このコラムでは何回か取り上げたことがある中国出版業界の翻訳事情。例えば「第26回:中国人の日本ミステリ小説翻訳者・張剣とのインタビュー」では翻訳者が決して楽に稼げる職業ではないことや、供給過多気味の現状を伺いました。
 
 そして先日、ある中国人翻訳者が出版社の原稿料支払い未納を暴露する文章を発表して話題になりました。
 タイトル:大きな出版グループとして、翻訳者をNG登録し、原稿料を支払わないのはどういうことか?https://mp.weixin.qq.com/s/zo2Va3ywQYxWJ-SxmSONxQ
 
 21歳の若き翻訳者が暴露したのは中国の有名な出版社である吉林出版集団。この翻訳者はロバート・フォーチュンの『Yedo and Peking』(日本語タイトル『幕末日本探訪記―江戸と北京』)を中国語訳文1000文字/65元(1元約16円)で翻訳し、本が出版されてから翻訳費用が振り込まれるという内容で契約書にサインしました。しかし、翻訳原稿を提出してから1年経つのに全く出版される気配がないため編集者に微信(中国のLINEのようなもの)で確認を取ったところ、NG登録されてしまい連絡すら取れなくなりました。
 そこでこの翻訳者が吉林出版集団の情報を集めると、自分の他にも料金未納の翻訳者がいることを知り、文中に数人の例を挙げました。そのうち、高村薫の『晴子情歌』の翻訳者は、本が出版されたのにお金が振り込まれていないという事情を暴露しました。
 
 この件に関して、日本在住の翻訳者・作家の張舟氏はTwitterでこのように述べています。


 
 張舟氏は2011年に吉林出版集団の「七曜文庫」というレーベルから三津田信三の『凶鳥の如き忌むもの』などを翻訳出版しています。このレーベルは上述の高村薫の『晴子情歌』の翻訳者や以前インタビューした張剣氏も翻訳本を出していて、日本ミステリ普及の裏にこのような被害があったのは残念でなりません。
 
 今回の暴露はまだ吉林出版集団からの反応がないため、一過性の騒ぎで終わってしまう可能性があります。しかしピンチはチャンスであり、他の出版社にとっては自社を宣伝するまたとない機会になるでしょう。ちゃんと原稿料を払っている出版社が翻訳者を囲って、こういうブラックな風潮をなくすことが業界の改善に繋がるので、原稿料未納問題がもっと大勢の人に広まって欲しいです。
 

■進展が見られない日本ミステリの映像化■

 さて本題の中国ミステリ業界の話題ですが、2016年の発表から全く音沙汰がなかった東野圭吾原作『パラドックス13』の中国版映画の話が、有名映画監督のジャ・ジャンクーの口から再浮上しました。とは言っても、いつ公開するとか主演は誰だなどの具体的な話は全く出てきていないため、ほぼ進展なしと同じなのですが忘れられていなかっただけマシかなというのが本心です。
 ここ2年ほどで日本ミステリ原作の中国版リメイク映画が数本公開され、東野圭吾の『容疑者Xの献身』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』や島田荘司の『夏、19歳の肖像』は記憶に新しいですし、ネットフリックスなどで日本でも見られるので存在を知っている人も多いのではないでしょうか。
 しかしこの2人だけでも映像化の話はこれだけではありません。東野圭吾は中国で少なくとも10作品の映像化の話が進んでいました。『プラチナデータ』の版権がすでに買われ、『ゲームの名は誘拐』『十一文字の殺人』がネットドラマ撮影の段階に入っているという話を聞いたのが去年のこと(どのような作品が映像化されるかについては過去コラム第33回 中国版『容疑者Xの献身』映画についてを参照)。
 島田荘司の場合は御手洗潔シリーズが映像化されるという話がありましたが、風のうわさで結構大胆な設定や構成になっていると聞いた以外、公式からのアナウンスは今のところありません。
 
 他にも伊坂幸太郎の『陽気なギャング』シリーズが映像化されるという噂レベルの話を聞いただけでそれから全く音沙汰がありません。映像化がすぐに実現しないのは当たり前といえばそうなのでしょうが、先日も中国では毎年15000話のドラマが製作されるのに実際放送されるのは8000話しかなく、約半分が塩漬けになっていて製作コストが回収できないというニュースが報道されたので、例え作ったところで放送が当分先になるのではとも考えてしまいます。
 しかし全然予期せぬところから福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』の中国版映画『動物世界』が公開されたので、情報収集は欠かせません。ちなみにこの中国版『カイジ』、マイケル・ダグラスが利根川役を演じているという点でネタ映画として扱うこともできますが、知恵比べがメインで映像的な派手さが少ない原作に見どころを追加するために、陰キャみたいな妄想癖を持つカイジがムカつく奴をぶん殴ったり、敵を化物に見たてて痛快なアクションを繰り出したり、黒服たちから逃げるためにカーチェイスをしたりするという「空想」をして無理やり視覚的効果を作っているので、今の中国映画の特徴を知る作品とも言えます。そう言えば、中国版『容疑者Xの献身』も原作にはない湯川と石神のカーチェイスがありました。


(https://www.netflix.com/jp/title/81004470)


 
 閑話休題。
 映像化の他にも、東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の他に『手紙』『白夜行』がミュージカルという形で中国で公開されています。『白夜行』はそのラストから中国で映像化は不可能と言われていたので、舞台という形を取ったのかも知れません。これまでの傾向によると日本ですでに映像化・舞台化されてヒットした原作の版権が購入されているので、今後はもっと幅広い形で中国版リメイクがつくられることになるでしょう。ただ、その一方で中国国内のオリジナルミステリドラマも数を増やしており、公開枠も有限なので国内と海外原作のせめぎあいになり、「あの日本ミステリの映像化の話どうなった?」っていう状況が続きそうです。

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)

現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

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