本コラムで何度も紹介したことがある中国のミステリー専門雑誌『推理』及び『推理世界』(同じ会社が発行)が今年12月号で紙媒体の出版を止め、来年からは電子書籍オンリーになるというニュースが飛び込んできて、中国のミステリークラスタに衝撃を与えました。これで中国から紙媒体のミステリー専門雑誌が姿を消します。

【筆者の本棚】

 
 2005年12月に創刊した『推理』は中国大陸でも老舗のミステリー雑誌の一つとして知られ、「80後(1980年代生まれ)」や「90後(1990年代生まれ)」のミステリー好きが作家としてデビューする場所としてこれまで国内の大勢の作家を輩出してきました。代表的な作家では、黎明期の旗手・水天一色、これまで数多くの短編を発表してきた軒弦、先日長編小説『元年春之祭』が日本の「本格ミステリ・ベスト10」の3位にランクインした陸秋槎らがいます。
 
 これまで大学生を中心に愛読されてきた本誌は本屋では販売されておらず、道端の「書報亭(キオスク)」にのみ置かれていて、しかも全てのキオスクに並んでいるわけではありませんでした。更に北京を例に取ると、ここ数年で街からキオスクが減っています。これも本誌の売上に大きく関わったことでしょう。
 
 本誌では日本や欧米などの国外作品も数多く掲載していて、若者が海外の古典ミステリーに触れるきっかけも作っていました。またちょっと毛色が違う作品として、2014年と2015年にはワセダミステリクラブ関原遼平白樺香澄の短編が掲載されたこともあり、個性的な日中交流が行われたこともありました。
 
 私は中国留学中の2008年に大学近くのキオスクで『推理』を見つけて以来、ほぼ毎月購入し、働く身となった今でも定期購読で配送してもらっていました(あまり読めていませんが)。昔はキオスクに『最推理』や『推理志』などの競合誌が並んでいて、ミステリー界隈の賑わいを感じる肌で感じることができました。しかし、その後ほとんどのミステリー関係の雑誌が姿を消し、『最推理』に至っては親会社の投資の失敗で連載作家に原稿料を払えないまま廃刊となりました(第44回:中国ミステリの雑誌と賞がこの先生きのこるには)。ですので、中国におけるミステリー専門雑誌の将来を楽観視している人間は少なかったと思いますが、私にとって最後の牙城だと思っていた『推理』『推理世界』の「紙の本」から「電子版」への移行はやはりショックでした。私が中国ミステリーに興味を持つきっかけとなったというか、中国にもミステリー小説があったのかと気付かせてくれた雑誌でもあり、もし本誌がなければ私の日本帰国がもっと早くなったかもしれませんので。
 
 微博(マイクロブログ。中国のTwitterのようなもの)をのぞいてみると、本誌の読者と作家がそれぞれの思い出を語っており、やはり高校生や大学生から特に広い支持を集めていたことが分かります。そして彼らの大半は私と同じく、キオスクで偶然雑誌を見掛けてから定期購読者となった人たちばかりです。
 
 キオスクの減少による電子版への移行により、印刷費用や発送費用などがなくなるメリットがあるものの、今まで上記のような方法で読者を獲得してきた本誌が今後どういう方法で新規読者を獲得しようとしているのか分かりません。追い詰められた末の電子版移行なので、結局のところ先細りのまま数年後に電子版すらなくなってしまうのではないかと危惧しています。

 紙媒体最後の2018年12月号の連載作家陣を見ると、9人のうち少なくとも6人が「90後」でした。10年前に私が本誌を購入した時は「80後」が雑誌の中心だったので、世代交代は順調に進んでいるように見えます。そしていま、「80後」の作家たちは執筆活動を短編から長編へ移行し、国内外のミステリー小説を多く取り扱う新星出版社などで長編小説を出版しています。また、94年生まれですでに長編デビューを果たした青稞らもおり、過去の若手だった「80後」が中堅作家となって業界の基礎を固めながら、若手作家のチャレンジ精神(毀誉褒貶)溢れる作品が世に出ています。
 
 しかし、表現の自由云々に言及する以前に中国の出版業界は色々と厳しいらしく、聞いた話では来年更にISBN取得が難しくなるため、それを購入するコストが4倍になり、その結果出版数が自然と減ることになるそうです。具体的な影響は現在のところまだ不明ですが、作家の活躍の場が狭まることは確実です。
 
『推理』及び『推理世界』は電子書籍になるだけで廃刊というわけではありません。しかしこれで中国から、目に見える形態のミステリ―雑誌がなくなってしまいました。電子書籍という新しい道が逆に可能性を開拓するということもありますが、そうなるには雑誌全体を改変するような大きな計画が必要になり、今のところ誌面を一新するとかいう話も出ていないので難しそうです。この変化が時代の流れによるものなら、時代の流れに適した経営をしていってほしいです。

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
・Twitter http://twitter.com/ajing25
・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737









 
 



現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)

現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)






【毎月更新】中国ミステリの煮込み(阿井幸作)バックナンバー

◆【不定期連載】ギリシャ・ミステリへの招待(橘 孝司)バックナンバー◆

【不定期連載】K文学をあなたに~韓国ジャンル小説ノススメ~ バックナンバー

【毎月更新】非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると(松川良宏)バックナンバー