みなさんこんばんは。第17回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 先月から公開されているタイ映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』がスマッシュヒットになっているようです。この作品、私は昨年アジアフォーカス・福岡国際映画祭で『頭脳ゲーム』のタイトルで上映された際に鑑賞したのですが、テキパキとスピーディで大変良質な青春ミステリでたくさんの人に届いてほしいな!と思うような作品だったので、このヒットは嬉しい限り。高校生たちの集団カンニング大作戦VS大人たちのコンゲームかと思いきや、そこに描き出される社会的・経済的な格差、勉強して留学することが階級を飛び越えられる唯一のチャンスである少年少女の現実の痛みとの向き合い方がとても真摯で、「そういうことだったのか」を見せていく手際の良さには目を見張りました。これから公開される地域もありますので、是非ご注目を。

 さて、「こんな状態は望んでなかった(正直ちょっと調子には乗ってしまったけど…)」「退路を断たれている今、なんとしても生き延びるためにそうしなくてはならない(だから追い込まれた状況で解決策を見つけてしまって、進むしかなくなった…)(しかしその結果、別の問題が…)」という『バッド・ジーニアス』の主人公たちを見たときに思い出したのが、今回ご紹介するリック・ファムイーワ監督の『DOPE/ドープ!!』。描かれている悪事や映画全体のトーンはだいぶ異なりますが、こどもたちの「ここを出なくては」という思いの切実さ、こどもであるがゆえの無鉄砲さでトラブルを切り抜けながらも、まだまだこどもであるがゆえに大変なことになっていく描写には重なるものがあるように思ったのです。

■『DOPE/ドープ!!』(DOPE)[2015.米]


あらすじ:僕はマルコム(シャメイク・ムーア)。ヒップホップ黄金期は90年代!と信じて疑わないオタクの高校生でハーバード大への進学を目指している真面目な優等生だ。僕らが暮らすロサンゼルス郊外のこの町は、治安が悪くて危険だらけ。高校卒業までなんとかサバイブして、なんとしても進学して早く脱出しなくては。とはいえ仲良しのディギー(カーシー・クレモンズ)やジブ(トニー・レヴォロリ)といつも一緒に遊んでいて、バンドなんかもやってて、ここでの毎日もまあ楽しいんだけどね。で、そんなある日、普段なら絶対近づかないとこに行ってしまったんだ。憧れの美女ナキア(ゾーイ・クラヴィッツ)の言葉が気になって、地元のドラッグディーラーの誕生日パーティに行っちゃってさ。運悪くそこで警察の手入れがあって、大騒ぎが起きたんだ。混乱した会場で知らない間に僕のリュックの中に何かが押し込まれていて……えっ、これドラッグ?ヤバいことに巻き込まれた!気づいたときにはもう色々が動き出していて……

 ひょんなことからとんでもない状況に陥ってしまった聡明な高校生がピンチにつぐピンチを切り抜けていくクライムコメディである今作は、まるでSNSとTEDの世代の『ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ』といった趣。時系列操作・ストップモーション・早回し・スプリットスクリーン等々のポップな演出、ゴキゲンな選曲、トラブルに巻き込まれた男の子が言語感覚の鋭さと「オタクの優等生であること」を武器にどうやって危機を逃れるのか?という設定、自転車/バス/車の使い分けが効果的な疾走感あふれる「乗り物映画」性、何もかもが最高に楽しい作品です。
 
〈dope〉という単語を辞書でひいたときの「複数の意味」から始まる冒頭から、徹頭徹尾「かたち(単語)」と「意味」の話として気が利きまくっている脚本もリック・ファムイーワ監督自身によるものだそう。「物事は字義/見た目そのままの意味ではない」というエピソードの繰り返しの巧みさ(「すべりやすい板」や「サンドイッチ」についての会話に注目していてくださいね)、韻を踏むことやNワードをめぐるやりとりの面白さは是非ご覧になってご確認ください。のっぴきならないはずなのに、微妙に緊張感にかけていて可笑しいことこのうえなし。
 
 そして今作、笑ってばかりはいられないある種の思春期ノワールとしても成立しているのも重要なポイントになっています。トラブルの前提としてかなりヘビーな状況があり――何しろ「まずは死なないのが大事」という地域で育っている子たちの話なので、ビターにならざるをえないのです。彼らが犯罪計画を成し遂げなくてはならない事情は「今この瞬間に若者たちがさらされている危険」と地続きで、単純なストリートのお伽噺にはなりようがない。
 
 そのハイライトとして、決して望んだわけでもないものをついに手にしたマルコムが、それを自ら振りかざしてしまった瞬間の「戻れなさ」があるのだと思います。振りかざされた側の呆然とした表情を見てしまった、もう以前の優等生には決して戻れないマルコムの手をとり「帰ろう」と呟く友人たち。あくまでも軽やかにしたたかに巻き込まれた事態を切り抜けていくように見えた少年たちの「ありえない冒険」が、あの地域で暮らすすべての少年少女の「いつあるかわからない悲劇」とつながっている、剥き出しの現実に触れてしまったその痛み。
 
 やがてマルコムが映画内で繰り返し描かれてきた〈同じ存在でも「文字通り(見た目どおり)の意味」と「その文脈での意味」は異なる〉ということを自分自身に結びつけていく構成は見事というよりありません。ミステリとしても怒濤の展開に忘れかけていたタイミングでの伏線回収が鮮やかにキマっていくのが素晴らしいですよ!
 現実と向き合う痛みや苦さがきちんと描かれているからこそ、僕らは世の中が最悪なの知ってる、悪いけどあなたがたの決めたルールで助けてもらうなんて待ってられない、僕らは自分たちでやるしかない、まあ正直色々あるけどさ――でも凹んだままでいられないから歌っとく、じゃあ1曲いきまーす! とばかりに流れるエンドクレジットの Can’t Bring Me Down のイキのよさにもぐっときてしまう。露悪的なほうにも綺麗事にも傾かない絶妙なバランス感覚を持った優れた青春ミステリ映画として本当に素敵な作品ですので、未見の方は是非。


■よろしければ、こちらも/『さよなら、シリアルキラー』バリー・ライガ


 ミステリでもそうでなくても、現実的なものでもファンタジー性が強いものでも、ロマンスがあってもなくても――私は青春小説/青春映画の核は「私は誰(どういう人間)なのか」をめぐる冒険なのだと思っているのですが、その問いを自分に向けるにはあまりにも過酷な少年期を過ごしてしまっている『さよなら、シリアルキラー』シリーズ(第二作『殺人者たちの王』、第三作『ラスト・ウィンター・マーダー』)のジャズ君は思春期ノワールの主人公の究極の形という気がします。何しろ彼の場合、全米最悪の伝説的シリアルキラー、ハンサムでとびきり魅力的なサイコパスを父に持ち、「その血を継ぐもっとも優秀なアシスタント」として殺人英才教育を受けて育てられているので、自分が「まっとうでいられる気がしない」ということがいちばんの恐怖なのですから……。
 賢くて不敵、いかにも感じのいいアメリカンボーイの風貌を持つジャズの一人称で語られる皮肉っぽい言葉と「他人の心を動かす演技が癖になっている闇の深い自分」への恐怖はシリアルキラーの息子としての苦しみであると同時に、ちょっと面倒くさい思春期の自己陶酔的な感じもあるのですが、私はそこに「まだこどもであること」の切なさが感じられるところもこの小説の魅力なのだと思います。自分の屈託に折り合いをつけていくために奇妙な連続殺人事件の謎解きをするジャズの大事な仲間、気丈なガールフレンドのコニーと血友病ですぐに倒れる親友ハウイーのキャラクターも魅力的。これもまた「のっぴきならない状況」を駆け抜ける青春の痛みをユーモアを欠かすことなく描いた良質なミステリだと思います。
 
 思春期の悩み多き日常を自体が大変なのに、そこに家族や社会の問題や犯罪まで絡んできて「正しい道」をいけるわけがない、そんな状況でまだ「こども」としての立場の高校生たちがどう行動し、どう間違って/間違わなくて、どう最終的に自分なりの答えに行きつくのか? そこにある「ミステリ」には無限の可能性があるはず。青春映画/小説は最も普遍的で、同時に更新され続けるフレッシュなジャンルなので、これからも驚くようなミステリが出てきそうですよね。それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。
 

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


■【映画コラム】ミステリアス・シネマ・クラブで良い夜を■バックナンバー一覧