■レックス・スタウト『上流の一族でも』(渕上痩平訳・論創海外ミステリ)■
本書『上流の一族でも』(1950) は、『忌まわしき悪党』(1948) 、『二度目の告白』(1949) に続く、アーノルド・ゼック三部作の最後の作品であり、これまで、電話でしか登場しなかった、ゼックがついに姿を現す。ネロ・ウルフは、ホームズにとってのモリアーティ教授に相当する、犯罪組織の黒幕ゼックとの最後の死闘に臨む。三部作は、ゼックとの対決という大きな枠組み中にあるとはいえ、それぞれ固有の事件を扱った謎解きミステリとして成立しており、独立した長編としても十分楽しめる。
本書は、金遣いの荒い夫の収入源を調べてほしいという、名流夫人の依頼から始まる。その依頼の直後に、ソーセージに偽装した催涙ガスがウルフの事務所に送りつけられる。これは、事件から手を引けというゼックの警告である。前作では、小型機関銃でウルフの植物室を襲撃させ、8000株の貴重なランを堆肥の山にしたゼックの登場で、物語の緊張は高まる。
ゼックの脅しにめげず、アーチーは、犬の毒死事件の調査を名目に、夫人の屋敷に乗り込むが、その夜、夫人は殺害され、夫人の愛犬もナイフで刺されて死亡する。シリーズ中でも、有数のグルーサムな事件だ。
シリーズでも、もっとも異色な展開を見せるのが、この事件の後。
なんとウルフが失踪してしまったのだ。ウルフは三通の手紙を残す。ウルフのお抱え料理人フリッツと蘭担当のシオドアには、次の雇用を斡旋し、アーチーに対しては、「私を探すな」というメッセージだけが残される。新聞広告では本日をもって探偵業からの引退を表明する。ウルフは、その後、杳として行方が知れない。ウルフの不在は、この後、五ヶ月にも及ぶのだ。ウルフファミリーは解体。アーチーは、ウルフに捨てられたという思いも募り、自らの探偵事務所を開かざるを得なくなる(アーチーは、ウルフに雇用されていたときの倍の所得を得る)。このウルフ失踪後のくだりが、アーチーらの喪失感の深さを物語り、普段の作品には見られない感興かある。
それだけに、アーチとウルフが再会するシーンに、読者の心を揺さぶらずにはおかない。再会したときのウルフは、なんと117ポンド(約53キロ)体重を落とし、変わり果てた姿となっている。ウルフの姿は、ゼックとの死闘にかける決意の壮絶さを物語っている。ゼックは、幾重にも張り巡らされた犯罪組織の帝王であり、ウルフには、アーチしかいない。この組織力で圧倒的に非力なチームが、どのようにゼックと対決するのかが、本書の大きな読みどころである。
ゼックとの対決のほかに、夫人と犬殺しの犯人探しが、本書のもう一本の軸となり、少ない手がかりからウルフは納得のゆく推理を最後に披露する。
ゼック三部作は、アーノルド・ゼックという巨悪を創造したことで、通常のシリーズ作にはない、緊張感とスリルを持ち込むのに成功した。本書は、ウルフの不在という大事件を通して、シリーズのいつもの魅力を再認識させる作品だ。
■レックス・スタウト『遺志あるところに殺しは開ける』(鬼頭玲子訳・論創海外ミステリ)■
論創海外ミステリからは、今月は、ネロ・ウルフシリーズの長編が二作連番で紹介となった。本書『遺志あるところに殺しは開ける』(1940) は、ウルフシリーズ八作目の長編。以前、EQ誌に『遺志あるところ』として、大村美根子訳で、翻訳連載されたことがあるが、単行本となるのは、今回が初めて。亡くなった大富豪のホーソーンは、3人の妹、ジューンにりんご一個、メイに洋梨一個、エイプリルに桃一個を送り、妻にそこそこの生活費を確保しただけで、残余のほとんど700万ドルを赤の他人の若い娘ナオミに残していた。納得できない遺族は、ウルフに、探偵行為ではなく、ナオミが受け取るはずの財産の大半を一族に戻すという交渉役を求めた。遺書絡みの争いは大嫌いだったウルフだが、預金残高がここ数年で最悪だっただけに、引き受ける羽目に。
登場する女性たちがとにかくユニークで、ホーソーン家の三姉妹の長女ジューンは、早熟の作家で今は国務長官の妻、次女のメイは、天才科学者で大学の学長、末の妹エイプリルは、大人気の女優。財産を残されたナオミは、クールでタフな女性、ホーソーンの妻は、かつて夫に誤って顔を傷つけられた女性であり、常にペールをまとっている。ジューンの娘サラは、あちこちで騒動を巻き起こす。なんとも、個性的な女性陣で、まさに『女が多すぎる』(第18長編タイトル) だが、それぞれの思惑は当然ながら異なり、事態は紛糾して行くことになる。
亡くなったホーソーンは、殺されたことが明らかになり、外出嫌いのウルフも、一族の家に出かけていくことになる。さらに、ウルフとアーチーが滞在中にその鼻先で新たな殺人が起こる。
あまりに個性的な女性陣を拵えすぎたせいか、ストーリー全体を通じて、彼女らの個性が十分生かされたようには見えないのは、マイナスポイント。個性的な人物を配置しすぎたために、最後まで使いあぐねてしまった感も受ける。
本事件の最大の謎は、なぜ赤の他人に多大な遺産を残したのかという点にあると思うが、結末は、あまり納得のゆくものではない。第一の事件から第二の事件に至る犯人の心理にも納得しがたいものがあり、プロット上の傷になっている。
本書の謎解きでは、ジューンの娘サラが撮った写真が重要な手がかりとなっており、原作では写真自体が本に挿入されているというギミックがあるようだが、日本語版では、写真の掲載はされていなかった。
■ジョン・ブラックバーン『痛苦の聖母』(永島憲江訳・国書刊行会)■ 国書刊行会《怪奇の本棚》第2回配本として、ジョン・ブラックバーン『痛苦の聖母』(1974) が出たことに、懐かしやブラックバーン、という感想を漏らすオールドファンもいることだろう。
ブラックバーンは、1973年と74年に創元推理文庫で、『小人たちがこわいので』(1972)『薔薇の環』(1965)『リマから来た男』(1968)の3冊が紹介され、その後、今世紀に入ってから、論創海外ミステリにおいて、『闇に葬れ』(1969) 、デビュー作『刈りたての干草の香り』(1958)、『壊れた偶像』(1959)の3冊が紹介されている。
その作風は、冷戦下の世界情勢を背景に、怪奇な伝説や超自然的恐怖とSF、サスペンス、スパイ小説などの要素を組み合わせたジャンル越境型の作品に特徴があり、モダンホラーの先駆けとしても再評価されている。見逃せないのは、『刈りたての干草の香り』が「本格ミステリ+モンスターパニック」と紹介されたり、『壊れた偶像』が本格ミステリの要素が強い作品だったりと、作者の謎解き志向が垣間見える点だ。
本書は、これまで紹介された作品の中では、最も後に当たる1974年の作品。ブラックバーンの作品には、チャールズ・カーク将軍と細菌学者マーカス・レヴィン卿というシリーズキャラクターがいるが、本書には、二人は出てこない。
新作舞台『痛苦の聖母』がロンドンで、まもなく初日を迎えようとしていた。主演のスーザン・ヴァランスは大女優ながら傲岸不遜な性格で悪評があった。新聞記者ハリー・クレイは暗い過去を持つ医師トレントンが彼女の元に出入りするのを目撃する。後日、ある場所で途方もなくおぞましい何かを見たという窃盗犯の話を偶然耳にし特ダネの匂いを嗅ぎつけたハリーが調査を始めると背後にトレントン医師の存在が浮上する。しかし秘密を知る関係者は次々と怪死を遂げハリー自身も悪夢のような事件に巻き込まれていく。
作中の演劇『痛苦の聖母』は、若さと美貌を保つために多くの若い女性を惨殺してその血で湯あみをしたという17世紀ハンガリーに実在した「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリの伝説に取材したものであり、この小説の重大なモチーフになっている。
次々と怪死していく男女は、いずれも呪われた遺品の強奪に関与していたことが次第に明らかになるが、ひとりひとりの死に様が恐ろしい。彼らは、この世で最もおぞましいと感じる恐怖そのものによって死んでいくのだ。
序盤は、彼らがいったい何を見たのかという興味で読者を引っ張る。
やがて、クレイ記者や女性精神分析医ミリアムの努力で、遺品にまつわる詳細やこの世のものならぬ「呪い」の正体が次第に明らかになっていき、『痛苦の聖母』の初日の舞台というクライマックスになだれ込んでいく。『リマから来た男』や『闇に葬れ』のようなスケールの大きさはないが、個々の恐怖にフォーカスした分、本書で描かれる邪悪さは、真に迫るものがある。幕切れのショックにも慄いてしまう。
「血の伯爵夫人」伝説を中心に、ジョージ・オーウェル『一九八四』に登場する拷問室、悪意ある整形技術、童謡、集団妄想症、聖遺物、邪眼伝説といった要素を複合的に組み上げ、恐怖を演出する腕前は見事であり、円熟味を感じさせる。真実解明のためのディスカッションが多いのも、作者の謎解き志向の片鱗を窺わせると同時に、物語に説得力を与えている。
フラックバーンの小説の弱点としては、キャラクターの肉付け、陰影の弱さが挙げられると思うが、本書においても、事件の解明に当たるハリー・クレイ記者や女性医師ミリアムのキャラクターの内面が十分には描かれていない点は、やや物足りない。
しかし、そうではあっても、登場人物たちのこの世ならぬ恐怖に焦点を当てて、抜群のストーリーテリングで進行するブラックバーン流ホラーの魅力がたっぷり詰め込まれた作品であることは、間違いない。
■ロバート・バー『新聞記者ジェニー・バクスター』(平山雄一訳・ヒラヤマ探偵文庫)■

一般の出版社では、到底訳されそうにない黎明期のミステリの刊行を続けるヒラヤマ探偵文庫からロバート・バー『新聞記者ジェニー・バクスター』(1899) 。
著者のロバート・バーといえば、「放心家組合」(「うっかり屋共同組合」)がオールタイム・ベスト級の短編作品として知られる作家。同作は、『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』(国書刊行会)(後に別題で創元推理文庫版がある)に収録されている一編だが、訳者自身によって翻訳され、この作家に関する見通しも良くなった。バーは、ジェローム・K・ジェローム(『ボートの三人男』)と一緒に『アイドラー』という雑誌を創刊した人物であり、多くのユーモア物を書いている。
ミス・ジェニー・バクスターは、とてもかわいい女の子だが、フリーランスの新聞記者として実績も重ねている女性だった。この度、ジェニーは、経済的安定を望んで、ロンドンの一流新聞紙「デイリー・ビューグル」紙の正社員となろうと、編集長に会うところから、物語は始まる。編集長は、婦人欄担当の女性記者は足りてるとしてジェニーの希望を断るが、ジェニーは、婦人欄担当の記者になる気はさらさらない(「そんなものを読む女性にお目にかかったこともないわ」)。次に現れるときは特ダネを引っさげてやってきて編集部全員を打ちのめすと啖呵を切る。そして、公共工事局の不正を暴く記事をものにする。ここからが新聞記者ジェニーバクスターの大活躍の始まりである。全体は21章からなっているが、当 時の長編小説によくあるように、いくつかのエピソードの積み重ねから、成っている。
ジェニーは、オーストリアの公爵夫人の宝石盗難事件の真相の潜入捜査、続いて、上流階級のパーティーへ身分を偽って潜入取材、さらにオーストリアの戦争準備金の金塊の大量消失事件などを扱う。若い女性記者のシンデレラ・ストーリー的活躍談ではあるものの、ミステリ要素があるのも、本書の特徴のひとつ。
宝石盗難事件では、シャーロック・ホームズを思わせる名探偵カドベリー・テイラーの登場もあり、初期のホームズ・パロディの要素もある。ジェニーは、持ち前の探偵能力で、この名探偵すらやりこめるのだ。特に注目に値するのは金塊の大量消失事件で、厳重な監視下の中、いかにして金塊を持ち出したのかという、不可能犯罪的な謎を提出している。ジェニーの解決は、思いもよらないもの。SFのマッドサイエンティストものの趣もある。
ヴィクトリア朝末期、まだ職業的に自立した女性が少なかった時代を舞台に、ジェニーの天衣無縫の活躍は、胸がすく。『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』でもみられたおっとりしたユーモアを基調に、ジャンル未分化の時代の楽しませるためならなんでもあり、を体現するような娯楽小説だ。ジェニーのロマンスが物語の縦糸でもあり、読者を満足させる大団円も待っている。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
ミステリ読者。北海道在住。