中国の有名な推理小説家・周浩暉の『死亡通知書』シリーズ第2巻「宿命」(大久保洋子訳)が7月3日にいよいよ早川書房から発売されます。第1巻「暗黒者」(稲村文吾訳)から6年ぶりとなる続刊の出版を喜ばしく思うとともに、税込み2970円という価格に正直ビックリしました。しかしそれも仕方のない話で、原作からして上下巻40万文字以上のボリュームだから、日本語に翻訳すればますます膨らんでしまうのです。むしろ、原作が20万文字程度の第1巻の日本語版が400ページあるのに対し、第2巻(40万文字)の日本語版が500ページ弱で済んだことに驚きます。めちゃくちゃ圧縮したんでしょうか。
またそれに呼応するように、今年3月に中国でも関連情報が飛び込んできました。なんと『死亡通知書』シリーズの最新作となる第4巻「最終章」が発表されたのです。しかも紙の書籍を出版したのではなく、微信読書という小説投稿アプリで連載という形で(6月中旬に完結済み)。第3巻「離別曲」(中国では2011年出版)からおよそ15年ぶりとなる続編は2025年の現代が舞台で、刑事として油が乗っていた主人公・羅飛もわれわれ読者と同様に歳を重ね、60歳の熟年になってしまいました。
今回は『死亡通知書』シリーズを紹介し、主人公の羅飛がどのような変遷をたどったのかを見ていきます。作品がどういうストーリーで、どんなキャラが登場・退場するのかにも言及するため、いろんなネタバレが含まれることをご了承下さい。
・シリーズ三部作を略述
そもそも『死亡通知書』の第1巻がどういう話だったのかについては、akiraさんの第85回 二つのナイショ推しポイントを見逃すな――周浩暉『死亡通知書 暗黒者』https://honyakumystery.jp/15569に詳しく載っているので、こちらをお読み下さい。
簡単に言うと、社会に野放しにされている悪党連中を次々に殺していく正体不明の殺し屋・Eumenides(エウメニデス)と刑事の羅飛の十数年に渡る因縁の発端から決着までを描いたのが第1巻です。「死亡通知書」という犯罪予告を出して悪人を私刑に処すエウメニデスは警察の敵ですが、世間にとっては悪を懲らしめてくれるヒーローでもあります。警察官という法を守る立場として、羅飛はそんなシリアルキラーを当然許すわけにはいきませんが、自身にも悪を憎む心が潜んでいることをエウメニデスに指摘され、法律は本当に全ての悪を裁けるのか?と疑心暗鬼に陥ります。この法律と私刑というテーマはシリーズ全体に通じていて、羅飛とエウメニデスが鏡写しの存在として描かれます。
第2巻は第1巻からたった数日後の話で、前作のいろいろなしがらみや人間関係が後を引いています。もともと管轄外の事件の捜査に首を突っ込んでいた立場の羅飛がついに正式な権限を得て、エウメニデス事件の捜査を指揮できるようになりました。彼が狙うのは、2代目エウメニデス(中国では「小E」の愛称で親しまれているので、以下「小E」とします)。先代同様、「死亡通知書」を出して犯行を重ねる「小E」に対し後手に回る羅飛は、彼の素性を調べることにします。彼がどうしてエウメニデスに選ばれ2代目になったのかを探る中で、十数年前に起きた立てこもり事件が発端だと見いだした羅飛に、またもやエウメニデスとの因縁が立ちはだかります。一方、「小E」もまた別の手段で自身のルーツを知ろうとしていました。しかし自身が殺したターゲットの遺族と仲良くなってしまったり、殺した権力者の残党や利用した刑事に命を狙われたりし、過去、葛藤、恋愛、復讐などに苦しめられることになります。
第3巻は舞台がガラリと変わり、脱獄と権力闘争パートが大半を占め、羅飛の影は薄いです。しかし、第1巻から羅飛にずっとつきまとっていた法律と私刑という対立に一つの答えが出るという点で、シリーズの「トリ」を飾るのにふさわしい内容でした。新たなエウメニデスを生み出さないため、エウメニデスを待ち望む世間の期待と警察不信を払拭するために羅飛が発表した宣言は、現実社会を見て考えた場合、極端な理想論かもしれません。しかしこの決断を下したのが青臭い若造ではなく三十代のベテラン刑事というところに責任感の重さが伝わってくるとともに、作者である周浩暉の警察と法律への希望が感じられます。
羅飛とエウメニデスの戦いを描いた『死亡通知書』シリーズは三部作の形でいったん幕を閉じます。これが続くとは、自分も思っていませんでした。なぜなら周浩暉はこの10年ほど小説をほとんど発表していなかったからです。ただ以前、周浩暉が「次に書くときは羅飛が60歳ぐらいになっている」というようなことをSNSで言っていたので、まだ書く気はあるのはわかりました。しかしそれが『死亡通知書』シリーズの続編だったなんて……そして周浩暉は2025年にSF小説『遥遠的年代』を突然発表し、それからわずか数カ月後の26年3月から「微信読書」で『死亡通知書 最終章』の連載をスタートします。(中国でのタイトルは「暗黒者 最終章」だが、混乱するので「死亡通知書」に統一する)
「微信読書」について簡単に説明すると、国内外の書籍をジャンル問わず大量に配信しているアプリです。有料会員になれば本を好きなだけ読めるし、会員じゃなくとも1章数十円で、1冊でも紙の書籍より安く購入できます。
微信読書のミステリー小説ランキング 1位が岡嶋二人の『クラインの壺』。紫金陳やアガサ・クリスティーの作品も上位に入っている。
・多くの変化があった最新作
有名な作家の新作が紙で出版されるよりも先にアプリで配信されるという事態を少なくとも私は聞いたことがなかったので、この決断には正直驚きました。そして15年ぶりの新作「最終章」の内容はこんな感じでした。
2025年、警察を辞めて隠居している羅飛のもとに、かつて一緒にエウメニデス事件を捜査した同僚の慕剣雲がやって来ます。二十数年ぶりに「死亡通知書」による殺人事件が複数発生したため、羅飛に話を聞きに来たのです。捜査資料に目を通した羅飛はいずれの事件も模倣犯の仕業と断定し、行方不明になっている「小E」との関連を否定します。しかしいずれの事件も「小E」向けのメッセージが込められていると考え、捜査に協力することに。しかし模倣犯を独自に追ううちに、羅飛は海外の殺し屋に狙われたり、精神病院に入院させられたりと窮地に陥り、ついにあの男の力を頼る決断を下します。
一方、美味しいと評判の串焼き屋を営み、家族と慎ましく暮らす孟偉という男に不幸が訪れます。彼の息子が権力者のボンボンを殴って捕まり、莫大な慰謝料と過当な謝罪を要求されたのです。警察も法律も味方をしてくれない孤立無援の孟偉に手を差し伸べたのは、なんと慕剣雲。孟偉は彼女から自分が何者だったのかを教えられ……
シリーズの読者にとって序盤から衝撃の展開が続きます。羅飛がすっかり年を取っていたのもそうですが、「小E」が二十数年前(つまり3巻が終わってすぐ)に行方不明になっていたこと、そしてそのきっかけをつくった羅飛が警察官をクビになって実刑判決を食らっていたという過去が明らかになります。実は羅飛の「小E」寄りの態度は昔からで、第2巻でも慕剣雲から、「(第1巻での小Eの凶行を)止められたのに敢えて止めなかっただろ?」と指摘されたこともあります。人一倍悪を憎む心を持ち、「小E」の境遇を不憫に思っていた羅飛が善悪の狭間で揺れてしまうのも仕方のないことです。だからこそ、第3巻ラストの羅飛の宣言がシリーズのトリを飾る力を持っていたというのに、その直後に職務に違反して懲役食らっていたなんて知りたくはなかった。
「最終章」ではかつて羅飛と共にエウメニデスと「小E」を追った仲間が再登場し、羅飛と旧交を温めますが、その中で毛色の違うキャラが登場します。それが張雨です。張雨とは『死亡通知書』の前日譚である『邪悪催眠師』シリーズに登場する監察医で、羅飛とは軽口をたたける間柄(『邪悪催眠師』三部作は現在2巻までハーパーコリンズ・ジャパンから邦訳が発売中)。彼の登場は私にある期待を持たせてくれました。もしかして『邪悪催眠師』の他のキャラも出てくるのでは?と。その予想は当たり、二十数年前の「小E」行方不明事件には羅飛だけではなく、催眠師(要するに催眠術師)も絡んでいたことが明かされました。
『邪悪催眠師』では、エウメニデスが暗躍して自分の思想に賛同する催眠師や有力者を集めていたという内幕が描かれています。残念ながら『死亡通知書』では催眠師どころか「小E」の仲間は誰も出てこなかったので、「最終章」でようやく二つのシリーズが結びついたというわけです。さらに読み進めると、周浩暉の短編「西施笑」を思わせるフグを使った毒殺トリックまで出てきます。こうなるともはや「最終章」は『死亡通知書』の総集編というより、周浩暉の作家人生の集大成のように見えてきます。
・多くの不満と幻滅
既存の読者に向けたサービス精神は見事でしたが、気になる点もいくつかあります。
まず、シリーズのタイトルにしてキーワードの「死亡通知書」が「死刑通知書」に変わっている点です。
届いたのが「死刑通知書」なら模倣犯の仕業で間違いないでしょうが、作中ではまるで第1巻から「死刑」表記だったというような改変が行われています。これについて裏は取れていませんが、とある読者の書き込みによると、『死亡通知書』第1巻の連載当時も「死刑通知書」表記が使われていましたが、「死刑」を書籍のタイトルに使用することができなかったため、「死亡」に変更して出版したというエピソードがあるようです。
また「最終章」と言いながら「最終章2」の発表が決まっているのもどうかと思いました。あとがきで舞台を海外に移して続編を書く予定だと述べられていますが、その舞台というのが中国でも近年危険視されている「あの国」(日本ではない)。ただ、その国を題材にした映画や小説などはすでに何作も出ているので、周浩暉ほどのメジャー作家が扱うには遅すぎしないかというのが正直な感想です。もっとストレートに言うと、「最終章」を読んで確信したのですが、周浩暉に「新しい話」を創れるとは思えません。
最大の不満は、羅飛と「小E」が「転んだ」ことです。羅飛は内心の苦悩を押さえつけながら揺るぎなく法律を守り正義を執行する刑事であり続けてほしかったし、「小E」は信念に乗っ取り悪を裁き続ける殺人鬼であり続けてほしかった。しかし羅飛は刑事を辞め、「小E」は良き公民となること選びました。さらに他の現役刑事たちも背に腹は代えられぬとばかりに、エウメニデスの行為を認めるような言動を繰り返します。
15年という歳月で作者は老い、読者も老い、中国は変わり、世界も変わりました。周浩暉は作品を現代向けに仕上げるために、過去作で一貫していたポリシーを曲げることを選んだようです。羅飛ら登場人物の変遷は、この15年間を生きた中国人の意識の変容なのかもしれません。
最後に、周浩暉はあとがきで、本作に出てきたフグのエピソードと関連する『豚魚伝』という映画を撮影したと明かし、宣伝しています。それに対し読者から、「酢を飲むためにギョーザを包んだのかよ」(手段と目的の転倒を指す。ここでは、映画を宣伝するために小説を書いたの?というツッコミ)とツッコミを入れられています。こうして見ると、周浩暉の本業はもう小説家ではなく映画監督なのかもしれません。
| 阿井幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。