そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
その名前を聞いただけでにやけてしまう。ついつい嬉しくなって、ウキウキした気分になってしまうくらい大好き。そんな作家って、いますよね。僕にとってはトニー・ケンリックがそれです。
大学ミス研のOBに「ウェストレイクを一通り読んじゃった? なら、次はケンリックだね」と『スカイジャック』(1972)を渡されたあの日から今に至るまで、フェイバリットな作家の一人として揺るがない地位を占め続けています。
彼の作品は愛とユーモアと犯罪の権化のような楽しさで、とにかくポップでキュート、読み始めたら最後、終わりの一ページまで読むのを止められない。
何が良いって、どの話も、馬鹿馬鹿しい程に壮大で明るいのが良いのです。
たとえば前述の『スカイジャック』がどういう話かというと、ジャンボジェットが乗客ごと消え失せてしまうという話です。これだけでも「成る程、強烈な謎を提示する本格ミステリだな!」となってしまうのですが(実際に謎解きミステリとしても「おお!」と唸る真相が用意されています)、実は真骨頂はそこから先、その謎を解こうとする私立探偵とその元妻兼秘書のコンビが繰り出すドタバタ劇の部分です。
もう、読みながら声出してゲラゲラ笑っちゃうんですよ。
マルクス兄弟の時代から連なるアメリカンなお笑いが、どんどん予想外の方向へとはみ出していく。はみ出しすぎて本筋から逸れることもしばしばですが、楽しすぎてそんなこと気にならないし、最終的には本筋に戻ってくれるので御安心。
で、こんな作品が沢山ある。
誘拐を〈する〉話でも、誘拐〈される〉話でもない、前代未聞の誘拐〈させ〉もの『リリアンと悪党ども』(1975)、冴えないおっさん三人組が口座詐欺を銀行に仕掛けたら1億6700万ドルを手に入れてしまい、その結果ギャングの殺し屋に命を狙われる『バーニーよ銃をとれ』(1976)……思い出すだけで笑いがこみあげてくる素敵な作品ばかりです。
しかし、ケンリックは笑えるだけではありません。
シリアスな小説だって書きこなすお人でもあります。たとえば『消えたV1発射基地』(1980)は所謂ナチ物の冒険小説。ナチの残党が第二次世界大戦中使われなかった、幻のV1発射基地を使ってロンドンへ攻め入ろうとする話です。で、これまた物凄く面白い。
シリアスだろうと何だろうと先に言った通りの馬鹿馬鹿しい程に壮大で明るい、というケンリックの特色は失われていないんですよね。
『消えたV1発射基地』のナチの残党の復讐なんて筋、聞いただけでも何だかドロドロしてしまいそうですが、ケンリックはそうは書かない。
それは決してそういうところから目を逸らしているからではなく、むしろちゃんとそこを見据えているから。そこを乗り越えた先でどうするか、という前向きなベクトルがあるのです。
これは前述のスラップスティックでコミカルな作品たちだってそうで、彼らの行動は現実からはみ出ていても、彼らの感情はちゃんと読者に納得できる形で描かれます。ユーモア小説の名手は誰だってそうだと思いますが、現実を見ているからこその非現実の愉しさを書いているんですよね。
今回紹介する『俺たちには今日がある』(1978)は、まさにそんな、現実を見ているからこそ馬鹿みたいに前向きで明るい作品です。
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主人公ハリーはクリエーティブ・スタジオに勤める働き盛りの年頃の独身男性。会社の大手取引先であるキャットフード会社の広告を作ってはボツにされるという毎日を送っている。
そんな彼だが、ある日突然、かかりつけの医者から衝撃的な宣告をされる。なんと、彼の余命は残り一か月しかないというのだ。
それを聞いて、ヤケになってしまったハリー。
しかし、彼を見かねた医者が、全くもって同じ状況下に置かれた女性グレースを紹介したことによって、彼の最後の一か月間は変わり始める、というのが本書の冒頭部です。
これだけ聞くと、ちょっと辛気臭い闘病ものという雰囲気になってしまうのですが、全くもって、そんなことはないのが本書の恐ろしいところです。
だって、この二人、残り一か月でやろうと思ったことがとんでもない。何をしようとするか? ……暗黒街のボスを打ち倒そうとするんですよ。
初めて会って意気投合した帰り道、二人はギャングに襲われている男を助けます。
その男、音楽教師のラムジーは、父から受け継いだ店を改装し、リサイタルホールを創ろうとしているのだけれど、ギャングがそれを邪魔しようとしているというのです。暴力を使って、その土地を我が物にしようとしている。
それを聞いたハリーとグレースの二人は、決意します。ギャングのボスを打ち倒してやろうと! この男の夢を叶えてやろうと! どうせ、あと一か月で死ぬのだから、いくらギャングが「殺してやる」と脅してこようと、暴力を振るってこようと、何も怖くはない!
かくして、ただの一般男女二人によるギャング討伐作戦がスタートする。
どうです? 辛気臭さの欠片もないでしょう?
ケンリックの作品の邦題は、上田公子氏による名訳によって、名作映画のタイトルをもじってつけられていることが多いのですが、その中でも本書は白眉でしょう。
ハリーとグレースは『俺たちに明日はない』とは考えないのです。『俺たちには今日がある』のです。
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そうはいっても、腕っぷしが強いわけでもなく、拳銃の一つさえ持っていない二人、果たしてどうやってギャングを倒すのか?
先述の通り、とんでもない粗筋をもってきているケンリックですから、その方法も、またとんでもない。
彼らが狙いを定めたのはギャングのボス、コリノスの生活です。
このコリノスという男は、どうしようもない贅沢病で、最高の家に住み、最高の秘書を雇い、最高の運転手の車に乗り、最高のシェフの作る料理を食べ、最高の娼婦を抱くという毎日を送っています。
将を射んとする者はまず馬を射よ。ハリーとグレースは、そんな彼の使用人たちに目をつけるのです。
最高の使用人たちをさらい、そしてその後……とんでもないことをする!
未読の方の楽しみを奪いたくないので、詳しくは言えません。誰が読んでも予想外のことが、予想以上の形で描かれるのです。
ここがもう、笑い過ぎてその場に倒れこんじゃうくらい面白いんだ。スラップスティックな笑い、という言葉はこのために生まれたのだと思うほどのハイテンションさ! 初めてケンリックを読む人も、ケンリックを読みなれている人も虜にしてしまうに違いない壮絶な勢いです。
ケンリック作品で一番好きなギャグシーンは? という質問をされたら、僕はこの一連のシーンを選びます。
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そうしたわけで、ゲラゲラ笑いながら読めちゃうのですが……最初に言った通り、ケンリックは、決して現実から目を逸らしません。
いくら面白いことをやっていても、ハリーとグレースの二人の余命は動かないのです。リサイタルホールを創りたい、という思いだって、二人が生きた証拠を残したいという見ようを変えれば悲壮感溢れる気持ちです。
そして、そこが、本書の最大の読みどころでもあるのです。
ゲラゲラ腹を抱えて笑った後、ふと我に返った時、どうしようもない現実と目が合ってしまった時、ハリーとグレースはどうするか。どんな会話をするか。それから、どうやって乗り越えて、前向きなエネルギーに変えるか。
おもしろうてやがてかなしき、という句がありますが本書終盤の感情はまさしくそれです。……ただし、その後にもう一度、おもしろいがつくのが、ケンリックのらしいところなのですが。
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最初に言った通り、ケンリック作品はどれもとにかく面白い。
その中でベストを選べと言われたら、悩んでしまいます。「面白いから全部読んで!」と言ってしまうかもしれません。
そんな時、「じゃあ、あなたが一番好きなのは?」と言われたら。
僕は『俺たちには今日がある』を選びます。
「笑えて泣ける」というのはコメディを褒める時の常套句ですが、本書は本当にそれを体現している作品だと思うからです。
大好きなケンリック作品の中でも、いっとう好きな、何もかもが愛おしい一冊です。
◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆
小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人二年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |