年末ともなると、海外ミステリーのベスト10やらベスト3のアンケート集計結果が各誌紙に発表されたりして、ミステリー・ファンには何かと落ち着かない日々がやってくる。このところのブームはあらためて“本格ミステリー”のマインドを有する作品とのこと。個人的には、昨今のフランス・ミステリーの進撃に気圧されたわけではないけど、ミシェル・ビュッシやジャン=クリストフ・グランジェなど、何かとフランス作家の作品が気になってしまった1年でした。
なかでもとくに驚かされたのが、フランスのベストセラー作家ギヨーム・ミュッソの『ブルックリンの少女(La fille de Brooklyn)』(2016年)。何に驚かされたかというと、その作家としての成長ぶりに。
ミュッソの作品はそのデビューまもなくの頃、日本で続けざまに紹介されていた。第2作にあたる『メッセージ そして、愛が残る(Et après…)』(2004年)を手始めに、『天国からの案内人(Sauve-moi)』(2005年)、『時空を超えて(Seras-tu là?)』(2006年)と。どうやら本国ではどれもベストセラーを記録した作品らしい。でも、日本では思ったほどのセールス結果を残せなかったのか、その後ぱたりと邦訳は途絶え、9作もの未訳長篇をはさんでの今回、ようやくひさびさの新作紹介とあいなった。
尊敬してやまないミステリー読みの先輩諸氏に言わせると「それほどの作品ではないだろう」とのことだけれど、自分は、たまたまこの初期の作品群を邦訳で読んでいたこともあって、『ブルックリンの少女』の作品世界の変貌ぶりに驚かされ正直感心してしまい、ベスト作候補として各アンケートで推してしまったというわけである。
ミュッソは、なんと自身が24歳のときに臨死体験をしているそうで、死と再生、運命、奇跡、そしてそれらをすべて包括した愛というのを大きな共通テーマとしている。邦訳紹介された作品がどれもどことなく似通っているのは、その徹底したテーマ性に依るものでもあるのだろう。貧しい生まれで孤独な主人公が立身出世して家族を築くが、そこに運命の皮肉というか試練というかで、何らかの死が待ちかまえている。どれもそんな印象である。
ただし、謎にみちた息もつかせぬ展開、映画のシーンを思わせる場面描写にファンタジー要素、何段構えにもなって用意された意外なラスト――。と、エンタテインメントの要素をたっぷりと詰め込んだヒット間違いなしのプロット作り。惜しむらくは、正直、巧いとはいいがたい小説の描き方なのだった。
それが、前述のように『ブルックリンの少女』では嬉しい変貌ぶりを見せてくれた。意外性に充ちた展開は相変わらずだが、これまでのテーマだった超自然的な要素を排し、人物造型をより深めたことで、リアルな説得力が加味されたのだろう。
肝心の内容はというと、なかなかに説明しづらいのだが、簡単に触れてみよう。
主人公ラファエルは小説家。亡妻とのあいだに生まれた幼い息子テオと暮らしているが、女医アンナと婚約している。過去をひた隠しにしていたアンナに詰め寄ったところ、自分が過去にしでかしてしまったある出来事の証拠となる画像を見せられる。その予想外の光景に驚いた彼は思わず彼女のもとから飛び出してしまうのだが、冷静になって帰宅したところ、今度はアンナが姿を消してしまっていた。犯罪捜査部の元警部である友人マルクの協力を得て、彼女の行方を追いつつ秘められた半生を探ろうとするラファエルは、アンナがまったく別の人物であり、過去の凶悪な監禁事件の被害者の一人であったことを知ることになる。
けれどもけれども、その先に幾重にも展開があって、ほんとうに思いもよらない事実が浮かび上がってくるわけです。言いたいけれど言えない。うーん。
冒頭から姿を消したヒロインを探し続ける展開は、ギリアン・フリンのベストセラー作『ゴーン・ガール(Gone Girl)』(2012年)をちょい想起させるが、ヒロインの過去に大きな影を落とすこの監禁事件という題材は、ジョン・ハート『終わりなき道(Redemption Road)』(2016年)やサンドリーヌ・コレットの『ささやかな手記(Des noeuds d’acier)』(2013年)あたりと読み比べると面白いかもしれない。先頃話題になったドット・ハチソンの『蝶のいた庭(The Butterfly Garden)』(2016年)のほうが、事件的には近いだろうか。
不思議なことにもう一つのミュッソの作品の特徴は、仏作家ながらほとんどがアメリカを舞台にしているということ。マンハッタンを舞台にしたり、ハリウッド映画的な要素が強いし、作中に頻出する音楽なんかもほとんどが英米のもので、本国フランスの音楽はあまり出てこない。過去作品でも、1950年代に活躍した社会派歌手ジョルジュ・ブラッサンス、先だって94歳にして来日した直後に逝去したシャルル・アズナヴール、そろそろ75歳を迎えようという「もう森へなんか行かない」のフランソワーズ・アルディくらい。ミュッソのなかに、アメリカへの大きな憧れがあるのではないかと疑いたくなるほどなのだ。それにしても、作中に記されるポップスからジャズ、クラシックまで、音楽関連の記述の多さはハンパない。せっかくなので、今回はざあっと羅列してみようかと。
まずは『ブルックリンの少女』から。アレサ・フランクリン、チャーリー・ヘイデン、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーのヒット曲「エボニー&アイボリー」、ケニー・ホイーラーのトランペット、ドナ・サマーのアルバム『フォー・シーズンズ・オブ・ラブ』、アレサ・フランクリンが「フリーダム!」とシャウトする「シンク」の歌詞、ビートルズ「ゲット・バック」、リッチー・ヴァレンス、ジョニー・マティス、チャビー・チェッカー、ジョン・コルトレーン、ヴァン・モリソンの昔のヒット曲、ボブ・ディラン「サラ」とアルバム『欲望』、レスター・ヤングのサックス、エリオット・スミス、アーケイド・ファイア、ザ・ホワイト・ストライプス、スフィアン・スティーヴンズ。
『メッセージ そして、愛が残る』では、合唱「真の御身」、フランク・シナトラの古い歌、ビル・エヴァンスの悲しいジャズ・ナンバー、ポール・サイモン、レナード・コーエン(元妻のお気に入り)、エリック・クラプトン「いとしのレイラ」、シャニア・トウェイン、ブルース・スプリングスティーン、トレイシー・チャップマンの生ギターによるバラード、ピンク・フロイド、ダイアー・ストレイツ、ビージーズ、アイドルになる前のマドンナ、ジョン・レノンのアルバム『イマジン』と人気曲「ジェラス・ガイ」、オジー・オズボーンのプロモーションビデオ、「クレイジー・アバウト・ヒム」、ジョー・コッカー「愛と青春の旅立ち」、ジャクリーヌ・デュ=プレ「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」、U2、パヴァロッティによる「ヴェルディのアリア」、ニルヴァーナ「アバウト・ア・ガール」、キース・ジャレット「オズの魔法使い」「虹の彼方へ」、「ウィンター・ワンダーランド」、ブラッド・メルドー・トリオ「ソングス」、ブリトニー・スピアーズ、エミネム、ヴェルディ「ナブッコ」、モーツァルト「ピアノ・コンツェルト二〇番」など。
『天国からの案内人』からは、シャルル・アズナヴールの歌詞引用「そのときから見えていた、出演者のトップにぼくの名前が……」、ダイアナ・クラール、ビル・エヴァンス、デューク・エリントン、オスカー・ピーターソン、ジョー・コッカー「ユー・アー・ソー・ビューティフル」、フランソワ・アルディのヒット曲の歌詞から「……あなたもみんなと同じ、悲しんだことのある顔してる。でも、他人の哀しみなんかに興味はない。みんな、あなたの目ほどブルーじゃないから……」、クロード・フランソワ「陽のあたる月曜日」、スヌープ・ドギー・ドッグのラップ、ジョルジュ・ブラッサンスの歌詞「はじめて抱きしめた女の子のことは一生忘れないものさ……」、ガーシュイン兄弟の名曲「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー」、レナード・コーエンの代表曲「ハレルヤ」をジェフ・バックリー風に歌う合唱、カーボヴェルデ出身の歌手セザリア・エヴォラ、ローリングストーンズのバラード「アンジー」、プロコフィエフの交響曲、ニール・ヤング「ハーヴェスト・ムーン」など。
第4長篇『時空を超えて』(潮文庫版では『あなた、そこにいてくれますか』に改題)ではぐっと記述がなくなり、イーグルスのヒット曲「ホテル・カリフォルニア」とマーヴィン・ゲイくらいか。
こうも音楽にこだわるのはなぜだろうかと思ったのだけれど、やはり多分にハリウッド映画を意識していたように思える。言うなればサウンドトラック的なもの。『ブルックリンの少女』では、アレサ・フランクリンに二度言及している。ミュージシャンズ・ミュージシャンとして絶対的に玄人評価されているのだろう。ニック・ホーンビィの代表作『ハイ・フィデリティ(High Fidelity)』(1995年)の作中でも、中古レコード店主の主人公がアレサに心酔しているらしき描写が何度も出てきたのを思い出した(ちなみにこの店の店員、スティーヴィー・ワンダーの「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」を娘のために買いに来た紳士には、在庫があるのにその曲が嫌いだというだけで売らない)。
ミュッソのハリウッド志向の証左とは言わないが、ちなみに、実際映画化もされている。『メッセージ そして、愛が残る』は、ジル・ブルドス監督、ロマン・デュリス、ジョン・マルコヴィッチ、エヴァンジェリン・リリー出演で2008年に映画化。『時空を超えて』も、『あなた、そこにいてくれますか』のタイトルになって韓国で2016年に映画化。ホン・ジヨン監督、キム・ユンソク、ピョン・ヨハン、チェ・ソジン出演。原作は映画と同タイトルに改題されて復刊された。ミュッソの永遠のテーマである〝愛と死と運命〟が同様に活かされ、さらに作品として研ぎ澄まされた『ブルックリンの少女』もまた、映像化が期待できるだろう。
◆YouTube音源
●”Think” by Aretha Franklin
*「フリーダム!」とシャウトするサビが印象的なアレサの代表曲のひとつ。動画は、アレサ本人が出演しセルフカヴァーした1980年の映画『ブルース・ブラザーズ(Blues Brothers)』から。
●”She” by Charles Aznavour
*フランスのシンガー&ソングライター、シャルル・アズナヴールの「忘れじの面影(Tous les visages de l’amour)」に、エルヴィス・コステロが英語詞をつけ、映画『ノッティングヒルの恋人』で披露した英語ヴァージョンを、アズナヴールが逆カヴァー。
●”La primière fille” by Georges Brassens
*ジョルジュ・ブラッサンスはフランスの社会はシンガー&ソングライターで詩人。ミュッソが歌詞を引用したこの「はじめての女」は、1954年発表のアルバム『N°3』に収録された。
◆関連CD
■『Aretha Now』by Aretha Franklin
◆関連DVD
■『メッセージ そして愛が残る(Afterwords)』
■『あなた、そこにいてくれますか』
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |