——ミステリー愛が試される?  あなたの知らない挫折本の世界

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:台風と地震に翻弄された9月のあと、やっと気候も落ち着いて爽やかな秋の到来かと思ったら、なんだかいつもと違う。僕のランニングコースの公園も、例年なら銀杏の実が歩道を埋め、金木犀の匂いで息苦しいほどなのに、今年の銀杏は台風でとっくに落ち、なんだか金木犀も元気がない。四季の移り変わりがこんなに分かりづらかった年は記憶にないなあ。朝夕がめっきり寒くなってまいりました。皆さん風邪などお召しにならぬようご自愛ください。

 さてさて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、いつか来るのは知っていたけど遂に来たあの大作『薔薇の名前』。1980年の作品です。

 舞台は14世紀の北イタリア。見習修道士のアドソは師のウィリアム修道士とともに山深いベネディクト会修道院を訪れた。数日後に行われる教皇派と皇帝派による「キリスト清貧論争」の決着を見届けるためだ。そこには門外不出の膨大な古今の書物を蔵する、迷宮のような文書館があり、様々な研究や写本に一生を捧げる修道僧も大勢いた。
 そんな閉ざされた学究の地で、連続殺人事件が発生する。卓越した知見と論理的思考で知られるウィリアムは僧院長から探偵に指名され、アドソを助手に事件とその背後の謎に挑んでゆく——

 さあ、来ましたよ。みんな大好き『薔薇の名前』です(震え声)。

 著者のウンベルト・エーコは1932年生まれのイタリア人作家。トリノ大学で中世の哲学や文学、美術の研究に打ち込み、卒業後はイタリア国営テレビ局で制作に携わりました。その後、記号論に傾倒し30歳になるころにはすでに記号論学者として注目される存在になっていたそうです。
 そんなエーコの最初の小説が本作『薔薇の名前』。当然、原文はイタリア語。その難解さにもかかわらず、またはそれゆえにと言うべきか、世界中で評判となり、大ベストセラーとなったのでした。

 この『薔薇の名前』の凄いところは、誰が何と言おうと疑いようのないミステリーなのに、宗教、歴史、哲学など膨大な量の情報に溢れているところ。ホームズとワトソンが関係者の間を巡って事件の解決を試みるという真っ直ぐな幹に、途轍もない量の枝葉が生い茂り、かき分けてもかき分けても中心にたどり着けない。まさに知の迷宮。とはいえ、意地の悪い衒学趣味とは違い、本来そっちで権威といわれる人がミステリーを書いたらこうなったという感じか。

 僕は読むのは遅いけど、一度読み始めたら余程のことがない限り最後まで読む派なんだけど、本作は数少ない「挫折本」でした。とはいえ、それも昔の話。そのときは体調も良くなかったに違いない。これは自分の成長を確認するチャンスだぞと思い、読み始めました。
 そうしたら、なんということでしょう!  あの難解だと思っていた『薔薇の名前』が、やはり全然進まないではありませんか! まずい、これはいかん! 10ページ読んだらもう『日曜の午後はミステリ作家とお茶を(ロバート・ロプレスティ)』が恋しくて堪らない(※9/29浜松読書会の課題本でした)。

 畠山さんはこの本とどう向き合ったのかメッチャ興味ある。

 

畠山:『薔薇の名前』は文庫になったら読もうかなぁ。そう逃げの一手を打っていた昔の自分に、さようならです。なにせ8月に福島読書会が『薔薇の名前』の読書会を行い、9月にはNHK「100分de名著」のお題が『薔薇の名前』。これはまさしく「ミステリー塾」のための援護射撃だ! と鼻息を荒くした私は、この晩夏を『薔薇の名前』に捧げ切ったのでありました。
 
 修道院の殺人事件を追うのが、バスカヴィルのウィリアム修道士と見習いのメルクのアドソ。このネーミングは完全にホームズとワトソンですよね。そして登場するなり、鮮やかな推理で僧院から逃げた馬についてピタリと言い当てるウィリアムの名探偵ぶりに惚れ惚れしまして、恐れおののきつつ本を開いた身としては、ここで少し落ち着きを取り戻せました(プロローグの「手記だ、当然のことながら」で一度失神しかけたことは忘れて)。

 文書館の建物から転落死した修道士の身に何があったのかを突き止めてほしい。そう依頼された二人ですが、翌日には二人目の犠牲者が出ます。またしても修道士が、今度は豚の生き血の入った甕に逆さに突っ込まれた状態で見つかるのです。スバラシイ!『犬神家の一族』の秘技スケキヨ・伊バージョンですよ!
 そして、次々と生まれる犠牲者は、どうやら黙示録に見立てられているらしいことがわかります。第一の喇叭でどうとか、第二の喇叭でこうとかって、こ、こ、これ悪魔の手毬唄やんか! なんだよ、ウンベルト・エーコ、横溝ファンかよ! と、テンションあがりまくり(この間に宗教論やら当時の政治情勢のお話やらで倒れかけたり、修道僧たちの秘め事の匂いでまた浮き上がったりと、忙しかったのですが)。
 
 とにかくこの大作に振り落とされまいと、ノートにメモをとりながら読み続けること3週間。いよいよウィリアムとアドソが横綱級のラスボスと対峙し、禁じられた書物に触れ、長らく僧院を支配してきた陰謀の全容が明らかにする——というそのとき、やってきたのが北海道の地震と停電です。なんとなんと、この大盛り上がりのラストを、夜の闇の中、ランタンの灯りにかじりついて読むという稀有な体験をすることとなりました。魑魅魍魎が跋扈する夜の文書館に、小さな灯りを手に忍び込むウィリアムとアドソと完全に同化。4DXもかくやの臨場感ですよ。いやぁ、私の読書人生ここに極まれりと思いましたね。普段の行いがいいからなぁ、あっはっは!

 ところで加藤さんはそれなりに楽しめたの? ウンチクとか、ウィリアムのキャラなんかはけっこうお好みなんじゃないかなと思ったけど、どう?

 
加藤:『薔薇の名前』は映画から入ったので、僕のなかでウィリアムは完全にショーン・コネリーだなあ。当時、ジェームズ・ボンドを引退してまだ間もなく、修道士の役でトンスラ(頭頂部を剃りあげてある)だったから気が付かなかったけど、翌年の『アンタッチャブル』では驚いた。007がカツラだったという衝撃の事実。そして、もう一つ、映画『薔薇の名前』といえば、やはりロン・パールマンの圧倒的な存在感ですな。

 さて、『薔薇の名前』は世界で5,500万部を売ったといわれる大ベストセラー。日本でも、東京創元社のミステリーのなかで最も売れたと言われる超有名作です。しかし、本作は、ベストセラーと聞くとホイホイ手を出す私のようなヌルい「読書好き」に、開始早々ラリアットを食らわせ、立ち直る隙を与えずサソリ固めをきめる、みたいな容赦ないストロングスタイルの作品です。売れた数がハンパないだけに、もう間違いなくダントツの「挫折率ナンバーワン」本ではないかと思うのです。

 でも、考えてみれば、本作には「迷宮のような図書館」「大昔に失われた幻の書」「暗号」「連続見立て殺人」など、ミステリー好きには堪らない要素がいっぱい。それなのに何故こんなにも苦労するのか。同じ枠のような気もするダン・ブラウン先生の『ダ・ヴィンチ・コード』は一気に読めたのに。これが、記号論学者が手を抜かずに書いた、他の誰にも真似できない濃密さというやつなのでしょうか。ちなみに僕は、何度聞いても何を読んでも「記号論」が何かわかりません。

 しかし、今回初めて最後まで読んで分かったのは、つらいと感じるのは上巻の真ん中くらいまで。下巻に入る頃にはアラ不思議、すらすらとは言わないまでも、時間を忘れて集中できている自分に気付いて驚きました。さらに、あんなに集中して読んだのに、これしかページが進んでいないという事実にもw

 本作の翻訳を担当されたイタリア文学者の河島英昭さんは今年の5月にお亡くなりになりました。文庫化に向け全面改稿が進行中と伝えられながら幾霜月。ついに新訳が完成しなかったのは残念の一言ですが、誰よりご本人が無念だったことでしょう。ご冥福をお祈りするばかりです。
 畠山さんのように「文庫がでたら本気出す」って言ってた皆さん、もう諦めて読むしかないのです。本書が「失われた幻の書」となる前に。

 

畠山:クリスマスパーティーをして、除夜の鐘をついて、初詣に行く平均的日本人の私には、宗教についての考察なんてハードルが高すぎるとビビりましたが、宗教家たちが清貧について大論争するシーンは、かなり楽しめました。思いもかけないスラップスティックな展開に軽く噴飯。ガチの宗教論争を覚悟していただけに、あの皮肉たっぷりなユーモアはいい意味で肩透かしでした。
もちろん大真面目に語られる部分もあるし、中世ヨーロッパの政治や社会背景、キリスト教の歴史を踏まえていないとピンとこないものも多いです。でもそこをちょっと辛抱して読み進めるうちに、知的好奇心が刺激されて、だんだん面白味を感じるようになっていくから驚きです!

 すみません、ちょっと盛りました。
 ときどき幽体離脱を余儀なくされるのは織り込み済みで、ぜひぜひ場面を楽しみましょう、ご同類の皆様。先ほど紹介したとおり、ミステリー的にも十二分に面白いですし、修道士たちのキャラや、ウィリアムとアドソの師弟漫才も萌えポイントです。
 私がとっても気に入ったのはアドソが生涯ただ一度の性体験をするシーンです。狂おしいほどの恋心と、禁を犯す修道士としての葛藤と、でもやっぱり肉体の悦びが何にも勝る瞬間の眩いほどの美しさ。詩的で情熱的な言葉のイリュージョン。
『薔薇の名前』はラテン語で書かれたアドソの手記がまず仏語に訳され、年月を経て私(=エーコ)がイタリア語に訳しましたという形式をとっているので、実はこの文章がアドソの書いたものと全く同じとは言い切れないのです。この場面もひょっとしたら後で演出が加わっているかも。ムフフ。

 現代にも通じる問題提起として興味深かったのは「異端」について。作中では「異端とはなんぞや」「異端はどうやって作られるか」が何度となく述べられます。「異端者」とはキリスト教以外の信仰を持つ人、もしくは信仰を持たない人だけを指しているわけではないのですね。自分が絶対的に正しい立場であろうとするために、違う考え、違う基準を持つ人たちを排除しようとする心が生み出すもの、と私は受け止めました。
 そういう考えに陥らないために必要なのが「知識」なのですが、ここでミソとなるのが僧院の文書館。知の集積場であるのは当然ですが、それと同時に、異教徒の叡智が世に出回らないよう閉じ込めてしまう場所でもあるのです。権力者や学識者が知識を独占し、人々を無知のままでいさせようとするなんて、考えるだけでも恐ろしい。
 でも多様性の受け入れとか、知識や情報がオープンであることって、私たちが暮らすこの現代でも完全に実現されているとは言い難いですよね。お話の時代から600年近く経っているわりには進歩してないのかなぁ、なんて考えさせられました。

 とにもかくにも、何カ月も前から「♪くる~~きっとくる~」と怖がってた貞子、じゃなくて『薔薇の名前』を無事に読み終えて、なぜか「終わった」というより新しい扉が開かれてスタートラインに立っているような、そんな感覚を今は持っています。読まずに死ななくてよかった!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 本連載でも屈指の難関ではなかったかと思います。『薔薇の名前』、無事制覇おめでとうございます。

 ウンベルト・エーコが近代小説に関する知見を惜しみなく注ぎこんだ畢生の大作は、我が国では1990年に翻訳書が刊行されました。1980年代に巻き起こったニュー・アカデミズム・ブームが幕引きを迎えようとしていた時期でもあり、出たてのころはとにかく難しそうに論じる書評ばかりを見かけたもので、恐ろしくてなかなか手が出せなかったことを覚えております。後日、それこそ高峰に挑むつもりで手に取ってみたところ、たしかに取り付きにくくはあるものの、プロット自体は懐かしい古典探偵小説そのものであり、シャーロック・ホームズ譚への目配せなど、処々にミステリー・ファンを楽しませようという気遣いもあり、きちんと楽しく読み通せたことに自分でも驚いたものでした。食わず嫌いとはまさにこのこと、と思ったものです。

『薔薇の名前』は読んでいくと様々な分野や作品に通じる小径=pathを発見できる小説です。ハイパーリンクが文中に設けられているようなもので、知の体系に遊ぶための手引きとして読むもよし、ただ情報に戯れるもよしで、さまざまな楽しみ方を許してくれる良書です。翻訳ミステリーと一般文学は決して遠く隔てられた世界ではなく接点には思わぬ発見があるのだということを本書は読者に気づかせてくれるでしょう。エーコはエッセイ『小説の森散策』の中でもミステリーというジャンル文学についての考えを詳しく述べております。こちらは親しみやすい内容なので、もしよろしければ。

 ところで1990年には文学書を巡る、もう1つの重要な出来事がありました。サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』(新泉社)が翻訳されたのです。ムスリム社会の中では同書に過敏な反応をする勢力があり、出版関係者に対して死刑宣告が行われて、わが国でも翻訳を担当された五十嵐一氏が殺害されました。こうしたテロ行為は決して許されませんが、「現実を浸食する物語」がエーコの重要な主題であったことを思い返すと、小説に対する態度について今一度考えたくなるのです。エーコは小説第2作の『フーコーの振り子』以降、陰謀論をライトモティーフの一つとして明確に打ち出すようになります。現実の歴史においてしばしば、物語は大きな悲劇を産みだす元凶となってきました。エーコはそのことについて忘れない作家でした。晩年の著作『プラハの墓地』『ヌメロ・ゼロ』も、フェイク・ニュースについての皮肉な物語だったのです。物語とは何かを考えるとき、負の側面についてもエーコは決して目を逸らさずに見つめ続けました。そんなことも含めて、彼の著作には大きな魅力を感じるのです。

 さて、次回はトマス・ハリス『レッド・ドラゴン』ですね。これまた楽しみにしております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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