——ミステリー界の大スター、レクター博士登場!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:♪うぃーーーあーざちゃーんぴおん まいふれぇぇぇん あんうぃーーきーぽふぁぃ……
 はっ、し、失礼しました。映画《ボヘミアン・ラプソディー》にすっかりヤラれ、頭の中はクイーン・サウンドでいっぱい、なにかにつけエア熱唱してしまう日々です。
 サンタさんにお願い。一日でいいからフレディを地上に連れてきて。ちゃんと良い子にしますから(涙目)。

 クイーンのネタになると、語るわ泣くわ歌うわでウザすぎるので、そろそろ参りましょう。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、1981年の作品『レッド・ドラゴン』です。いよいよこの場にレクター博士をお迎えすると思うと、緊張で手汗が止まりません。

 殺人鬼ハンニバル・レクター、別名「人喰いハンニバル」を逮捕したウィル・グレアムはFBIを辞め、海辺の街で家族とともに穏やかな日々を送っていた。ある日、かつての上司ジャック・クロフォードが助力を求めてやってくる。連続する一家惨殺事件に頭を悩ませていたのだ。
 精神に不安定さを抱えるグレアムだったが、遺体に噛み痕を残す連続殺人犯「歯の妖精」の次の凶行を止めるべく、捜査の第一線に戻ることを決意する。凄惨な犯行現場が彼に伝えてくるのは圧倒的な狂気。グレアムには、どうしても意見を聞かなければならない人物がいることがわかった――「レクターに会わなければなりません」

 トマス・ハリスは1940年テネシー州ジャクソン生まれ。AP通信社で働いている時にネタを集め(?)、処女作『ブラック・サンデー』(1975)を発表。パレスチナ・ゲリラが飛行船でテロを企てるという奇抜なアイディアが人気を博し、ベストセラーとなりました。
 続いて『レッド・ドラゴン』(1981)を発表。脇役ではあるもののハンニバル・レクター博士という強烈なキャラクターを生み出しました。そしてそのレクター博士を主人公にして、『羊たちの沈黙』(1988)、『ハンニバル』(1999)、『ハンニバル・ライジング』(2006)を続けて発表しましたが、その後の著作はありません。トマス・ハリス自身も公に姿を現すことはないそうで、ご本人の情報はほとんど不明です。

 さぁ、きました! お待たせしました、レクター博士の登場です! パチパチパチ。ミステリー小説の名悪役はたくさんいますが、ハンニバル・レクターの右に出る人はいないのではないでしょうか。まさしくダークサイドの筆頭。芸術を愛し、料理に精通する優雅で知的な医学博士。そして類をみない残虐な食人鬼。何より驚くのはあの異常な臭覚ですね。マギーといい勝負。常人には理解不能なこの規格外の殺人者に、つい畏敬の念をすら抱いてしまいます。
 映画で名優アンソニー・ホプキンスが演じて、その地位はより強固になったように思います。映画《羊たちの沈黙》でホプキンスが登場した瞬間、「博士だ…!」と呟いてしまったことは忘れられません。鉄格子ごしにレクター博士とジョディ・フォスター演じるクラリスの指がふれそうになるシーンのあの緊迫感ったらもう!
 あ、すみません、つい映画の話に突っ走りそうになりました。

 レクター博士の話は尽きねども、『レッド・ドラゴン』の魅力はそれだけではないと声を大にして言わせてください。異常ともいえる共感能力によって被害者にも加害者にも近づきすぎてしまうFBI調査官グレアムの苦悩、そんな彼をネタとして執拗に追う新聞記者フレディ・ラウンズのク〇ぶり、FBIの各専門家の見事な連携とか、レクター博士の存在を忘れてのめり込んでしまう読みどころが満載です(博士、ごめんなさい)。

 何度目かの再読になる『レッド・ドラゴン』ですが、いつ読んでも耳の中で血管のドクドクいう音が聴こえそうな読書体験です。
 ……と言いつつ、ハリス作品で一番好きなのは、実はブラック・サンダ……じゃなくて『ブラック・サンデー』だったりします。入手困難であるのがなんとも口惜しいですね。もしどこかで巡り合いがあれば、ぜひお手に取ってみてください。それにしても、最近の「ナントカ〇〇DAY」のネーミングの節操のなさは、どうにかならんものでしょうか?

 

加藤:そういえば、ここ数年で「ブラック・フライデー」って言葉をよく耳にするようになってきたね。アメリカでは11月の第4金曜日は感謝祭で、この日にクリスマスの買い物客がどっと街へ繰り出すのだとか。ブラック・サンダーとブラック・サンデーとブラック・フライデー。さて、若い女性に大人気なのはどれでしょう?

 そして、ついにトマス・ハリスの登場です。なんだか「満を持して」って表現がピッタリくる流石の貫禄。僕のなかでトマス・ハリスは、ミステリー史を「トマス・ハリス以前」と「トマス・ハリス以降」に分けられるくらいの大きな存在です。

 そんなトマス・ハリスとのファースト・コンタクトは、実は『羊たちの沈黙』でした。映画『羊たちの沈黙』がチョー面白いというので、まずは原作を読もうと思ったのが最初。訳者はもちろん菊池光さん。当時、菊池さんの本には絶対的な信頼を置いていたのですが、期待のさらに6,000mくらい上を行く面白さ。とくかく衝撃的でした。
 その魅力的で洗練された文章、構成、キャラクター。極上のエンターテイメントであり、ミステリーとして面白いのはもちろん、菊池さんの訳で読んでさえ感じた、知的で端正な滑らかな文章が強く印象に残りました(さらっと問題発言)。
 で、さかのぼってバッファロー・ビル事件の前日譚、レクター博士が収監される話だと思い込んで手に取ったのが『レッド・ドラゴン』。話の内容は想像していたものとはかなり違ったにもかかわらず、これがもう滅法面白いではありませんか! なんじゃこりゃー、ですよ。
 ハッキリ言って、時代が変わったと思いました。今までのミステリーは何だったのかとさえ。リアルな科学捜査とかプロファイリングとか、サイコな犯人像とか、今となっては当たり前なのかもしれないけれど、すべてが新鮮で強烈だった。そして、それは今でも全く色褪せていないというのを今回の再読で発見。やはりトマス・ハリスは凄い。あたりまえだけど唯一無二の存在なのだ。

 ちょっと話は変わるけど、同じころに高村薫さんの『マークスの山』を読んで、これにも驚いたなあ。とくに警察内部のリアルな描写が衝撃的だった。同じように「今までの警察小説は何だったのか」と思ったもん。そんなわけで、この2作家との出会いは、僕の読書人生のなかで一つの大きな事件として強く印象に残っています。

 そういえば、札幌読書会では『羊たちの沈黙』&ジンギスカン読書会をやったんだったね。そのとき以来、行方不明になっている参加者がいるとかいないとか。美味しかった?

 

畠山:おいしかったよー。食べ終わってから、「子羊たちの悲鳴はやんだかね?」というレクター博士の声(『羊たちの沈黙』)が聞こえた気がしたけど、もしかして羊じゃないものも食べたんだろうか、私たち。

『レッド・ドラゴン』における私にとっての主人公は、「歯の妖精」です。彼の生まれ落ちた時の状況、容貌を損なう疾患、その後の家庭環境……今では珍しくない設定ですが、サイコなキャラの先駆者はやっぱりひと味違う。
 自分の世界に籠りきった孤独な男が、盲目の女性リーバと出会ってからの物語は切なくて切なくて。ガチのコミュ障なのに、一世一代の粋な計らいでリーバに眠っている虎を触らせてあげるシーンは、リーバの手をとおして生命のエネルギーの感触がこちらにも伝わってくるような、素晴らしい描写でした。小説のカテゴリーはサイコサスペンスかもしれないけど、私は恋愛小説としても推したいです。
 リーバは盲目というハンデとしっかり向き合いながら、自立して、確固たるプライドを持って生きる女性なので、つい応援したくなると思いますよ!

 そして調査官グレアム。特異ともいえる共感と投影の能力で「レクターという暗号」を多少なりとも解読した唯一の男です。でもその代償はとても大きく、レクターを理解できてしまう自分はレクターと同じ種類の人間なのではないか、という恐怖を抱えています。
 優秀な人だけどあくまで「普通」の神経を持つ人。そんな彼がレクター博士や「歯の妖精」の狂気に触れたら、まともでいられるはずがありません。強度のPTSDと闘いながら、被害者家族の軌跡を辿り、心を寄せていく姿は痛々しいほどです。高確率で貧乏くじ引いちゃうタイプなんですよね。

「歯の妖精」とグレアム、このなんとも気の毒な男二人を、レクター博士は適当にイジり、話をめんどくさくして、もて遊んじゃうのですよ。独房で暇だから(笑)。俗世の右往左往ぶりを高見の見物で楽しむなんて、まるで「神」じゃありませんか。あんなに凶悪なのに、しかも「食人」という禁忌を犯す人なのに、レクター博士が嫌いにはなれない。いやむしろチャーミングにすら感じる時があります。
 トマス・ハリスはどうやってこんな罪作りで面白すぎるキャラを生み出せたのか、一度でいいから訊いてみたい。

 さんざんキャラの魅力を語った後ではありますが、『レッド・ドラゴン』はキャラだけで読ませる小説ではないのです。サスペンスフルであるのはもちろんのこと、ミステリーとしての仕掛けもなされています。最後の最後に、ちゃーんと伏線が張られていたことが明かされますので、乞うご期待!

 

加藤:一連のトマス・ハリスの作品が「ハンニバル・レクター・シリーズ」といわれるのは仕方ないけど、シリーズ一作目である『レッド・ドラゴン』では、レクター博士はあくまで脇役、出番も想像以上に少ないんですよね。それでも、本作は、翻訳ミステリー好きかどうかに関わらず、説明不要、だれもが知っているハンニバル・レクター博士の始まりの物語。僕のように『羊たちの沈黙』から入って、何となく読み逃した方は、今からでも是非!
 と書いてシメようと思っていたら、疑問が湧いてきた。レクター博士は、今の若い読者にとって、本当に「当たり前のように誰もが知っている」キャラクターなのだろうか? そこにジェネレーション・ギャップ、いやジェネレーション・キレットとでもいうようなものがあったりするのではないか? ちなみに登山用語のキレットは、ドイツ語でも英語でもなく日本語なんですってね。漢字で書くと「切戸」だそうで。どーでもいいですかそうですか。

 そう、上の世代にとっては当たり前すぎて、次の世代にことさら伝えずにきたことって、結構いろいろあったりしますよね。公衆電話の使い方を教わったことがないから分からない、みたいな。
 そういえば、加賀山卓朗さんの新訳『レッド・ドラゴン』下巻の桐野夏生さんの解説も、そのパターンかも。よく考えると、『羊たちの沈黙』どころか、『ハンニバル』に至る流れを思いっきりネタバレしているという大胆さ。この解説が書かれたのは、待望のシリーズ第3弾『ハンニバル』が出て、さらに3年が経った2002年。小倉多加志訳『レッド・ドラゴン〈完全版〉』に収録されたものだそう。当時としては「『桃太郎』や『浦島太郎』のオチを書いても誰も怒らないでしょ?」と同じレベルで誰もが知っている情報だったのかも知れないけど、今や一周回って、知らない読者を想定するべきだと思うんですよね。そんなわけで、初めて読む方は解説を読まないように。

 そして、最後にいつものように考えてしまう。クラリス、私たちはこの超絶傑作の魅力を、未読の読者に正しく伝えられているのだろうか。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 1980年代末のサイコ・スリラー・ブームを牽引した存在としてトマス・ハリスの名は犯罪小説史に刻み込まれています。選書に当たっては里程標的作品として『羊たちの沈黙』を推すべきかと考えましたが、前日譚である本書から入ったほうがより楽しみは増すであろうこと、捜査陣が犯人にたどりつき、追い詰めていくまでのプロットが秀抜であることなどから、あえて『レッド・ドラゴン』を選んだ次第です。もちろん『羊たちの沈黙』も読むべき作品であり、特にあるトリックに新しいバリエーションを付け加えたことでも評価されるべきです(国内の某人気作家が最初期に発表した長篇は『羊たちの沈黙』から想を得ています)。

 本書において犯人は比較的早くに顔を出すのですが、読者にはすでに判っている解答に捜査陣がたどりつくまでが遠く、その時間差がもどかしいのです。解答のための鍵が与えられてから結末までの一気呵成の速さ。個人としては疲弊しきった二人が、自身の上位にいるものに支配されるかのように動いていくというプロットも、警察小説としてはまだ珍しいものだったはずです。単純な善悪の対決ではなく、不可避の結末に向けてすべての登場人物が突き進んでいく悲劇の構図をこのジャンルに持ち込んだという点が『レッド・ドラゴン』の新しさでした。この革新性は、警察小説をいったん解体し、権力を手に入れた人間が自身の〈殺人のためのバッジ〉をいかに悪用するかの犯罪小説として再構築した、ジェイムズ・エルロイに匹敵します。

 本文中で加藤さんが『マークスの山』に言及しておられますが、私もこの二作には共通点があると思います。『マークスの山』の場合、連続殺人犯の内面と現実の間に齟齬があり、後半に至って別視点から彼が見ていたものが描写されたときに、急に世界が色褪せたように思われる場面があります。自身の世界で必死に生きる人間が、警察という現実の代行者と闘わなければならなくなる悲劇を描いた作品が『マークスの山』であり、その犯人像は『レッド・ドラゴン』に重なって見えます。

 連続殺人犯対捜査官(あるいはプロファイラー)との対決図式は、トマス・ハリス以降に大流行しますが、その中には殺人犯の珍奇さを工夫することに意を尽くすあまり、グロテスクさのみが際立ってしまったものも少なくありません。そうした図式が陳腐化したところで現れたのがジェフリー・ディーヴァーであり、1980年代以降の連続殺人犯小説は彼とトマス・ハリスの座標にすべて位置すると私は考えるのですが、それはまた別のお話です。

 さて、次回はピーター・ラヴゼイ『偽のデュー警部』ですね。これまた期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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