みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
前回「ノワール」(νουάρ) についてちょっと書きました。
ミステリ・アンソロジーのタイトルによく使われる語で、ハードボイルドや犯罪ものだけではなく、警察捜査ものからパスラー派、ユーモア、ホラーっぽい作品まで幅広く含んでいます。といっても、雰囲気はやはり《黒、闇、裏》とか《醜、悪》のイメージですね。ギリシャ人にとってミステリ小説の核心は《謎》(もちろん大事ですが)よりも《罪、犯罪》だからでしょうか。
今回は「ノワール」つながりでギリシャを飛び出し、ちょっと珍しいバルカン諸国の短編アンソロジーをご紹介します。
◆ バルカン諸国のミステリとは
ヴァシリス・ダネリス Βασίλης Δανέλληςとヤニス・ランゴス Γιάννης Ράγκοςは本エッセイに何度も登場した作家です(それぞれエッセイ第9回&43回、23回)。勢いあるこの二人がタッグを組んで編纂した書下ろしミステリ短編のアンソロジー『バルカン・ノワール』(BalkaNoir)が2018年に出ました。
バルカン七か国から三篇ずつ選ばれた計21篇がギリシャ語に翻訳され、収められています。国ごとの解説「ミステリ小史」も付いています。
![]() ヴァシリス・ダネリス&ヤニス・ランゴス編『バルカン・ノワール』 カスタニオティス出版社、2018年。 |
しかし、そもそも「バルカン」ってどこを指すのでしょうか? ハンガリーやルーマニア、スロヴェニアもバルカン地方? 南の端は多分エーゲ海やイオニア海なのでしょう。では、北はどこまでなのか? だいたいギリシャもバルカン? ならばペロポネソス半島はバルカン半島の一部? 素朴な疑問があれこれと浮かびます。
バルカン史の概説書、例えば柴宣弘『図説 バルカンの歴史』(鮮やかな写真、図版が満載の愉しい本)を覗いてみると、地理的観点と歴史文化の観点から「バルカン」の定義には少しずれがあるといいます。地理的にはスロヴェニアからセルビアを横断するサヴァ川と、ブルガリアとルーマニア国境を流れていくドナウ川が北端。一方、歴史文化面からのまとまりとして考えると、ビザンツ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響を色濃く残す国々が含まれます。そうすると、ルーマニア、クロアチア、南のギリシャ、それにヨーロッパ部のあるトルコまではバルカン地方ですが、ハンガリーやスロヴェニアはその外になるようです。
| 柴宜弘 『図説 バルカンの歴史 』、河出書房新社、2015年。 |
さて『バルカン・ノワール』ですが、収録されているのはギリシャ以外に、スラヴ系からセルビア、クロアチア、ブルガリア、スロヴェニア。加えてルーマニアとトルコの計七か国です。アルバニアやモンテネグロが漏れたり、スロヴェニアが入ったりしていますが、歴史の解説書でもないので、珍しいバルカン諸国のミステリを気楽に愉しむことにしましょう。
最初にちょっと思ったのは、各国からわずか三作ずつで、しかも編者たちの企画に賛同してくれた作家たちでしょうから、これをもって各国ミステリの特徴というわけにはいかないのでは、という疑問です。
この点を編者ダネリス&ランゴスは「序」の中で説明してくれます。
収録作の選定にあたっては、限られた作品数のため、各国の特色や趨勢を十分に反映するわけにはいかない。そこでこの点をできるだけ克服するため、作家たちの世代と作品タイプはあえて異なるものを選んでみた、といいます。また、ストーリー設定は現代で、地理的には自国内で展開する作品を採ったそうです。その国の今の社会とリンクするように、歴史ものや国外が舞台の作は避けたということでしょう。
読者としては文学を研究しようというのでもなく、お話が愉しめればいいのですが、せっかく読むのですから、ほとんど知らない世界の作品に対するこちらの思い込みを修正してほしい、すっかり打ち壊してもらってもかまわない、という期待もあります。セルビアやクロアチアのミステリ物語には内戦の傷跡が色濃く残っているのか? ルーマニアは東欧唯一のラテン民族という矜持が現れるのか? トルコ作品ではイスラム保守層と西欧に目を向ける若者たちが鋭く対立しているのか、といった勝手な先入観です。
実際はどんな姿を見せてもらえるのでしょうか。これこそが愉しみです。
ところで、この編者の「序」がなかなか面白い。二年間かけて、七か国のミステリ業界の現状を調査し、ギリシャ国内やそれぞれの国の翻訳者、出版社と連絡を取りながら、代表作家のリストを作成し作品を選んでいくプロセスがスリリングに語られます。
まずは、国際推理作家協会(AIEP/IACW。1986年にメキシコ人作家パコ・イグナシオ・タイボ二世らが中心となって、ラテン・アメリカや東欧諸国の独裁政権の検閲に対抗し、ミステリ作家の自由な創作を求める目的で、キューバで創設)のエマヌエル・イコノモフ(ブルガリア)とボグダン・フリブ(ルーマニア)に計画を相談すると、熱狂的に賛同され、本人たちの作品執筆も約束してもらいます。ところが、続いてアルバニア作品を翻訳家や出版社に打診したところ「驚くべきことに」、うちの国にはミステリ関係では有力な作家がいないんです、との返事。ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、北マケドニアも似たような反応だったらしい。一方で、トルコ・ミステリは出版業が順調で情報も多く、すでにギリシャ語訳もあって(アフメト・ユミート、ジェリル・オケール、スーピ・ヴァルム)、さして問題はなかったようです。難航したのはクロアチア、セルビア、スロヴェニア人作家の選択で、編者たちが作成したリストを叩き台にして、信頼できる翻訳者や出版社の意見を取り入れながら、ようやく選出。編者二人にとってさえまだ十分には知られていないバルカン・ミステリを発見しようと、さながら暗い水に潜り続ける困難な作業でしたが、最新のパノラマを提示できた結果に満足しているそうです。
ごく大雑把にいって、バルカン・ノワールの史的発展にはかなり平行した動きがあるようです。
各国の先駆的な作品は19世紀終わりから20世紀初めに見られますが、バルカン戦争と二度の世界大戦が影を落とし、その後はたいして発展しません。最初の興隆は第二次大戦後になります。しかし最初は英米のミステリやスパイものの模倣が多く、雑誌・新聞の連載や廉価なポケット版で出回るのが常で、まっとうな文学作品とは見なされず、それを恥じてか作家たちもペンネームを使用していました。
その後、流行作家が登場し(ギリシャのヤニス・マリス、ブルガリアのアタナス・マンダジーエフ、クロアチアのミラン・ニコリッチなど)、ミステリは愉しみ味わう価値がある読みものとして、読者層の支持を得るようになります。ミステリ映画やテレビ・ドラマも流行を後押ししました。しかし他方で、文芸批評家たちは依然敵視するか、無視する態度を続けます。
東西冷戦の緊張は、再びバルカン・ミステリの興隆を阻害することになります。共産主義の国々のみならず自由主義のギリシャ、トルコでさえ、権力側のプロパガンダでは自国こそが楽園なり、「犯罪」など存在せず、が建前なので、そういうところに「犯罪」の深層に迫るミステリ小説は創造されにくいわけです(そういえば、アンドレイ・グリャシキ『007は三度死ぬ』の主人公はストイックな学究肌のブルガリア人諜報部員で、敵対する英国の007は拝金物質主義に堕落した社会の奸物でした)。90年代に共産主義体制が次々と倒れていき、旧ユーゴ連邦諸国、ルーマニア、ブルガリアでミステリがようやく再生を見るのは偶然ではないようです。ギリシャでミステリ再興の機運が高まるのも、同じ90年代半ばでした。
さて、肝心の作品です。
まずはスラヴ系四か国から簡単にご紹介していきましょう。
正教・キリル文字のセルビアとカトリック・ラテン文字のクロアチア、という対照的な二国ですが、セルビアの方が保守的でミステリ作品も生真面目な現実志向、他方クロアチアは西欧に接近し、開放的な娯楽作が多いのでは、と根拠もなく勝手に思い込んでいました。島田荘司『リベルタスの寓話』では、クロアチアやボスニアの戦場での残虐と復讐の連鎖が生々しく描かれますが、本国の作家たちが描く世界はどうなのでしょうか?
クロアチアで最初に登場するのはロベルト・ペリシッチ「下り」Robert Perišić, “Silazak”です。
1990年代初めクロアチア紛争の際に、山に籠もって政府軍に抵抗してきた兵士が、陥落を覚悟した勇猛な隊長から脱出するように命令されます。逃走用にもらった資金を手にして山を下っていきますが、これまで歩んできたおれの人生は何だったんだ? ただの「偶然」の連続にすぎなかったのか、それとも見えざる「運命」に操られてきたのか? 下り坂の向かう先はいったい? 兵士の内部は分裂していきます。
ペリシッチはすでに6作品を発表しており、代表作『我々のフィールドレポーター』(Naš čovjek na terenu, 2007) はイラク戦争を報道する若き新聞編集者の姿に、共産主義崩壊後の東欧の姿を重ね合わせた社会派小説だそうです(14か国語に翻訳)。『世界の果ての猫』(A Cat at the End of the World, 2022) は古代ギリシャの少年奴隷とネコが、諸民族の栄枯盛衰を知る風の霊に追われながら、自由を求めてダルマチアへ旅するファンタスティックな話らしい。
ロベルト・ペリシッチ『我々のフィールドレポーター』、2014年、英訳。
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クロアチア二番手はネナド・スティパニッチ「バレない限りビジネスマン」Nenad Stipanić, “Biznisman si dok te ne uhvate da nisi”。
米国マフィアの親分に似ているため《ラッキー》と呼ばれる若きボクサーの生涯が、クロアチア紛争を背景にして語られます。ザグレブの高級ホテルには戦争難民が収容されている一方で、そのカジノやレストランに横暴な政府機関の用心棒やら、お尋ね者のロマ人兄弟やらが押しかけてきますが、《ラッキー》は体を張って防ぎます。しかし次第にそんな生活に愛想をつかし、スロヴァキアのマフィアに接近していくのですが……求める出口はあるのか? 豪奢なホテルにたむろする後ろ暗い実業家、政治家、将軍たちの姿がなんとも不気味です。
スティパニッチはクラブ、カジノの守衛、ボディガード、画廊主、古物屋といった職を点々とした経歴を持つそうで、たしかにキャラの造形やストーリー展開にも充分に活かされています(物語としてはクロアチア三人衆の中で一番読ませる)。『犯罪に耽るはまこと素晴らしき』(Stvarno je odlično baviti se kriminalom, 2015) はクロアチア(およびバルカン諸国)ミステリが対象の《バルカン・ノワール》最優秀クライム・ノヴェル賞を、また『聖母のボディガードたち』(Izbacivači Majke Božje, 2012) はクロアチア文化省賞を受賞するなど、高い評価を得ています。
外国語訳が見つからなかったので、Odlino je baviti se kriminalom : roman nezaštičenog svedoka(『犯罪に耽るは素晴らしき――護られざる証人の物語』、2009年)の書影をどうぞ。
![]() ネナド・スティパニッチ『犯罪に耽るは素晴らしき――護られざる証人の物語』2009年。 |
この二人が現実の戦争を直に作品にリンクさせているのに対し、犯罪へ転がっていく個人の心中をストレートに描くのがイヴァン・スルシェン「驚き」Ivan Sršen, “Iznenađénje”です。
家族のない独り身の《私》は二十数年ぶりに恋人と邂逅。「四十五歳までに生活が安定しなければいっしょに強盗に入ろう」というかつての他愛ない冗談を実行するよう迫られ引き摺られていきます。本人はそんな約束したっけ?と困惑顔。
デビュー作『サハラ砂漠の熱風』(Harmattan, 2014) は英語、ギリシャ語、スロヴェニア語に訳されています(ナイジェリアの女性難民が書類不備のためドイツで逮捕され、同じ境遇の囚人たちに親近感を覚えるものの、スケープゴートを物色するカトリック神父の罠にはまるスリラーだそう)。また、ミステリ・アンソロジー『ザグレブ・ノワール』(2015年) も編集しています。
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ペリシッチとスティパニッチの作品は現実の戦争とその惨禍と絡めながら非情な社会の闇を暴き、スルシェンもデビュー作ではハードな社会情勢の中であがく人物を描きます。「ミステリ小史」では、三人とも21世紀以降に現れた第三世代の実力派ミステリ作家として言及されています。
意外なことに(私にとってですが)、このクロアチアよりもセルビア作品の方が社会のリアリティーから少なからず距離を置き、あの手この手を凝らしながらエンタメを追及している印象を受けました。
セルビアの一人目、ヴェリツァ・ヴィンツェント・コール「殺しのシナリオ」Verica Vincent Col, “Scenario za ubistvo” はともかく設定がトリッキーです。
ミステリ小説コンテストのリアリティーショーが企画され、最終候補十二名が山麓のホテルに三か月泊まり込んで執筆に専念します。テレビ局スタッフは週に一度だけ訪問。優勝者は高額の賞金がもらえ、英国大手出版社から作品刊行が約束されます。中にはすでに名のある作家もいて、駆け出しの《私》は「ポニーテールのお嬢ちゃんはクリスティーになりたいのかい?」とからかわれる始末。毎週ランキングが発表され、一人ずつ脱落していきます(死者の出ない「そして誰もいなくなった」ですね)。《私》は意外にも4位5位あたりをキープしていますが、作家たちの背景が明かされるとともに、ホテルが異様な雰囲気になっていき、やがて一人が命を落とします(リアリティーショーとミステリの組み合わせは、以前台湾で見た日本映画「インシテミル 7日間のデス・ゲーム」をちょっと思い出しました)。
コール女史はベオグラード生まれで、マルタ在住。長編『罪と怒りと都市』(Greh gnev i grad, 2007)、『魔法の劇場』(Magični teatar, 2010) などのほか、英語による『罪と夢のマルタ日記』(A Maltese Diary of Sins and Dreams, 2019) もあります(自身をモデルにしているのでしょうか?)。
| ヴェリツァ・ヴィンツェント・コール『罪と夢のマルタ日記』、2019年。 |
ジョルジェ・バイッチ「雌鹿」Đorđe Bajić, “Košuta”はベオグラード警察殺人風紀課のニコラ・リーマン警部が主役の警察捜査もの。警部は麻薬王《ハイエナ》の手から殺人事件の証人となる女性を護る使命を受け、忍び寄る罠をかいくぐって二人は逃げ続けます。わりとストレートな展開ですが、地下道を通る脱出劇あり、バズーカを隠れ家に撃ち込んだりと、映画のような派手な映像が目に浮かびます。
バイッチは2010年のホラー・アドヴェンチャーもの『呪われた者たちの島』(Острво проклетих) でデビューし、2013年『黄色のレインコート』(Жута кабаница) 以降リーマン警部をシリーズキャラにしたミステリを発表しているそうで、第四作『ピンク色の死』(Smrt u ružičastom, 2021) は英訳されています。
| ジョルジェ・バイッチ『ピンク色の死』、2023年、英訳。 |
三人目マルコ・ポポヴィッチ「隠蔽」Marko Popović, “Zataškavanje”は倉橋由美子もビックリの《二人称語り》です。こういうミステリ初めて見ました。
ギャンブル業で稼ぐ実業家《蛙》が亡くなり自殺とされますが、医者である娘はこれに抗議、難民の犯行であるのは明らかなのに警察が隠蔽しているのよ、と激しく抗議します。殺人風紀課警部の《おまえ》(!)がイラク人やシリア人の集団に聞き込みをして回りますが、すんなりとは進まず、相手との衝突が止まりません。ようやく、アレッポ出身の男が密かに家族と国外脱出を図ろうとしている、との情報を得ますが……
緊迫する社会情勢を織り込んだ警察捜査ものながら、けっこう直球フーダニットの展開です。ただ、この語りの狙いはちょっとわかりませんでした。語り手の警部が距離を置いて自分の心のうちを覗き込んでいる、ということ?
ポポヴィッチはベオグラード大学演劇学科の出身で、ニューヨークで演出を学び、短編映画製作やテレビ・ドラマの脚本を書いたりしているそうです。2016年のスリラー作『過ちの一歩』(Jedan pogrešan korak) で売れっ子になりました。
外国語訳が見つからなかったので、『過ちの一歩』の原書の書影を挙げておきます。
| マルコ・ポポヴィッチ『過ちの一歩』、2016年。 |
セルビア作品三作、思いのほか破壊力のあるエンタメ志向で、こちらの先入見を心地よく打ち壊してくれました。
スロヴェニアのミステリに触れるのは初めてでワクワクします。というか、スロヴェニアという国自体私にはいまだ神秘に包まれていて、イタリア、オーストリアのすぐお隣りのカトリック国で首都リュブリャナ、90年代初めクロアチア紛争で旧ユーゴ連邦から独立、くらいしか知りません。あとNBAならスーパースターのルカ・ドンチッチですね。
まずは、ゾラン・ベンチッチ「人嫌いのポーカー」Zoran Benčič, “Poker mizantropov”。
脚本家の《私》は癌の最終ステージで余命数年。この先どう生きるべきか、クリニックのベッドで思い悩んでいます。投薬のせいか、ときおり記憶に空白が生じ、これはまずいとひたすらメモを取るのですが、読み直すととんでもない内容です。知人のTVプロデューサーと組んでなにやら危ない撮影をやっているらしい。無意識のうちに行動する極秘の内容とは何なのか? いったいどこまでが現実で、どこから悪夢なのか、読んでる方も目が回りそう。
ベンチッチは長編『永遠の犬たち』(Psi brezčasja) が「オステルベルク事件」(Case: Osterberg, 2015、Matej Nahtigal監督) として映画化されています。マルチな才人のようで、作家業にとどまらず、ロックバンドRes nulliusのヴォーカルや作曲もやってるそうです(YouTubeでCase: OsterbergやRes nulliusを検索するとスタイリッシュな予告編や曲が出てきます)。
レナート・ブラトコヴィッチ「マイナス1」Renato Bratkovi, “Minus ena” は「私は人助けが好きです」で始まり、電話「お悩み相談室」の光景が続きます。軽妙な会話のみで構成され、リーダビリティーはいうことなしですが、内容があまりにもブラックです(タイトルも意味深)。作家本人が短編映画にしています。
![]() レナート・ブラトコヴィッチ監督・脚本『マイナス1』、2017年。 |
アヴグスト・デムシャル「スヴォボダ夫人の目」Avgust Demšar, “Stal je pred njo” は「マイナス1」とは別の方向にキレてる作品です(トマス・フラナガンのある短編を思わせる)。
冒頭、男が愛人から信じがたい話を打ち明けられます。愛人はあるきっかけで夫を殺してしまったというのです。日々の生のむなしさを感じ始めていた男はどう行動すべきか迷います。脳裏には警察の尋問、法廷でのやり取り、証拠隠匿の発覚、あるいは逆に、地中海へ二人で逃避行、悠々自適の生活といった妄想が次々に浮かびあがり、愛人(とはいえ他人)の罪にどう向き合うか岐路に立つ男の焦燥が浮き彫りに。リドル・ストーリーっぽい結末が強烈です(が、実は伏線を私が読み飛ばしたのかもしれません)
デムシャルはミステリ作家、シナリオライターで、2007年『バルコニーのオイル』(Olje na balkonu) 以降ヴレンコ警視が主役のシリーズを9作出しています。
![]() アヴグスト・デムシャル『バルコニーのオイル』、2007年。 |
以上スロヴェニア三作はそれぞれが別々の方向へと全力疾走しており、印象は実に強烈です。その分この国のミステリの傾向を一言でいうのは難しい感じもあります。付された「ミステリ小史」には、2000年代以降少しずつ流行し始めたミステリの代表作家として、この三人の名が挙がっています。特にデムシャルは、人物の性格や地域社会の特異性を描出する才能で高く評価されているようです。本作「スヴォボダ夫人の目」からも手練れの小説作り、という印象を受けました。
スラヴ系の最後はブルガリアです。
セルビアと同じく正教の国ですが、実はブルガリア語は言語の面で上の三か国と少々異なります。言語学概論ではこの変わった特徴を持ついくつかの言語が《バルカン言語連合》として紹介されます。その特徴というのは、例えば、ロシア語と同じく複雑な名詞変化を持つセルビア語やクロアチア語に対し、ブルガリア語ではこれが簡素化され、与格形と属格形が一つになってしまったこととか、不定詞が消失したとか、定冠詞が名詞の
で、そんなことよりも……ブルガリア人作家三人ですが、以前エッセイ第7回で少しだけ書いておきましたが、もう一度簡単に繰り返しておきます。
エマヌエル・イコノモフЕмануел Икономовは上で少し触れましたが、AIEP/IACWの副会長、会長職を2000年から務める大物作家です。1980年にデビューし、SFとミステリにわたって、100篇以上もの長短編を発表しています。
「制限超過」“Надиграване”はソフィア東の小さな田舎空港で大型車両の展示会が行われる中、車のトランクから刺殺死体が発見されます。殺されたのは村の運送会社の社長。息子を麻薬で失い、妻は愛人と駆け落ち、経営も不振で借金まみれという悲惨な状態でした。車の仲買人が探偵となって謎を追います。タイトルも意味深な、キャラたちの暗闘死闘のお話。手馴れたフーダニット作です。
本人のHPは以下で見られます。
![]() エマヌエル・イコノモフのホームページ。 |
アンドレヤ・イリエフ「天使と悪魔が争うとき」Андрея Илиев, “Когато ангел и дявол се карат за теб” は卒業式の日に不良を殴り倒して収監中の不良の《俺》が、魅惑の女弁護士から途方もない話を持ち掛けられます。《俺》の中で良心と欲望、それに諦観がいい争う、ストレートなノワール作。
イリエフはすでに20作以上を発表している人気作家だそうです。
ボリャナ・ドゥコヴァ「女性風のスリラー」Боряна Дукова, “Трилър по женски”。
女主人公は数か月前に知り合い恋人となった射撃選手の戸棚に鞭を見つけ動揺、口論となって部屋を飛び出します。その後恋人の元彼女が射殺され、怪しいと思われていた恋人自身もマンションから転落死を遂げてしまいます。何やら薄気味悪い陰謀が主人公の周囲でジワジワと張り巡らされているよう。彼女の抱える不安や恐怖の描出が秀逸です。
ドゥコヴァはもともとスペイン文学者で、翻訳も出しています。ミステリ長編には『血のマラガ』(Кървава малага, 2012) 、『ディエゴの後悔』(Разкаянието на Диего, 2014) など。後者は2015年《アタナス・マンダジーエフ》賞ミステリ部門Atanas Mandadjiev Great Awardを受賞しています。
![]() ボリャナ・ドゥコヴァ『ディエゴの後悔』、2014年。 |
大物作家のストレートなフーダニットと新しい世代のクライム・サスペンス&心理スリラー。同じ国から異なる作風の作品を収録したい、という編者たちの目論見がピッタリはまった例がこのブルガリアでした。
スラヴ系四ヶ国が終わり、次へ進みましょう。
東欧のキリスト正教の国ながら、ラテン民族・ロマンス語派という特異な位置を占めるのがルーマニアです。
収録された三作は古典的な謎解き・捜査ものの味わいを持ち、何だかなつかしく読みました。「ミステリ小史」でも1989年の革命以降ミステリ小説が少しずつ普及し始め、特にフランス・ミステリの影響が大きいけれど、クリスティーは別格の扱いだとされています。
この点を強く感じるのはルチア・ヴェロナ「雨の中の死体」Lucia Verona, “Mort în ploaie” です。
シリーズ探偵のステラ・マリアン=ハリントンは英国人貴族と結婚したルーマニア人のソプラノ歌手で、六年前に事件を解決して以来、素人探偵として活躍中です。久しぶりに帰国したステラを親友の作家アガタが出迎えます。まさにクリスティー風味全開です。
突然の豪雨にみまわれた夏のブカレストの街路で富豪の絞殺死体で発見されます。独身で秘密主義、マスコミには登場しないものの、マネーロンダリングなど黒いうわさの絶えない人物でした。ステラは旧知のゾルニチェアヌ警視から依頼され(ジャップ警視の分身ですね)、捜査に協力します。胃の残留物から殺害現場が特定され、秘書、運転手、遺産を贈られたと主張する友人など容疑者が続々と登場、まさに英国コージー派の愉しい世界が展開します。結末もなかなか爽やかです。
ヴェロナはルーマニア三人衆の中で一番のベテラン作家です。もともとオペラ歌手になるのが夢だったようで、ブカレストの音楽アカデミーで学んでいます(その辺が探偵ステラに投影されているんでしょうね)。舞台劇の脚本を多数書き、いくつかは翻訳されて米国、フランス、ドイツなどで上演されているそうです。小説も『ドン・ジュアンとその他の人々』(Don Juan și ceilalți, 1997、仏訳あり)、『カンガルー抜きで』(Fără canguri, 2009、不思議なタイトル!)などが高く評価されているとか。2010年の『五十年祭の殺人』(Crima de la jubileu) 以降ミステリにも手を染め、『死は低予算で飛び行く』(Moartea zboară cu low cost, 2012)、『古い町の犯罪』(Crimă în centrul vechi, 2015) など、いずれも歌手探偵ステラが事件に挑みます。シェークスピアの翻訳も多く、ルーマニア翻訳者協会の翻訳賞を受賞しています。
ミステリ・デビュー作『五十年祭の殺人』と『ドン・ジュアンとその他の人々』の仏語訳が見つかったのでリンクしておきます。
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ルチアン・ドラゴシュ・ボグダン「溺死事件」Lucian Dragoş Bogdan, “Un caz de înec”は警察捜査ものですが、遺族に事件を告げたり遺体確認に立ち会ったりするのが苦痛でたまらない、人情家オレル警視の姿が印象的です。ブカレストのコンプレクスル公園の人工池で作家の溺死体が発見されます。母親と障害のある兄との汲汲とした三人暮らしで、古い世代を代表する文壇の大御所からは手厳しく批判されていました。ところが、変死を機に作品が再び注目されて売れ始めます。「スティーグ・ラーソンも没後に大ヒットしたんだよな」とは出版者のつぶやき。繰り返される『ミレニアム』ネタがヒントとなる愉しいフーダニットです。
ボグダンはブカレスト西部の生まれ。もと経済学専攻ですが、重複障害児クリニックでの勤務経験があり、「溺死事件」にもその光景が挿入されています。ミステリ以外にSF作品も執筆しているようです。
以下は作家本人のホームページで、作品の書影が並んでいます。『バルカン・ノワール』のカヴァーも見えます。
![]() ルチアン・ドラゴシュ・ボグダンのホームページ。 |
ルーマニアのトリを務めるのはボグダン・フリブ「区域の犯罪」Bogdan Octavian Hrib, “Crimǎ de cartier”。『バルカン・ノワール』の心強い協力者の一人です。
ブカレストのクーザ公園(「溺死事件」とは別の公園)でカメラを手にバードウォッチング中の男が、
デメトリアーデ警視が若き才媛パンドゥラールを助手に捜査を開始。被害者は売れっ子建築家。秘書との不倫の噂、さらに会社ビルの改修の様子から手掛かりを得た二人は、首都西方の村へ向かいます。
外国からの投資や土地買収、マフィアが絡みますが、タッチが暗くならないのはデメトリアーデ警視とパンドゥラール嬢のずれた会話が笑わせてくれるからです。自分は鷹揚で若者にも受けがいいはずだと思い込む警視が、生真面目な優等生を前に「タメ口で話そうじゃないか」。対して、パンドゥラール「警視……わたくしには無理です。たぶん次回の事件から」
フリブは土木工学を専攻してから、フォトジャーナリストとなり、90年代から出版業にかかわっています。2005年にサラダのレシピー(!)を出版して以降、ジャーナリスト探偵ムンテアヌを主役とする『グリーク・コネクション』(Filiera grecească, 2006)、『写本の呪い』(Blestemul manuscrisului, 2008)、『ソマリア、わが愛』(Somalia, Mon Amour 2009)、『将軍を殺せ』(Ucideţi generalul, 2011、ブカレスト作家協会賞)、『大臣の情念』(Patimile doamnei ministru, 2016) などを発表しています。『将軍を殺せ』と『グリーク・コネクション』は英訳があります。
| ボグダン・フリブ『将軍を殺せ』、2011年、英訳 。 ボグダン・フリブ『グリーク・コネクション』、2015年、英訳。 |
六ヶ国目トルコの登場です。
まずは、私の勝手な思い込みを(いい意味で)裏切ってくれた異色の作品から。エルジャン・アクバイ「鍵のかかったドア」Ercan Akbay, “Kilitli kapı”です。
七年前に夫と別れた女性が裕福な中年男に誘われて豪邸を訪れますが、錠のかかった部屋を不審に思い尋ねたところ、男は突然激昂し女を追い詰めていきます。閉ざされた部屋の中に隠された秘密とは? 密室もの? ホラー?と思わせて、実は舞台劇のような緊迫感で押し切るサイコスリラーでした。
アクバイは1996年に『異常な物語』(Kuraldışı öyküler) でデビュー、『男たちは泣かない』(Erkekler ağlamaz, 1997) 、『キツネさん、キツネさん今何時?』(Tilki tilki saat kaç?, 2007)、『風車に逆らって』(Değirmenlere karşı, 2009) など、犯罪の背後の心理に切り込むスリラー長編で知られるそうです。
| エルジャン・アクバイ『異常な物語』、2008年、英訳。 |
スーピ・ヴァルム「婚礼の夜」Suphi Varim, “Düğün akşamı”はアクバイとはがらりと変わり、トルコの伝統的な村にうごめく犯罪が暴かれます(こういうセッティング、私は好みです)。
主人公セフナズは首都で勉学してから故郷の村に帰り、助産婦として働いています。村は村長の息子ヌレティンがわがもの顔で牛耳っていますが、強欲で非情なこの男、婚約者(セフナズの親友)を捨てて、さっさと富豪令嬢との結婚に乗り換えます。村を挙げての披露宴となり、セフナズは気が向かないまま出席しますが、恨みを募らせた親友の父親が銃を手に乱入しヌレティンを射殺。しかし《名誉の殺人》にはもう一つの裏がありました。
セフナズの眼を通して描かれる、道で煎りトウモロコシにかじりつく女たち、満員の小型バスで流れる政府賛美の歌、といった村の日常の光景が精彩に富んでいます。
ヴァルムはデビュー作『トゥーレの魔術師』(Thule Büyücüsü, 2010) 以来多くのミステリ長編があります。シリーズ探偵ソクラテス・エリセオスの活躍する『闇の中の二つの死体』(Karanlıkta İki Ceset, 2014) はDünya Kitap誌の2014年トルコ最優秀ミステリ賞を受賞し、『バルカン・ノワール』の編者ダネリスによってギリシャ語訳されています。
![]() スーピ・ヴァルム『スミルナの犯罪』、2017年 ヴァシリス・ダネリスによる『闇の中の二つの死体』(2014年) のギリシャ語訳。 |
トルコ衆三人目はジェンク・チャルシュル「身分証なし」Cenk Çalışır, “Kimliksiz”。
主人公エムレは朝食を取った後、なぜか入念に顔と服装を汚し、イスタンブールの桟橋に出て突然物乞いを始めます。最初は恥ずかしさと恐怖に内心震えていますが、次第に若い物乞いたちと顔見知りに。三週間して慣れてきた頃、身なりのよい紳士に声をかけられますが、待っていたのは実に醜悪な陰謀でした。
ドイル「唇のねじれた男」のように思わせておいて、その実、個人の問題をはるかに超えてトルコ社会に巣食う不気味な深層が炙り出されます。最後の一文にゾッとさせられました。
チャルシュルは自動車製造、報道、広告業などの職を経た後、2010年『チェスの殺人』(Satranç Cinayetleri) で作家デビューを果たしました。以降、長編5冊、短編集2冊を発表しています。
![]() ジェンク・チャルシュル『チェスの殺人』、2010年。 |
トルコはアクバイの心理劇と後の二人ヴァルム&チャルシュルの社会問題の告発とでは、セッティングも作品の方向性もまったく別の色合いで、驚きの連続でした。
最後はギリシャ作品を。
たった三人を選ぶのはきわめて難しいでしょうが、編者ダネリス&ランゴスは自身の作品を選ぶことで巧妙に解決しています。
ヴァシリス・ダネリス「道を教えて」Βασίλης Κανέλλης, “Δείξε μου το δρόμο” が描くのは人生に絶望し追い詰められていく中年男の姿。周囲のちょっとしたしぐさにも敏感に反応し、反社会的な憎悪をつのらせながら、唯一心のよりどころだった女性の部屋で異様な事件に巻き込まれます。登場人物の心の奥に視線を投げ入れ、哀れさ、情けなさ、切なさを描きあげるのはこの作家の持ち味です。
一方、ノンフィクション素材をストレートに取り上げる作風がヤニス・ランゴスΓιάννης Ράγκος。「
三人目は誰を選ぶのかが注目されます。大物マルカリス(エッセイ第2回, 14回)やフィリプ(第3回)の可能性もありますが、登場したのは《リアリズムの極北》アンドレアス・アポストリディス Ανδρέας Αποστολίδης でした(第4回)。
「私が犯人だ」“Εγώ είμαι ο ένοχος” はいかにもこの作家らしく、社会の底知れぬ闇を容赦なく暴き立てます。他のバルカン諸国の読者を意識してか、いつもほどガッツリ時事問題を取り入れず、やや分かりやすい書きっぷりにはなっていますが。
夕暮れ時になるとリカヴィトス丘のふもとの道で「ヴァンゲェ~~リス!」と老人の呼ぶ声が響き、窓辺に現れた男と何やら言葉を交わします。その男ヴァンゲリスが殺され、老人は警察に出頭し自白しますが、これまでも事件があるたびに同じことの繰り返し、自白内容は矛盾だらけで警察は相手にしません。老人の奇行に加えて、麻薬中毒の若い強盗、二十年以上前のヴァンゲリスの妻殺害、古代遺物密売事件(作家お得意のテーマ)が絡んできて、ヴァンゲリスの薄暗い過去と老人との因縁が明かされていきます。
(もう一人の重鎮フィリプは「ギリシャ・ミステリ小史」の章を担当しています。)
以上、バルカン七か国から21編のミステリ祭典、たっぷり堪能させてもらいました。
「序」にはバルカン・ミステリの傾向として、こんな風に書かれています。
西欧ミステリに伝統的な、犯罪によって崩れた秩序が最後に回復される、というのはこの地域のミステリ小説にはあまり当てはまらない。警察機構は多数の市民を守るのではなく、恫喝する側。むしろ組織の中で犯罪を画策する少数者に配慮している。人物の内的世界を描く場合も、問題を前にして葛藤する道徳的なディレンマが描かれる、と。
確かに、例えばクロアチアの三作やブルガリアのイリエフ、ドゥコヴァなどには信用できない司法の担い手が出て来てます。ギリシャのアポストリディスやランゴスも社会の裏面でうごめく勢力を描くのが持ち味。多くの作品で《謎》と並んで、《犯罪》への視線が感じられます。まさに《ノワール》の匂いです。
『バルカン・ノワール』の作品から、もし賞を選ぶなら(といっても私の好みというだけのことですが)……
国別団体戦では、謎解き古典派&警察捜査ものとして愉しめたルーマニアと、三作それぞれが異様な迫力で別々の方向に突っ走るスロヴェニアに。
個人賞は、同国ミステリへの先入見を打ち砕いてくれたコール「殺しのシナリオ」(セルビア)、読む側に究極の選択を突きつけるデムシャル「スヴォボダ夫人の目」(スロヴェニア)、伝統的な民族生活のセッティングに冷酷な犯罪を巧妙にリンクさせたヴァルム「婚礼の夜」(トルコ)としておきたいです。
第二弾もぜひ。期待していますので。その際は、イスマイル・カダレを擁するアルバニアやネロ・ウルフの故郷モンテネグロの作品もぜひ入れてほしいのですが……「序」から察するにやはり難しいのでしょうか。
◆ 欧米ミステリ中のギリシャ人(42)―― コリン・フォーブズのギリシャ人――◆
マクリーン、ヒギンズ、ライアル、アンブラー、キャリスン。ギリシャとの縁を通じて戦争冒険スパイ小説の人気作家たちの作品を読む機会をもらいました。その流れで、今回はコリン・フォーブズです。1980年代から90年代初めにかけて代表作『アバランチ・エクスプレス』など十数冊が翻訳されていますが、私には初めての出会いとなりました。
問題の『氷雪のゼルヴォス』(The Heights of Zervos, 1970) はごく初期の作品(和訳された中では最も早い)です。ヒギンズ『地獄島の要塞』と同年の発表(エッセイ第31回)で、舞台も同じくエーゲ海、どんな冒険を見せてくれるのでしょうか。
出版された1970年といえば、ギリシャ本国では軍事政権のまっただ中ですが、作品の舞台は三十年を遡った第二次大戦期です。ギリシャはムッソリーニのイタリアとすでに半年間交戦し勇敢に持ちこたえています(いわゆる《アルバニア戦線》)。しかし、表面上は中立を装うドイツ軍が虎視眈々と南下を狙っています。
スコットランド人の英国諜報部員マコーマーは、ドイツ軍が油田を抑えるルーマニアにたった一人で潜入し、石油運搬列車の爆破を遂行します。吹雪の中重大任務で疲労困憊のマコーマーをその直後、凄腕のドイツ諜報部員が襲撃。初っ端から手ごわい敵の出現ですが、辛うじて倒すと、当の相手に化けてブルガリアからトルコへと脱出。まだ序盤なのに凄まじいアクションとサスペンスの連続です。さらにイスタンブールから連絡船でギリシャへ。バルカンでの使命はこれで終了し、エジプト経由でのんびりと帰国するはずでした。
連絡船はギリシャ北部のゼルヴォス半島を目指して進みます。架空の地名ですが、アテネよりテサロニキに近く、ブルガリア国境から70マイルとされています。アトス山のあるハルキディキ半島がモデルかもしれません。
ところが、並走していた怪しげなルーマニアの船から突如ドイツ軍部隊が乗り込んできて、なんと連絡船を乗っ取ってしまいます。迫りくる開戦を前に、ドイツ参謀本部は極秘の軍事作戦を進めていたのです。マコーマーは、トルコで任務を終えて帰国中の英国人兵士二名、半島在住のギリシャ人一名と協力して、ドイツ軍の秘密作戦を阻止すべく立ち上がります。その後ドイツ機甲部隊がついにギリシャとユーゴ侵攻を開始、すでに国境のルーペル要塞を攻撃中との報が伝わります。マコーマーたちはたった四人で、手練れのドイツ山岳部隊二百人を相手に戦うことになるのですが……さらに敵軍はこの半島を狙って驚くべき作戦を計画していました。
少数精鋭チームが難攻不落の要塞に潜入するのは、戦争冒険ものの定番ですね。大先輩マクリーン『ナヴァロンの要塞』(1957年) へのオマージュが溢れんばかりです。
嵐の中、ゼルヴォス半島に向かうオンボロ連絡船の行く手には切り立った断崖が聳え立ちます。おおっ、マロリー大尉のようにここを登攀するのか?と期待しますが、そこはさすがにひねりが加えられています。船は岸壁に激突するのを回避しつつ、鋸歯状の岩礁がアギトのように並ぶ湾口を突破し、イタリア軍がすでにばら撒いた機雷の中を恐々と進むのです。湾内の港に着くまでが危機一髪の連続。しかも上陸した後、猛吹雪の中を崖上の修道院を目指して、到底可能とは思えないミッションがようやく始まります(ここからがいよいよ本筋)。
他にも『ナヴァロン』のひねりかなと思うのは、ミッションに参加するメンバーの顔触れ、というかチーム編成の状況です。現地に向かう前から綿密に作戦を練り、最強のメンバーを選ぶ『ナヴァロン』に比べ、『氷雪のゼルヴォス』は上に書いたように、敵の軍事作戦にやむなく巻き込まれてしまい、即席で作った寄せ集めチームです。
全体の印象はハードな戦争冒険もので、ヒギンズのようなアクション合間の甘口ロマンスはなし(ヒロインどころか女性キャラが登場しません。出てたっけ?)。作戦遂行に向かって粛々と(しかし危機は次々と立ち現れて)ストーリーは進み、即席チームも次第に軍人魂に目覚めていきます。
ギリシャ人の登場人物としては、マコーマーに協力する地元民グラポスと連絡船の船長ノパーゴスがいます(あと船員が何人かいますが、さほど印象には残りません)。ノパーゴス船長は時化のなか難破しかねない状況でも、堂々と独軍大佐と対峙する姿が好意的に描かれていますが、なによりグラポスの造形がいいです。みすぼらしい服装にとびっきりの悪党面。余所者マコーマーに強い不信感を懐き、やたら反発してきます(こういうキャラが話を面白くしてくれますね。『ナヴァロン』のアンドレアスよりずっとひねくれてる)。しかし「どこの軍隊でも使える男」と評される戦闘能力は抜群で、地元の地形も知悉している上に、英語が話せるのを買われチームに加わっていますが、ただし気まぐれなこの男が最後までついて来るのか、ちょっと心配です。
どの場面もサスペンスに溢れ、どんどん読み進められますが、実はちょっと奇妙な印象というか、ストーリーのねじれみたいなのを感じました。語りの焦点・視点に関してです。
最初は主人公マコーマーに焦点が置かれ、ルーマニア、ブルガリア、トルコと逃亡しても、読者はそのかたわらを離れずついて行きます。登場人物中の誰よりも体格がよく、父親が言語学者だったためか、独語、ギリシャ語、仏語を自由に操るという(持ち上げ過ぎの)造形で、まあこの人こそ主役だろうなと読者も安心しています。ところが、連絡船乗っ取りの後は焦点が独軍大佐ブルクハルトにシフトしてしまうのです。『ナヴァロン』のマロリー大尉さながらに極秘ミッションを帯びて絶壁を目指すのは、彼の率いるドイツ軍山岳部隊です。船内で続く妨害工作(実はマコーマーの仕業)に苛立ちと焦りが止まず、嵐の中での航行には恐怖を感じ、その心理が描写されるのも、マコーマーではなくブルクハルト大佐です。ドイツの諜報部員に化けたマコーマーのほうは隣りで悠然と葉巻をくゆらせ、高飛車な態度(敵に囲まれた中で生き延びるにはハッタリと高慢しかないのさ、と後で明かしますが)。独軍大佐の方が人間くさく内心の苦悩を垣間見せながら、困難な作戦に果敢に挑む、どっちが主役かい?という奇妙な状況になっています。
半島に上陸してからは焦点がふたたびマコーマー・チームに戻り、クライマックスの山頂の大決戦まで英国&ギリシャ側から描かれるので、読む方も落ち着きはするのですが。
若き作家は戦争アクションを多重焦点によってダイナミックに描こうとしたのでしょうか?
二十年近く後の円熟期に書かれた『グリーク・キイ』(The Greek Key, 1989) もギリシャが舞台だそうです。共産圏の体制が崩壊していく時期ですね。これもぜひ読もうと思います(焦点移動がどうなっているのかも見てみたい)。
| 橘 孝司(たちばな たかし) |
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| 広島在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学も好きです。 バルカン諸国のミステリ短編に触れたのを機に、この国々の他の翻訳作品も読んでみたくなりました。 最初はクロアチアのイワン・クーシャン『なぞの少年』(1963年) です。 アドリア海岸の町スプリトからザグレブにやって来た中学生マルコ。同級生とは馴染もうとせず、住んでいるはずの寄宿舎も素通りし、なぜか他人の家でくつろいだり、と不審な行動を続けます。一人二役? 二人一役? いやいや、二人二役? 正体がどんどんこんがらがっていきます。その振る舞いはいったいなぜ? 謎を解こうと、同級生ココたちが第二次大戦直後トラムの行き交うザグレブの街を駆けまわります。ジュブナイルものながら、まさにミステリしてます。 《ココと仲間たち》はクロアチアでは誰もが知る人気シリーズだそうで、『本物のモナ・リザはどこに――ココ、パリへ行く』『ココと幽霊』も和訳されています。 |












