書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
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川出正樹
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『暗殺の冬』クリストフェル・カールソン/棚橋志行訳
文春文庫
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今月はクリストフェル・カールソン『暗殺の冬』を推す。“人間の罪を静かに見つめる十年に一度の傑作”という帯のキャッチコピーに膨らんだ期待は、裏切られることはなかった。間違いなく今年を代表する逸品だ。
1986年2月末日の深夜、スウェーデン南西部ハッランド県の小都市郊外で刑事スヴェンは瀕死の女性を発見。奇しくも首都ストックホルムでパルメ首相が暗殺されたのと同じ日に起きたこの惨事に始まる連続殺人事件の解明に心血を注ぐスヴェンだが、途中で退場を余儀なくされてしまう。時は流れ2019年、父スヴェンと同じ道を選んだ元警察官ヴィダルが、とあるきっかけから父の遺志を継ぎ、事件発生から三十三年の後にようやく三件の殺人事件と一件の殺人未遂事件の真実を明らかにする。
素朴で平穏な地方の生活とは無縁なはずの凄惨な事件に関わってしまったために、警察官としても一人の人間としても大きく生き方を変えられてしまったスヴェンとヴィダル。心身ともに傷つきながらも真相解明に執念を燃やす二人の、怒りと悲しみ、焦燥と苦悩、屈託と悔恨が、ひしひしと伝わってきて胸を打つ。
この父と子の物語が、本書の第二部として作中作の形で書かれている点がキモだ。作者は、三十年ぶりに故郷ハッランドに戻ってきた作家の“私”であり、かつてスヴェンの同僚だった老婦人から当時の状況を聞きだし、親子二代の刑事の視点から事件の顛末を語っているのだ。首相暗殺事件という未曾有の惨劇がスウェーデンという国の社会と国民に及ぼした影響の甚大さを、スヴェンの生き方を通じて読者に実感させる手腕に唸る。第一部と第三部の語り手を“私”とする額縁小説のスタイルを採用することで、ミステリとして一段階複雑さを増すと同時に、人の弱さと罪、過ちと贖罪という普遍のテーマをより深く追求する物語に仕上げている点もすばらしい。「嘘には嘘の時があり、真実には真実の時がある」という“私”の述懐が読後長く胸に響く。
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千街晶之
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『ファイナル・スコア』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳
ハーパーBOOKS
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作家の断筆宣言というものは九割くらい信用しなくていいと思っている。小説の書き手は、物語を紡ぐという業からそう簡単に解放されるわけはないという確信があるからだが、二年前に『終の市』で一度は引退を宣言した犯罪小説の巨匠ドン・ウィンズロウも、予想通り短篇集『ファイナル・スコア』で戻ってきてくれた。会話だけで構成された「ほんとの話」やコメディ・タッチの「ランチブレイク」など、ウィンズロウの作風の多彩な側面を楽しめる短篇集だが、愛妻に安定した生活を保証するため難攻不落のカジノ襲撃という最後の大仕事に挑む強盗が主人公の表題作(『クライム101』の映画化された表題作にテイストがかなり近い)、警察官が交通事故で人を死なせてしまった従弟を救うためにマフィアとの取り引きを決意する「北棟」、順風満帆の人生を歩んでいたホテル支配人を待ち受けていた運命の陥穽を描いた「衝突」あたりが特に読み応えがあった。解説で阿津川辰海氏も述べているように、ウィンズロウの入門篇としても最適の一冊である。
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上條ひろみ
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『水面の弔花』アン・クリーヴス/玉木亨訳
創元推理文庫
アン・クリーヴスのヴェラ警部シリーズがついに読める! ドラマ「ヴェラ〜信念の女警部」を十四シーズン全話視聴したガチ勢として、このたびの原作紹介は待ちに待った朗報。〈シェトランド〉シリーズや〈マシュー・ヴェン〉シリーズ(いずれもドラマ化)でお馴染みのアン・クリーヴスですから、おもしろくないわけがありません。『水面の弔花』は小説としてはシリーズ第三長編で、第一シーズン第一話として映像化されています。基本設定はほぼ同じながら、ドラマと原作では微妙にちがう展開になっているので、ドラマの内容を覚えている人でも大丈夫。読んでからドラマを見るのもおもしろそうです。印象的だったドラマ冒頭のヴェラが父親の散骨をするシーンは原作にはなかったけど、たった一人の家族である父(癖つよ)を見送ったヴェラのやさぐれた一人暮らしの様子は原作どおりでした。バスタブのなかで死んでいた少年。潮だまりに打ち捨てられていた女子大生。犯人はなぜふたりの遺体を遺棄した水面を花で飾ったのか。ノーサンバーランド警察のベテラン警部ヴェラ・スタンホープが関係者をしつこく追求し、ごく小さな違和感やほころびから真相を見抜く、王道の警察小説です。わたしの脳内のヴェラは完全にブレンダ・ブレシンなので、かなり背が高いという描写が意外でした。部下のジョーに気を遣うことができず、「彼のことを家族みたいに考えていて、多くを求めすぎてしまっている」と反省したり、「自殺というのはもっとも利己的な行為だ」と考えたり、人間的でまさに「信念」に生きるヴェラの魅力がよくわかって、また好きになりました。
もう一冊、どうしても紹介したいのは、クリストフェル・カールソン『暗殺の冬』(棚橋志行訳/文春文庫)。クリーヴスが一気読みなら、こちらはじっくり時間をかけて読んでこそ脳内にしみわたる作品。一九八六年、首相が暗殺され、スウェーデンじゅうが動揺していた日、「女をレイプした」との電話を受け現場に急行した警察官スヴェンは、レイプされた瀕死の女性を発見する。そこから三十年にわたる執念と葛藤の日々。スヴェンとその息子ヴィダル、彼らを取材する作家の複雑な心情が丁寧に描かれ、徐々に明らかになる真相。時代が前後し、視点人物が変わる構成が絶妙です。ぐわーっとかき混ぜられて混濁した情報が、だんだん沈澱して澄んでいく感じ。カールソンは犯罪学で博士号を取得したスウェーデンを代表する犯罪学の専門家だそうです。
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- 吉野仁
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『魔の道』ガビーノ・イグレシアス/渡辺義久訳
ハヤカワ・ミステリ
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主人公は白血病の娘のためにやむを得ず悪に手を染めたものの、けっきょく彼女は助からず、妻は家を出てしまう。男は麻薬に溺れ、さらなる悪事に加担しようとするも、化け物が棲む黒い穴のなかへと堕ちていく。本作がブラム・ストーカー賞やシャーリイ・ジャクスン賞を受賞しているとおり、単なる転落した犯罪者の話にとどまらず、不気味で恐ろしい異世界の暗黒が待ち受けているのだ。読みはじめたが最後、わたしの襟首をつかんではなさず最後まで得体の知れぬ怪物にひきずりまわされてしまった気分を味わった。それは最高な時間だ。まさに神と向き合う覚悟が求められる小説で、ガビーノ・イグレシアスの作品をすべて読みたい。そしてもちろん超自然的な悪の存在を描く書き手といえばスティーヴン・キングにとどめをさす。「イフ・イット・ブリーズ」の後半2編を収録した『もし血が流れれば』は、表題作がファインダーズ・キーパーズ探偵社のホリーが邪悪な存在アウトサイダーをつきとめ対決する物語で、もう一作の短編「ラット」は山荘にこもって西部小説の長編を仕上げようとするもそこへ自身の風邪と自然の嵐に見舞われて書けなくなった作家が……、というキングらしい恐怖譚だ。個人的には、後者における(おそらくはキングの愛好する)西部小説未訳三作をすごく読みたくてたまらなくなった。作品集ということでは、ベルナール・ミニエ『猫、そして14の不思議で恐るべき残酷な物語』はとてもうれしい刊行で、ミニエが長編でみせる外連がそのまま取りこまれている話だったり、ナチスドイツをはじめ世界にあふれる邪悪で悪夢なものの恐怖を扱っていたり、短編ミステリらしいオチをきれいにつくりあげたものだったりと、たっぷり楽しませてくれた。前回紹介できなかった、といえば、ジェフリー・ディーヴァー『サプライズ・エンディング 罠』『サプライズ・エンディング 嘘』はライムやコルター・ショウなど人気主人公が登場するものも含んでいる短編集二冊だ。意外な真相が最後に提示されるにとどまらず、そこをどんでん返しするのか、という予想の枠をはずしてくるので油断ならない。ベストセラー作家の作品集といえば、ドン・ウィンズロウ『ファイナル・スコア』もまた六つの犯罪小説が収録されており、カジノ襲撃あり、私立探偵ものあり、監獄ものありと盛りだくさんの面白さ。引退せずにまだまだ書いてほしいのになぁ。大物作家といえばハーラン・コーベン『エージェントは二度推理する』が久々のマイロン&ウィンものながら、なんといっても後半からクライマックスにかけて、読んでいる身が縮むよな展開があって興奮させられた。こちらもいまや大御所のアン・クリーヴスによる『水面の弔花』だが、イングランド北東部を舞台にヴェラ・スタンホープ警部が活躍する出世作シリーズの一作で、2007年発表というかなり前の長編作。ヴェラ警部は一見ヒロインらしくない巨体で頑固で偏屈な女性警部、ちょうどよれよれのコートを着た冴えない中年男のコロンボ警部が容疑者を欺くのと似たような、風変わりキャラクターの登場で、彼女の言動を追わすにおれなくなるのだ。スウェーデンのベテラン作家ヨルン・リーエル・ホルストがヤン=エーリク・フィエルとコンビで書いた『クライムキャスト vol.1 届かなかった叫び』は、主人公のポッドキャスターの名がなんとマルクス・ヘーゲルという「思想の強い」名前ながら、未解決事件を追うというあたりがホルストのヴィスティング警部ものと通じている。とんでもない大物ということでは、俳優として知られるジャン・レノが書いた『エマ』は、中東のオマーンを舞台に、女性療法士エマが国際的陰謀に巻き込まれ、そこに超自然的な要素も混じっているという、なにか役者をそろえ金をかけたハリウッド映画のイメージが浮かぶサスペンスだった。スウェーデンのアンティーク・ミステリ、アンデシュ・デ・ラ・モッツ&モンス・ニルソン『死んでもいいくらいの掘り出し物』は、骨董市で起きた殺人をめぐって都会から来た捜査官と地元の刑事コンビが活躍する、前作同様に楽しく読める作品だ。おなじスウェーデン作家による警察小説でも対極ともおもえる重厚な雰囲気を堪能できるのが、クリストフェル・カールソン『暗殺の冬』。ある村で怒った連続殺人をめぐり、担当した警官とその息子はじめ、事件にかかわった人びとの三十年にわたる人生が描かれていくのである。佐々木譲『警官の血』を思い起こしたが、より文芸の色合いが濃く、味わいの深い長編で、読み逃してはならない一作である。じっくりとページをめくった新人作家の作品としては、オードリー・リー『記憶の帝国』もあり、これはロサンゼルス郊外の精神医療施設における記憶治療を描いたサイコ・サスペンスで、単なるあらすじだけだと凡庸に思えるが、病院のディテールや奇妙な患者たちの登場など独特の個性がうかがえ印象深い。逆にひたすらノー天気に楽しく読んでいった新人の探偵もののが、ホリー・ヘップバーン『シャーロック・ホームズは引退しました』で、ホームズものの作中住所とおなじロンドンのベイカー街に届いた手紙のなかに、ある失踪したメイドをめぐる事件があり、ホームズの秘書と偽ってその謎に取り組むという話で、パロディめいたところをはじめ、わくわくしながら楽しく読んでいった。読みやすさと面白さで選ぶなら、こちらも最高な出来映えなのが、メイソン・コイル『ウィリアム』で、とある最新設備をそなえた邸宅を舞台に、エンジニアが生み出した研究成果に異変が起きたことから館の惨劇が巻き起こるというあっと驚くどんでんミステリだ。最後に、キャット・タン『レンタル家族の消滅』は、これもまた先月読み切れずに遅れて手にとった一冊ながら、わたしは題名と文庫表紙カバー絵のイメージから予想したものとは大きく異なった内容にひきこまれ、物語の中盤から胸の痛みで苦しくなってしまった。依頼を受けると疑似家族としてその一員となる〈レンタル・ストレンジャー〉の仕事をしていた主人公は、シングルマザーの依頼で一週間のうち木曜だけ娘リリーの父親となって八年演じてきた、のだが……という話。中国系アメリカ女性作家キャット・タンによる次の作品も読んでみたい。
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霜月蒼
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『魔の道』ガビーノ・イグレシアス/渡辺義久訳
ハヤカワ・ミステリ
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真っ当に選ぶならクリストフェル・カールソン『暗殺の冬』だが、すでに話題作であるし、海外ミステリ・ファンならチェックしていることだろう。ヘヴィなのに読みやすいあたり、ヘニング・マンケルやアーナルデュル・インドリダソンを思わせ、充実度も同様である。忘れがたい作品だった。
なので、もっと注目されてほしい異形の作品を推したい。中米の暴力とオカルティズムをシームレスに接続させた悪夢ノワール『魔の道』である。ホラーとして斯界の最高峰であるブラム・ストーカー賞とシャーリイ・ジャクソン賞をW受賞、犯罪小説としてもエドガー賞最優秀長編賞の候補となった。
物語は強奪小説の定型を踏む。すべてを失って困窮している「私」は、裏社会の男の手引きでメキシコの麻薬カルテルからカネを強奪する計画に参加することになるというシンプルなものだ。だが「私」はその道程で裏社会の凄惨な出来事をいくつも体験することになる。こうしたプロットは「地獄めぐり」と呼ばれるが、本作の場合、それはオカルティズムと絡まって文字通りの「地獄」の様相を呈する。
非現実と現実の凄惨が交錯するさまは平山夢明「『超』怖い話」と「東京伝説」のハイブリッドのようであり、罪悪感と絶望と暴力衝動がスタッカートで脈打つ文体と物語は『雪月夜』あたりの馳星周作品を思わせる。罪悪とオカルティックな悪夢を重ね合わせる流儀は朝松健のようでもあるし、逆境に封じ込められた主人公の焦燥は、本書に賛辞を贈ったS・A・コスビーとも共振する。
ノワールとホラーが人間の魂の暗がりの文学という点で結び合わされた問題作であり、双方のファンに強くおすすめしたい。
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酒井貞道
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『ファイナル・スコア』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳
ハーパーBOOKS
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神話的な犯罪小説『業火の市』『陽炎の市』『終の市』三部作で有終の美を飾って引退したと思われていたドン・ウィンズロウが、その宣言を翻し、短篇で帰ってきた。同じくハーパーBOOKSから今年1月に出た『クライム101』は、既出の短篇集のうち1篇が映像化されたことに伴っての単なる改題・新装版に過ぎなかったが、この『ファイナル・スコア』は正真正銘の新短篇集であり、収録六篇の短篇ないし中篇は(恐らくだが)全て新作である。これは嬉しい驚きであると共に、まあやっぱり健康を盛大に害しでもしない限り、このレベルの作家になると小説の執筆を止められるもんじゃないわなとの妙な納得感もある。
もちろん、単に「復帰してくれて嬉しい」だけで、ここで取り上げはしません。内容が良いから挙げるのである。収録作は全て、キャラクターの立った主人公が、何らかのトラブルに直面し、鮮烈に対処していく。印象的な脇役も沢山登場するし、語り口も手が込んでいて(この点では、会話文のみで構成される「ほんとの話」が一番すごい。しかもリアルな会話らしく、脱線しまくりで笑う)、展開や伏線もお洒落であり、娯楽小説としての完成度は極めて高い。謎解き要素やサプライズ要素こそ弱めながら、犯罪小説の第一人者であったドン・ウィンズロウの面目躍如といったところである。全六篇が、ストーリーもテーマも雰囲気も技巧面でも全然違う小説となっているのも素晴らしい。苛烈で真剣で味わいがあって、それでいて軽快に読めるフレッシュな犯罪小説が読みたい人は、必ず手に取ってください。
杉江松恋
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『暗殺の冬』クリストフェル・カールソン/棚橋志行訳
文春文庫
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今月はひさしぶりに激しく悩んだ。格調高い文体の『暗殺の冬』を取るか、犯罪小説短篇集として比類のないおもしろさのドン・ウィンズロウを取るか。悩みに悩んで『暗殺の冬』に決めたのは、一ページめでこれは絶対傑作だろうと確信させられる文章の期待感を評価したからだ。書店でパラパラと最初の方のページだけめくって購入するかどうかを決める向きの方はぜひご覚悟いただきたい。最初の数行を読んだだけで、あ、これは買わないといけないやつだ、と腹を括らされることになるからだ。大丈夫、あなたのその勘は間違っていない。
1986年から2019年、30年を超えた犯罪小説で、かつ父子の警察官が揃って関わった事件の真相が終章で明かされる、という構造だけでも大作感が出ている。決定的なのは本作で描かれる強姦殺人事件が、1986年2月28日のオロフ・パルメ首相暗殺事件とほぼ同時に起こったという点だ。日本でいえば未だ解決されていない大事件の数々、1968年12月10日の三億円強奪、1997年3月30日の國松孝次警察庁長官狙撃の裏で別の捜査をしなければならなくなるようなものである。ハルムスタッド市警スヴェン・ヨルゲンソンの捜査は困難を極める。北欧ミステリーは、事件を通じて主人公が自身の属する社会のありようを見つめなおしていく過程も読ませどころなのだが、本作の場合は首相暗殺によって社会全体が動揺するという大きな状況と、スヴェンが目の当たりにする共同体内の現実と、二層にわたってそれが行われる。立ち上る悪意を目の当たりにしたスヴエンは「これが私たちなのか? これがスウェーデンなのか?」と自問自答することになるのだ。
しかもここまで書いてきたことは豊穣な物語の一部に過ぎない。小説は2019年の叙述から始まって終章でまたそこに戻っていく。そうした語りの形式には当然意味があるし、長い歳月を経る中で登場人物たちが次第に変化していく様にも読み応えがある。ミステリー的な興趣を催させる仕掛けはこれだけではなくて、数え上げていくと本当にきりがない。ここまで要素の詰まった密度の高い作品は、何年かに一度出会えるか出会えないかだろう。
本当はドン・ウィンズロウの魅力についてしこたま語りたかったのだが、最後の最後で決定を覆してこちらの作品になった。『ファイナル・スコア』に関してはまた別の場所で。ウィンズロウが引退宣言を翻してくれて本当に嬉しかった。引退作とされた『終の市』解説は私は書いたのだから。お帰り、ドン。待ってたぜ。
2人が挙げた作品が3本と接戦模様の5月でした。アン・クリーヴスも通常月なら複数票が入っていたことでしょう。それだけ秀作揃いだったということです。来月はどうなってしまうのか。お楽しみに。(杉)
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