦しい言い訳をしているが、実在の場所や人物を作中に拝借するのはシムノンの常套手段だった。今回の小説もたぶん勝手に書いたのではないか。
 
 今後、ガラパゴス事件がハリウッド映画化されたりして、それがヒットし、日本でも話題になるようなことがあれば、本作はそのとき関連書として邦訳される可能性もあるだろう。ただ、小説として純粋に評価するならば、本作は標準未満の出来映えだと思う。シムノンとしては実話を元にした珍しい作品であるが、傑作、代表作とは呼び難い。それでもここまで示したように、ところどころでシムノンらしい筆致が起ち現れる。
 シムノンは旅をするごとに上手くなっていったが、その上手くなってゆく最中は必ずしも秀作を書けていない。発展途上の作品が残される。これが作家の成長過程という点ではきわめて興味深いところだ。作品が動いている、ちょうどビリヤード玉のように、他の玉の動きを受けてかちんと音を鳴らし、いままさに転がっている最中のような印象を受ける。
 本作は1989年にフランスでテレビ映画化された。映像ソフトは販売されておらず私は観ていないが、主人公(ドラマでは名前が変更されているがおそらくミュラー教授役)はメグレ警視役で著名なブリュノ・クレメールが演じており、いったいどんなものだったのか興味が湧く。
 シムノンの「155日間世界一周」の旅はさらに続いてゆく。そしてこの旅行体験は、帰国後も創作の豊かな源泉となってゆくのである。
 
▼映像化作品(瀬名は未見)
・TV映画 同名 ロラン・エヌマン Laurent Heynemann 監督、ブリュノ・クレメールBruno Cremer、ミムジー・ファーマー Mimsy Farmer 出演、1989[仏]
 

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/html/kigen_greecia/index.html)。
 
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