『悪童たち』『検察官の遺言』『知能犯之罠』など複数の作品が邦訳されている中国の有名な推理小説家・紫金陳の過去作『低智商犯罪』(2020年)のドラマが5月に中国で配信されました。すでに完結済みで、レビューサイト豆瓣の評価は10点満点中8点となかなかの高得点です。

紫金陳はそれまで「高智商犯罪シリーズ」(またの名を「官僚謀殺シリーズ」)と呼ばれる「高智商」、すなわち高い知能指数(IQ)を持つ犯罪者が登場する作品を書いてきました。では「低智商犯罪」とは……?本作は警察官と犯罪者が不確定要素に翻弄されながら行き当たりばったりの捜査と犯罪を展開するコメディーミステリーです。ドラマは小説と設定が違うようですが、ここでは原作に当たる小説の内容を紹介します。

 

 

 

警察官僚の高棟のもとに匿名の告発が舞い込んだ。それは彼のライバルに当たる警察官僚・周衛東と三江口市の資本家・周栄の癒着を示すもので、この汚職を明らかにすれば彼の前途は拓けたも同然だった。しかし三江口市公安局副局長が不審死を遂げ、どこに敵が隠れているのかわからない状況では、後任の副局長は信頼に足る人物でなければならない。そこで白羽の矢が立ったのが、高棟の腹心・張一昴。大役を命じられてやる気十分の部下をよそに、高棟には一つ不安があった。それは、自分の右腕が今まで一度も頭を使った捜査をしたことがない「直感型」の刑事だということ。何の因果か、張一昴は着任早々に公安局刑事隊長殺しの疑いをかけられる。顔に泥を塗られて怒りに燃える彼は大規模な捜査を展開し、偶然にも全国指名手配中の連続殺人犯を捕まえるという快挙を成し遂げる。局内が喜びに沸く中、張一昴は汚職も副局長不審死も刑事隊長殺しも全く捜査が進んでいないことに気付く。

 

・汚職を巡るドタバタ劇

高棟は『知能犯之罠』など「高智商犯罪シリーズ」に登場する切れ者の警察官僚。その部下の張一昴もシリーズの登場人物で、高棟の指示の下、そつなく業務をこなしている印象でしたが、実際は短慮で、頭は悪くないのですが一つの考えにのめり込みやすい性格なのが明らかになります。彼の部下も困った人間が多く、余計なことをして仕事を増やす部下、市内に一人しかいないのにへそを曲げたら仕事をしないベテラン監察医、大物官僚の姪だから何かあったら大勢のクビが飛ぶというのにそんなことはお構いなしに凶悪犯と対峙したがる刑事志望の女性警官など、不安要素がてんこ盛り。さらに張一昴側でも周栄側でもない第三勢力が加わり、彼らが勝手に張った伏線が警察の捜査も犯罪者の計画も台無しにするという有り様。すると、マイナスにマイナスをかければプラスになるというように、張一昴の采配がピタリとハマって、この事件を解決できるのは彼しかいないとまで持ち上げられていきます。

 

紫金陳は「中国の東野圭吾」と呼ばれていましたが、本作はむしろ伊坂幸太郎っぽさを感じました。ドラマと小説、どちらの日本語版が先に制作されるかわかりませんが、紫金陳は喜劇もイケるということがもっと広まってほしいです。

 

さて本題。ドラマ『低智商犯罪』の配信に前後し、紫金陳の最新作『我不服』(2026年)が発売されました。おそらく『低智商犯罪』と意図的に構造を似せたであろうこのコメディーミステリーでは、インターネットが発達した現代中国が生み出した格差に焦点を当てています。

 

 

交通事故を起こして失意のどん底にあった出前配達員の胡鋼は、謎の美女から狂言誘拐の話を持ち掛けられる。彼女は超有名ライブストリーマー・冰川の妻・黄若冰を名乗り、浮気性の夫に仕返しするために架空の誘拐をでっち上げて莫大な身代金を支払わせたいから協力者を探しているとのことだった。成功報酬は100万元(約2000万円)。諸々の理由で警察の介入は絶対ないと断言されて安心した胡鋼は、誘拐で使う携帯電話や自動車を調達し、冰川に連絡する。しかし身代金の受け渡し場所に警察が見張っていることに気付き、黄若冰に文句を言いにアジトに戻るもそこには誰もおらず、報酬が入っているはずのスーツケースには女の死体が入っていた。ここでようやく、この死体こそ本物の黄若冰であり、今まで話していたのがニセモノだったと気付く。このままでは自分が黄若冰の誘拐殺人犯になってしまうと考えた彼は、自身のやり方で冤罪を晴らすために警察から逃亡する。一方、事件を担当する刑事の陳哲は冰川の言動に不信感を抱き、彼の過去を洗う。すると胡鋼と冰川が高校のクラスメートであり、先日も口論していた事実が明らかになる。

 

 

・叙述トリックか、矛盾か

狂言誘拐が失敗し、死体を押し付けられる前半の展開は東野圭吾の『ゲームの名は誘拐』にあからさまに寄せています。しかし冰川の矛盾が明らかになり、誘拐事件前日に胡鋼と会っていたことがわかると、読者と警察の疑いの目は冰川に向くとともに、胡鋼も単なる騙された共犯者だったか怪しくなります。それというのも、胡鋼が有名人の冰川に会ったのなら、「愛妻家」という設定の彼の妻の顔を知らないはずがなく、「ニセ黄若冰」に騙されることなどあり得ないからです。そして物語がさらに進むと、胡鋼と冰川、黄若冰は同郷で、顔見知りだったことが判明します。ならばこの誘拐事件が有名人を狙った金銭目的の犯罪とはますます思えません。

そこで刑事の陳哲は一つの結論を導き出します。胡鋼に狂言誘拐を持ち掛けた「ニセ黄若冰」などはじめから存在せず、この事件は最初から胡鋼一人が仕組んだものだ、ということです。

読んでいた私はここで違和感を覚えました。なぜなら胡鋼が「ニセ黄若冰」と出会い、狂言誘拐を計画するシーンは作中に間違いなく書かれているからです。

物語冒頭で胡鋼がすでに警察に捕まっていて、取り調べで黄若冰を名乗る女に騙されたなどの供述をしながら当時を回想し、その供述に従って捜査を進めたら彼のウソが次々にバレるというストーリーならまだ納得できたでしょう。しかし誰の視点を通すでもなく、神の視点の三人称で述懐された内容が偽りなら、それは作者が仕掛けた叙述トリックではなくウソにすぎません。何か読み落としがあるかもしれませんが、この点を鑑みて本作を評価することはできませんでした。

 

・中国社会の一面描く

内容だけを見れば、昨今の時流にうまく乗ったなと言いたくなる内容でした。近年、中国では配達員をテーマにしたルポやドキュメンタリーが多く出版されています。また、リストラされた中年男が家賃と子どもの学費と親の入院費を稼ぐために出前配達員として頑張る『逆行人生』という映画もヒットしました。一方、ライブコマースで商品を売りまくるライブストリーマーは中国経済を支える花形職業です。スマホというデバイスは多くの職業、チャンス、そして格差までをも生み出しました。

 

(配達員ブームの火付け役となった『我在北京送快递』の著者は胡鋼と同じ苗字の胡安焉)

 

主人公の胡鋼は高校を卒業してからずっと働いてきた38歳の中年独身男。両親に捨てられ、義理の親からは労働力としてしか扱われず、優秀な成績なのに大学入試に失敗したら社会に放り出された不遇の男です。重要なのが、胡鋼が貧乏人として描かれていないことです。コツコツ働いてきた彼はマンションの頭金を払えるぐらい貯金がありました。ところが自分の不注意で老人をひいて巨額の慰謝料を支払う羽目になり、まだ住んでいないマンションを差し押さえられ、お先真っ暗……というのが冒頭です。彼の問題はお金がないことではなく、ついていないことにあります。大学入試に失敗したことさえ、彼本人の実力ではなく、不運が関わっていました。

本作では胡鋼と冰川という二人の男の対照的な半生を通じ、一度の配信で大金を稼げるライブ配信を才能も努力も不要な「誰でもできる」虚業として描くことで、運とは、そして運命とは何なのかを書こうとしています。中盤、胡鋼にライブストリーマーとして一攫千金を得られるチャンスが舞い込みます。そのおこぼれにあずかろうとする親戚から背中を押される中、胡鋼は「自分はもう18歳でも28歳でもなく、38歳なんだ」と言ってチャンスを拒み、出前配達員を続けるシーンがあります。そこからは、お金なんかではもう取り返せない青春への無念さや、いまさら生き方を変えられない不器用な意地などの複雑な思いが伝わってきます。

本作のタイトル『我不服』は、「納得しない」「不服だ」と訳せますが、読み終わってから考えると、「屈しない」がふさわしい意味だと思えてきます。失敗続きの人生であろうとも理不尽にめげず、差し伸べられた救いの手を軽率につかまず、不運にも幸運にも惑わされない。主人公を38歳という設定にしたのも、「四十にして惑わず」を意識してのことだと思います。

 

本作が「『低智商犯罪』と構造が似ている」と前述した通り、この作品にも第三勢力が登場します。誘拐事件の背後で実はとある犯罪者が暗躍していた、と物語後半で明らかになるのですが、『低智商犯罪』と比べると、別にいなくても良かったです。てっきりコイツラが「ニセ黄若冰」の伏線を回収してくれるのかと期待したのですが、そういうわけでもなかったですし。

結論から言うと、『低智商犯罪』の方がクオリティは高いですが、『我不服』は中国社会がいま何に注目しているのかがわかる作品としてオススメです。これも一種の社会派ミステリーということでしょうか。

 

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
・Twitter http://twitter.com/ajing25
・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737



現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


【毎月更新】中国ミステリの煮込み(阿井幸作)バックナンバー

◆【不定期連載】ギリシャ・ミステリへの招待(橘 孝司)バックナンバー◆

【不定期連載】K文学をあなたに〜韓国ジャンル小説ノススメ〜 バックナンバー

【毎月更新】非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると(松川良宏)バックナンバー