書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」をyoutubeで毎月更新しております。最新の十一月分はこちらですので、お時間があればどうぞ。また、二人で討論して年度ベスト10を決める、bookaholic認定2018年度翻訳ミステリーベスト10公開選定会が12月25日(火)19時より東京都内・大塚のBOOKS青いカバさんで開催予定です。クリスマスですが、聴いてみてもいいという方はリンク先からお問い合わせくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

酒井貞道

『レイチェルが死んでから』フリン・ベリー/田口俊樹訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ジョー・ピケット・シリーズの最新作、C・J・ボックス『鷹の王』では、鷹匠でもあるシリーズのレギュラー、ネイトが実質的な主役となって、独特の人生観や死生観そのままに、彼自身の物語に立ち向かう。冒頭の30ページの鮮やかさと言ったらないが、これがネイトの視点からのパートではずっと続くのである。唯一最大の問題は、正直ジョー・ピケットのパートが邪魔だということ。シリーズ全体から見れば、ジョーとネイトの絆を描いている本作は意義深いが、単体の作品としては、ジョーのパートが半分を占めるのはバランスが悪い。スピンオフにした方が完成度は上がったと思います。
 というわけで、単体の作品としては『レイチェルが死んでから』を推します。ナラティブの威力が半端ではないからだ。筋立てだけ見れば、姉を殺された妹が主役のサスペンス。それ以上でもそれ以下でもない。だがここに、一人称の主役による、連想や想起があちこち飛びまくる地の文が入ることで、得も言われぬ読み口の小説が仕上がった。たとえば、姉の死体を前にしつつ、姉に後で文句を言われると考えてしまう主人公の痛々しさと言ったらない。ただ決定的なことを隠していそうな、いや考えないようにしていそうな、いやそもそも精神状態がおかしくなって考えられなくなっていそうな、そんな陰の部分が次第に顔を出してくる。ミステリ読みなら、ひょっとして主役が犯人なんじゃないかと疑うようになるはずである。それが合っているかどうかはここではもちろん言わない。ただ、精神状態が明らかに悪い主人公の意識を逐一追う地の文は、想像以上に魅力的であることを、保証しておきたい。

 

千街晶之

『精神病院の殺人』ジョナサン・ラティマー/福森典子訳

論創社

 富裕な精神病患者専用のサナトリウムに、患者を装い潜入した私立探偵ビル・クレイン。だが、彼が来て間もなく殺人事件が起きた。医者も職員も患者もみんな怪しい状況下、死体はどんどん増え、クレインにも嫌疑がかけられる。計略を用いて病室にこっそり酒を持ち込むほどの酒びたりで、「自分はオーギュスト・デュパンだ」という演技か本心か不明な宣言で周囲を呆れさせるクレインは、傍目にはどう見ても最も怪しい容疑者だ。至るところに用意された伏線、鮮やかな推理、意外な犯人、そしてラストの怒濤の急展開と読みどころがたっぷりで、ラティマーはデビュー作の時点からこんなに高水準な本格ミステリを書いていたのかと感嘆した。

 

霜月蒼

『鷹の王』C・J・ボックス/野口百合子訳

講談社文庫

 

 毎年この季節はC・J・ボックスの季節である。もともとこのシリーズは「正義漢が苦難に遭うのに冷や冷やさせられながら最後は痛快に着地する」という点でディック・フランシスとも比べられてきたが、僕にとっては「毎年恒例の安心のお楽しみ」という意味でフランシスと似た位置になってきている。

 そういう意味でも推しのシリーズなのだが、今回はいつも以上に冒険小説/銃撃スリラーとしての色合いが濃く、それをボックス一流の自然描写のなかで展開してみせる。国際謀略スリラーのような側面もあるのも利いている。荒々しい物語をとりまく苛酷な風景とやりきれなさに、僕は今年公開の秀作映画『ウインド・リバー』を思い出した。今月はなんと村上春樹編訳のジョン・チーヴァーの短編集も出て、これはヒネクレた海外ミステリ・ファンも楽しめる一冊だと思います。

 

川出正樹

『レイチェルが死んでから』フリン・ベリー/田口俊樹訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 なんとも心を乱される作品だ。読んでいる間ずっと、ざわざわと胸の内をかき立てられ続けて気持ちが落ちつくことがない。ページをめくる手が止まらないのは、何が起きたのか知りたいという物語に対する興味よりもむしろ、早くこのモヤモヤとした状況から抜け出したいという苛立ちと、そんな感情を抱いてしまう後ろめたさによるところの方が大きい。

 それは本書が、姉レイチェルと彼女の愛犬の惨殺死体を発見してしまった主人公ノーラの一人称で進むためだ。ほぼ全編にわたって現在形で綴られる鬼気迫る心理描写に圧倒されつつも、語り手であるノーラが見聞きした情報しか判断材料がない上に、彼女自身の思考や記憶のすべてが明かされるわけではないので、警察を信用せず自身の手で犯人を捜し出すというノーラの言動そのものを信じて良いのだろうかという疑念が湧くのを抑えることが出来ない。その一方で、自身や身内が犯罪被害者となった時、人は何を思い、悔い、怒り、悲しみ、そして何を優先して行動するのかという重いテーマを突きつけられ、いやおうなく考えさせられる。だから途中で読む手を止められないのだ。『東の果て、夜へ』や『IQ』と争ってMWA賞最優秀新人賞を受賞したのは伊達ではない。一読忘れ難い傑出した心理サスペンスだ。

 今月は、世界幻想文学大賞を受賞したアンナ・スメイル『鐘は歌う』(東京創元社)もお薦め。瓦礫の街と化し、記憶を保持する力を失った人々を鐘の音が支配するロンドンを舞台にした謎と冒険の物語は、狭義のミステリではないけれども、ミステリ・ファンの琴線に触れること必至の詩情あふれる読み応え充分な逸品です。

 

 

北上次郎

『鷹の王』C・J・ボックス/野口百合子訳

講談社文庫

 こういう長いシリーズものは、これまで未読のひとにはすすめにくいが、今回は大丈夫。なぜなら、シリーズの別巻との趣があるからだ。このシリーズの名脇役ネイトが主役となる巻なのである。これまでこのシリーズを読んできた人なら、この男が何を考えているのか、なにから逃げているのか、それらの謎が解ける巻でもあるので必読書だが、もう一つは、80年代の半ばに、ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズを読んでいた中年以降の読者にもおすすめ。特に、議論をやめてしまったスペンサーに文句を言いたい読者にすすめたい。ヒーロー小説の現在、を考える上でも興味深い書だ。
 肝心の本書の内容をまったく紹介していないが、次の一言でいい。
 戦うネイトは美しい!

 

吉野仁

『炎の色』ピエール・ルメートル/平岡敦訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 これは『天国でまた会おう』に続く三部作の第二巻だが、デュマに捧げたというだけあって、悲劇と陰謀に彩られた人間模様が陰影深く描かれている。あらためてルメートルのストーリーテラーとしての才能に驚かされるばかりだ。第三巻が待ち遠しい。そのほかフリン・ベリー『レイチェルが死んでから』は、どこまでも不安な心理による視点で描かれたスリラーという異色作で印象に残った。

 

杉江松恋

『ホール』ピョン・ヘヨン/カン・バンファ訳

書肆侃侃房

 アジアのミステリーが読みたい、中華人民共和国や中華民国、大韓民国といったすぐ隣の国にもミステリーがあるはずなのに、あまり訳されないのがもどかしい、とかねがね思っていて、何か紹介されたらすぐ読もうと思っていた。結果的に「すぐ」ではなかったのだけど(この本が出たのは10月末だ)、内容紹介を見て、これはミステリーだ、と直感して読み始めたのである。当たりだった。福岡県の版元・書肆侃侃房から韓国女性文学シリーズの一冊として刊行された『ホール』、国際的な幻想文学の賞であるシャーリイ・ジャクスン賞を授かったというからちょっと警戒して読んだのだが、大丈夫、これはミステリーである。作者は数々の文学賞に輝く韓国文学界の旗手。不穏な雰囲気の、素晴らしいサスペンスであった。

 物語は単純な構造である。主人公は自動車を運転中に事故を起こし、助手席に乗っていた妻を死なせてしまう。自らも全身が動かせないばかりか、顔面損壊のために言葉を発することすらできなくなるのである。他に係累のいない彼は、義母の介護を受けるしかない。早く快復して仕事に戻りたいと焦る主人公だったが、自分が死なせてしまった女性の母親に依存するしかない生活は、やがておかしな方向へとねじれていく。

 これだけのお話である。『ホール』という題名の意味は後半でわかるのだが、主人公が落ち込んだ状況を象徴すると共に、一人称の彼の語りの中に点在する穴、意図的にかどうかは不明だが読者にさらけ出していないものを指すようにも見える。とにかく主人公はベッドの上で悶々とするしかないので、若干閉所恐怖症気味のところがある私は冷や汗をかきながら読んだ。作者が気になったので、以前に刊行された短篇集『アオイガーデン』も読んだが、こちらに収録されているのは生理的恐怖や嫌悪感を催させるように意図された作品群である。ミステリーではなく、幻想小説やSFの範疇に入る。人間がもののように扱われる局面、もしくは尊厳を奪われて石ころのように自身を感じてしまうような状況を描くために、そうした踏み込んだ表現を用いているのだと思う。腹には堪えたが、おもしろかった。ピョン・ヘヨン、今後も読みたい作家である。そして、もっと読みたいぞ、韓国ミステリー。

 今年最後の七福神は冒険小説やサスペンス、謎解き小説など、豊作の2018年を象徴するように多彩でした。来年もきっと良作がたくさん刊行されることでしょう。お楽しみに。2019年もよろしくお願いします。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧