書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」をyoutubeで毎月更新しております。こちらは八月号ですが、間もなく九月号も更新予定ですので、よかったらお聴きくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 ミステリの年間ベストを選ぶ時期(所謂「ミステリ年度末」)が近づいているからか、九月は傑作・話題作が集中し、一作だけ選ぶのはもはや拷問に近い状況だった。本格ミステリに限定してさえ、アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』、陸秋槎『元年春之祭』、ジョン・ヴァードン『数字を一つ思い浮かべろ』と、年間ベスト級の作品が三冊もあった。その中から選んだ『カササギ殺人事件』は、凝りに凝った構成、巧妙に張りめぐらされた伏線、そして納得度の高い真相と三拍子揃っており、本格ミステリ好きにとっては夢のような読書時間を過ごせる逸品だった。隅々まで磨き抜かれたクリスティー・オマージュであるにとどまらず、ホロヴィッツ自身の世界をきちんと構築している点も高評価の理由。あと、既読の方はたぶん共感していただけると思うのだが、近年これほど「ここは原文では一体どうなっているのかを確認したい」と思ったミステリも珍しい。

川出正樹

『兄弟の血 熊と踊れⅡ』アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ/ヘレンハルメ美穂、鵜田良江訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 

 迷った、本当に迷った。英国ミステリに望むもののすべてを備えた、精緻かつ隙のない一読驚嘆必至のダブル・フーダニット『カササギ殺人事件』か。真摯に〈暴力〉と対峙し、熱さと冷たさを併せ持つ兄弟の物語で読む者を圧倒する北欧犯罪小説界の驍将による襲撃小説『兄弟の血 熊と踊れⅡ』か。テーマからスタイル、そしてミステリに対する姿勢まで、まるで対極にある二つの傑作を比較することなどできないのだけれども、それでも敢えて後者を選んだのは、体感の差による。物語に対する没入感の差と言ってもいい。〈息が詰まる〉というのは緊迫感溢れるサスペンス/スリラーに対する常套句だけれども、実際に〈息が詰まり〉幾度も中断して一呼吸入れてしまう作品に巡り会うことなど、そうそうあるものではない。とりわけ襲撃シーンに漂う空気のなんとひりつくことか!

 ほぼ実話をベースにした〈親と子〉の凄絶な対決の物語から、〈兄と弟〉の紐帯に根ざした愛憎と桎梏のフィクションへ。二つの相違によって、犯罪小説として家族小説としてどれだけのドライヴがかかったか、事実という枷を外した結果どこに行き着くのか。ぜひその目で確かめてみて欲しい。

北上次郎

『ウーマン・イン・ザ・ウインドウ』A・J・フィン/池田真紀子訳

早川書房

 まさかこんなラストが待っているとは思ってもいなかった。

 本当はそこを紹介したいのだが、ラストを割るのは論外なので書けない。家から一歩も出ることがなく、双眼鏡だけで外部とつながっているヒロインが殺人を目撃したらどうなる? という設定はそれほど珍しくない。問題はそこから物語をどう動かしていくか、ということになるが、この小説の最大のキモは、ラストだと思う。

あんなに激しい〇〇〇〇〇が待っているとは想像外。それまでのヒロイン像が一変するのは素晴らしい。

 

吉野仁

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 年末になれば、各誌ベストテン海外ミステリ部門は、のきなみ「カササギ」が1位に輝いているのではないか、と思わせるほど夢中になって読み終えた。いや、すでに評判なので、これ以上、語るまでもないでしょう。そのほか、ジョン・ヴァードン『数字を一つ思い浮かべろ』もまたアイデアを見事に活かしたミステリだった。『ミスター・メルセデス』に始まる〈退職刑事ビル・ホッジズ三部作〉の最終巻、キング『任務の終わり』は、どう決着をつけるのかと愉しみにしていたら「そうきたか!」という驚きと興奮で一気読み。

 

 

酒井貞道

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 謎解き小説を読んだ際の、あの始原的快感をたっぷり味わえる。本書はそんな作品である。特に伏線が素晴らしい。あの上巻の完成度と言ったら!
 一方、下巻では、巧みなストーリーテリングで読ませる。正直なところ、上巻は読み返せば舌を巻くけれど、ストーリー自体は古式ゆかしい英国式古典
ミステリの範疇なので、ストーリー展開そのものに意外性はそこまでなく、緊張感も強くない。底意地の悪い人間ドラマが味わえるとはいえ、夢中になって
ページを手繰るタイプの作品にはなっていない。それを下巻で補う点は高く評価したい。こちらも「じわじわ」気味ではあるけれど、古典的な構図からはみ
出した展開が、読者を楽しませてくれる。二面性があって、かつ、最後で壮麗にまとまってくれるミステリ、待ってました。

霜月蒼

『北氷洋』イアン・マグワイア/高見浩訳

新潮文庫

 驚いたのは『熊と踊れ』続編、『兄弟の血』の文体である。まるでフランス暗黒小説の巨匠ジョゼ・ジョバンニを思わせるスタッカート気味のリズムに満ちているのだ。荒々しく太い焦燥の拍動をスタイリッシュに写してみせる文体のせいで、粗削りだった前作よりも小説らしさを増しているように思った。

 のだが、ベストに挙げるのはこちら。19世紀なかば、インドでの凄惨な戦争の記憶を抱えた男が船医として捕鯨船に乗り組み、北氷洋に行って帰ってくるだけの物語、と、言ってしまえばそれだけだ。だが男の好敵手となる銛打ちの男の、まるで野獣のようなありようはどうだ。小説世界を満たすむせるような臭いはどうだ。この筆力はただものではない。読みながら私が思い返していたのはコーマック・マッカーシーだった。銛打ちの男の自然体の暴力性はまさにマッカーシー直系といっていい。

 シンプルな物語だが、それを生々しくも豊穣なディテールで描き切った圧巻の一作。強くおすすめします。

杉江松恋

『ジャック・オブ・スペード』ジョイス・キャロル・オーツ/栩木玲子訳

河出書房新社

 上で他の七福神が「これぞ年間ベスト級」という話をいっぱいしていると思うので、私は偏愛する作家について書きたい。ジョイス・キャロル・オーツのミステリーである。それも2015年の新作長篇だ。発表時77歳。どうかしちゃったのかと思うほど元気だぜ、オーツ。

 魅力的な題名は人の名前である。ホラー・サスペンス作家のアンドリュー・J・ラッシュは「紳士のためのスティーヴン・キング」と称される作家だが、覆面作家としてのもう一つの顔も持っている。それがジャック・オブ・スペードで、ラッシュ名義の作品とはまったく違った、人倫にもとるようなことをばかすか書いている、という設定だ。この男が盗作の疑いをかけられて民事裁判になるところから話が始まる。原告は電波系としか思えない人物で「アノ男ガウチニシノビコンデ私ノ作品ヲ盗ンデイクノヨー」と大騒ぎするが、予想通りまともな判決が下りて一件落着する。そこまでが第一部で、第二部からあれれ、というような展開になっていくのである。

「紳士のためのスティーヴン・キング」というあたりでファンが目を剥くのが見えるが、当のキングが(出てくる)「そんなもの誰が読むんだHAHAHA」と笑い飛ばすので冷静になると思う。つまりこの作品、政治的に正しい選択だけをしている男の胡散臭さを描く小説なのであり、いくら綺麗事を言ったっておまえってジャック・オブ・スペードなんじゃねえかよ、と思って読んでいると後半でどんどんとんでもないことになっていくのである。明らかにミステリーとして書かれているとはいえ、細部の部品にどういうものを使うなんてオーツはそれほど気にしないで書いていると思われるので、後半以降は手触りに違和を感じる箇所も多々あるはずだ。そこも新鮮。糞野郎小説であり、後半でちらっとビブリオ・ミステリー的な展開になるところもあって、作者が楽しんで書いていることがよくわかる。年間ベストにはたぶん上がらないと思うが、サスペンス小説好きな方なら絶対に楽しめるはずなので、熱烈にお薦めする。

 

 さあ、いよいよ盛り上がってまいりました。年末に向けて力作がばんばん出てきます。七福神一同ねじり鉢巻で読んでいきますので、どうぞご期待ください。また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧