書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

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編集:書評七福神
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 (ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。
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        1. 千街晶之
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        4. 『遠近法』ローラン・ビネ/高橋啓訳

          東京創元社

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    1.  六月はレベッカ・マカーイ『あなたに訊きたいことがある』やスティーヴ・キャヴァナー『キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー』など月間ベスト級の作品が目白押しだったけれども、不遜を承知で言うなら「これは私のために書かれた作品である」としか思えなかったローラン・ビネ『遠近法』を強く推す。舞台は十六世紀のフィレンツェ。画家のヤコポ・ダ・ポントルモが殺害され、フィレンツェを統治するコジモ・デ・メディチ公は画家のヴァザーリに真相解明を命じる。ポントルモ殺害はその才能に嫉妬した他の画家の仕業か、それとも政治的謀略の犠牲になったのか。一方で、コジモ公の長女マリアをめぐるスキャンダラスな事態が進行してゆく。本書は一七六通の手紙から成る書簡体ミステリであり、それらの手紙の書き手はほぼ実在の人物(数人、実在かどうか未確認の人物もいるが)。史実では病死と思われるポントルモが実は殺害されていたという大胆な発想を軸に、各国の為政者たちの思惑と陰謀に翻弄されるヴァザーリ、ミケランジェロ、ブロンズィーノ、チェッリーニら当時の芸術家たちの困難な立場を描き切った歴史ミステリだ。日本の読者の多くにとっては馴染みが薄い時代と思われるが、この時代のマニエリスム芸術をこよなく愛する私にとってはこの上なく楽しい読書体験だった。「これは私のために書かれた作品である」とまで記した理由はそこにある。ところで今年は、十六世紀のフィレンツェを舞台にした歴史ミステリがもう一冊邦訳される予定であり、その文庫解説は私が書いたのだが(奇しくも、そちらの作品でも主人公に密命を下すのはコジモ・デ・メディチである)、『遠近法』があと少し早く刊行されていれば本書のことをその解説でも触れられたのに、と思うとやや無念ではある。
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  2. 上條ひろみ

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    1. 『灰の王』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

    2. ハーパーBOOKS

       

     ずっしりとした読み応えの作品が多かった六月。なかでもひときわ衝撃的なストーリー展開で読みながら生きた心地がしなかったのは(最高に褒めてます)S・A・コスビーの『灰の王』でした。CWA賞のすぐれたスリラー作品に与えられる賞、イアン・フレミング・スティール・ダガー賞を受賞しています。コスビー強い。

     金融投資会社のCEOとして成功しているローマンは、妹のネヴェアから父が事故にあったとの知らせを受け、長らく訪れていなかった故郷の町ジェファーソン・ランに帰ります。父が営む火葬場はネヴェアがなんとか回していますが、末っ子の弟ダンテは地元ギャングとのいざこざで窮地に陥っており、父の事故もどうやらそのギャング絡みらしい。ローマンは家族を守るために金融投資という自分のスキルと「ある強み」を最大限に活かして闘います。ローマン、ネヴェア、ダンテの三きょうだいそれぞれの視点が登場するので、悩み多き三者三様の胸のうちがよくわかるし、十九年間行方不明の母の謎も物語を牽引します。ローマンとめっちゃたよりになる助っ人ハリールの関係は、ジョー・ピケット&ネイトや、マイロン・ボライター&ウィンを思わせるところも。暴力と復讐だけでなく、家族間の濃密な感情の背後にもつねに炎があるのが印象的です。「すべてを灼き尽くす」ローマンはまさに灰の王。

     韓国系アメリカ人作家シルヴィア・パクのデビュー長編『ロボットが泣いた夜』(藤沢町子訳/新潮文庫)は、近未来(おそらく二一世紀後半)のソウルを舞台にしたSF警察小説。朝鮮半島は南北統一を果たし、大韓統一共和国となって二十数年。爆弾で大怪我をしサイボーグ化手術をしたトランスジェンダーの刑事ジュン、人気俳優の外見をした人型ロボットと暮らすロボット開発者モーガン、二人の父であるヨセプもまたロボット学者。情報量がものすごいけど、根底にあるのは家族のドラマなのでSFが苦手でも意外とすんなり頭に入ります。人間とロボットの共存関係も多様化していくんですね。

     マルク・ラーべ『17の鍵』『19号室』につづく〈刑事トム・バビロン〉シリーズ第三弾『スズメバチ』(酒寄進一訳/創元推理文庫)もスピーディな展開で読み応えたっぷりです。ベルリンで開催されたコンサートの翌日、死体で発見されたロックスター。彼との意外な関係が明らかになり窮地に陥るトム。そこにトムの母親インゲの壮絶なストーリーがさしはさまれ、予想外の展開に。四部作の完結編となる次作が早く読みたい! 

     ユニークなFBI捜査官たちのチームがマウリツィオ・デ・ジョバンニの〈P分署捜査班〉シリーズを思わせるジョン・マクマホン『猟犬の誇り』(高山祥子訳/創元推理文庫)は、ありそうでなかった「連続殺人犯だけを狙う連続殺人」事件に挑みます。完璧な記憶力を持つ主人公ガードナーをはじめ、癖つよなチームのメンバーのキャラが浸透していくにつれ、加速度的にストーリーに引き込まれていく吸引力がすごい。

     

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      1. 川出正樹

            1. 『キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー』スティーヴ・キャヴァナー/吉野弘人訳

              小学館文庫

             

         今月は、なんの迷いもなくスティーヴ・キャヴァナー『キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー』を推す。いや迷わないどころか今年読んだ翻訳ミステリ長篇のなかで、これほどページを繰る手がもどかしかった作品もない。「ジョン・グリシャムの法廷ドラマと《ダイ・ハード》(略)のアクションが融合」と評された驚異のデビュー作『弁護士の血』(横山啓明訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)が訳されたきり十一年ぶりの再登場だが、これほどまでにスリリングでツイストの利いたサスペンスが横溢する犯罪小説をものしていたとは。断言する、これは買いだ。

         なにしろ幕開けが強烈だ。「アマンダ・ホワイトは電気式哺乳瓶滅菌器の蓋を開け、なかにある二二口径のリボルバーを見つめた」。この冒頭の一文で、一瞬にして作品世界に引きずりこまれてしまった。主役はふたり。片や、娘を殺し夫を死に至らしめながら法の裁きを免れている男に、復讐の念を抱き続けるアマンダ。彼女はやがて似た境遇の女性と知り合い、交換殺人を計画する。片や、夫が不在の夜に自宅で青い目の男に襲われ瀕死の重傷を負い、重度のPTSDとパニック障害に苦しむルース。この両者を主に複数の視点を頻繁に切り替えて、マンハッタンを中心に狩る者と狩られる者の大胆奇抜な逆転劇を鮮やかかつしなやかに展開していく手際に舌を巻く。後半、伏せられてきたカードが次々にめくられて、これまで見せられてきた物語が真の姿を現してくるや、いかに前半に周到に布石が打たれていたかが分かって驚嘆する。

         パトリシア・ハイスミスの不朽の名作『見知らぬ乗客』を重要なアイテムとして登場させて“交換殺人”をメインに据えつつ、先入観を見事に裏切ってくれる。一抹の爽快感漂う幕切れまで間然することのない傑作だ。これを機会に、CWA賞ゴールドダガー賞受賞作のThe Lierを始め、未訳作品の訳出をぜひぜひお願い致します。

         今月はジョン・マクマホン『猟犬の誇り』(髙山祥子訳/創元推理文庫)も面白かった。訳ありメンバーの寄せ集めだが抜群のコールド・ケース解決率を誇るFBIのユニットvs“連続殺人犯だけをターゲットとする連続殺人犯”の警察捜査ミステリ。続編も楽しみだ。

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  4. 霜月蒼

      1. 『灰の王』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

      2. ハーパーBOOKS

         

         コスビーはすごい。本当にすごい。これまでの4作で犯罪小説作家としてもはや巨匠の域に達してしまったから、ここで彼の新作を称揚するなんて思考停止になりかねない──などという私の考えを、粉々に打ち壊してしまった。本書はコスビーの最高傑作だからである。

         産業が寂れてしまって孤児と未亡人しか生産しないと揶揄される南部の故郷に帰った主人公が、そこに巣食う犯罪集団との争いに巻き込まれ、家族を守るために犯罪者たちを一掃しようと決意する物語である。解説で杉江松恋が言うように、ハメットの『血の収穫』型のクライム・ノヴェルである。

         だが、『血の収穫』の主人公は町のよそものだから町が最終的にどうなろうと知ったことではないし、そもそも奇妙な破壊衝動を抱えたプロであって、つまりニヒルな物語でもあった。しかし『灰の王』は違う。主人公は故郷に家族を置き去りにした罪悪感を抱えており、しかも都会で財務コンサルタントとなり、セレブな顧客も抱えるほどの成功を収めたホワイトカラーだ。町を丸ごと焼き払うようなことは家族や町を考えると到底できないし、彼は暴力者でもない。そんな彼がむき出しの暴力(コスビーは暴力を美化しないので暴力が痛みをともなうのだ)にさらされる冒頭を経て、法を破って逆襲することを決めるのである。ここの心理のダイナミズムは、例えば北方謙三の名作『檻』や『擬態』を思わせる。

         知と暴力の摩擦と拮抗が本書のテーマと言ってもいい。腹を括ったあと、主人公は激昂した悪党が顔に銃口を突きつけてきても、不信感を抱いている顧客との交渉のようだと考えるようになる。この冷静さと周到さが、容赦ないヴァイオレンスをともなって物語を駆動してゆく。暴力についての知的な嫌悪をつねに失わぬまま、やむにやまれぬ暴力の必然を描くこと。嫌悪のもたらす自責と、暴力それ自体のもたらす陶酔を、ともに描くこと。これら両極をともに容赦なく追究すること。それがコスビー文学の美点であり、それが本書でさらに突きつめられている。必読。

         なお犯罪小説ファンに向けのちょっとしためくばせが本書には隠されている。献辞にも名前のあるジョーダン・ハーパーによる21世紀犯罪小説の名作のひとつ『拳銃使いの娘』(未読はおれが許さぬ)。なんとあの事件、本書と同じ「世界」で起きたことなのだ! あの事件の「あと」が、本書でさらりと触れられている。こういう遊び心もある作家なんだなコスビー、というオマケの好感も抱いてしまった。

 

  1. 酒井貞道

      1. 『遠近法』ローラン・ビネ/高橋啓訳

        東京創元社

      2.  ローラン・ビネは、作品が出すたびに、異なった小説的企みを忍ばせる。今回彼が行ったのは、書簡小説の形式をフル活用したことによる、小説の多面的構成である。舞台はメディチ家が支配する1557年のフィレンツェだ。画家ポントルモ(実在)が聖堂で殺された事件(死んだ日時は史実だが死因は虚構)を、画家にして美術史家のヴァザーリ(実在)が、フィレンツェ公コジモ1世(実在)の命で捜査する。この主筋に、フィレンツェ内外で渦巻く政治的権謀術数や、ルネサンス芸術の光と影が、副主題とは言い切れない存在感をもって絡んでくる。最大の特徴は全文が書簡で構成されていることだ。その書簡数は実に176通、書き手は20人超いて、これまた20人超いる書簡の受取人が読むことを想定して綴られる。ほぼ全員が実在である彼らの書簡はほとんどが私信に近いもので、その中では本音が爆発しており、そこでの述懐は、いずれも活き活きとして魅力に富む。書き手のキャラクターも即座に立ち上がり、ほぼ全員が登場人物として読者に鮮やかな印象を残すだろう。事実連絡のためにのみ書かれたごく一部の書簡を除いて、全ての書簡が一々魅力的であり、読んでいて面白いのである。それと同時に、捜査、陰謀、恋愛、家庭、美術などなど一見バラバラな事項を語る書簡の数々は、総体としてみた場合には、当時のフィレンツェの置かれた状況を鮮明に浮き彫りとするのだ。ここは本当に見事で、仮に他の作家が同種の構想で小説を書いたとしても、『遠近法』ほど上手く実現できるとは思えない。一面が書簡により構成された多面体は、様々な要素が乱反射して、見事な小説的輝きを放つ。

         この種の、特定の人物から特定の人物への私信が文章のベースになる小説は、現代だとメールやメッセージが素材になるはずだ。それらに比べて手紙(書簡)は、即時性が弱いし手軽でもないが、だからこそ一信でできるだけ多くの情報、感情、伝えたい事柄を盛り込もうとする。結果、書き手の人格がより鮮明に映し取られる。人間臭さは匂い立たんばかり。『遠近法』は、書簡小説の長所をしっかり活かしているのだ。ヴァザーリによる捜査と推理も意外と真っ当である。もちろん近代的捜査は行われていないが、その手法は概ね理知的で、有力者の指示に基づく素人探偵による調査としては、古臭くはない。推理もしっかり行われていて、条件限定など一定の論理的機序が用いられて驚くべき真相が指摘される。さすがに本格ミステリとまでは言わないが、ミステリとしてのクオリティは確保されているのだ。そしてここに、歴史小説に加えられた、虚構の旨味も乗る。1557年の史実の間隙を縫うように、作者は注意深く、しかし大胆に嘘を盛り込んでおり、その部分が読者をつかんで離さない。史実と虚構の合わせ技がミステリとしての要点に及んでいるのもミソ。素晴らしい作品である。

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      1. 吉野仁

          1. 『キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー』スティーヴ・キャヴァナー/吉野弘人訳

            小学館文庫

           

  2.  スティーヴ・キャヴァナー、憎いほどうまい。こんな高度の技術力をもつ娯楽小説作家がなぜいままで見過ごされていたのかと思うほどだ。物語はふたりの女性の視点を中心に展開する。ひとりは殺された娘の復讐に燃えるヒロインで、ある集まりで出会った同じ境遇の女から交換殺人を持ちかけられる。もうひとりは青い目の男に襲われ瀕死の重傷を負った女性で、あるとき彼女は自分を襲った男を目撃する。ご存じハイスミス/ヒッチコック「見知らぬ乗客」のアイデアをもとにしたサスペンスから始まるも、それだけで終わらず意表をつく展開がいくつも繰り出されるばかりか、終盤に出てくるどんでん返しには心底驚かされた。今月ならぬ今年のベスト級の面白さなのである。見逃すなかれ。そして、こちらも年間ベスト級のレベルの高さといえるのが、S・A・コスビー『灰の王』で、成功をおさめた主人公が父の事故を機に故郷へ舞い戻ると、ギャングともめごとを起こした弟の後始末で逃げ場のない暴力の渦中におかれてしまうという物語。実家が葬儀屋ということが重要な要素だったり、家族がらみの悲劇が重なったりと、その複雑で重層的な世界および容赦ない悪の描き方が例によってすさまじく、圧倒的な熱量を蓄えている一方で、救いようのない虚無もまた抱えているという目下コスビーにしか書けない重量級の犯罪小説である。ベテラン作家では、C・J・ボックスによる猟区管理官ジョー・ピケットシリーズ最新作『黄昏の銃声』もまた高い熱量を感じさせられた一作だ。判事狙撃事件をめぐる事件を中心に展開していく中、ジョーの盟友の鷹匠ネイトが登場する後半のある場面の凄みには心の底から恐れ入ってしまった。そして昨年刊行『17の鍵』『19号室』につづくシリーズ第三弾、マルク・ラーベ『スズメバチ』は、ロックスター殺害事件をめぐってトム・バビロンが捜査し、彼の家族が物語に絡んでいく展開なのだが、あいかわらずケレン味の濃い見せ場、交互に語られる現在と過去の出来事といった構成で話はぐいっと盛り上がっていく。すべてが暴かれる四部作の最終作がたのしみでしょうがない。新人作家ではなんといってもジョン・マクマホン『猟犬の誇り』が読みごたえあり。帯に書かれているとおり、主人公は孤高のFBI捜査官で連続殺人犯を狙う連続殺人犯という警察もの。「わたし」という一人称により、きわめて端的に分析しながら捜査をすすめる様子が浮かびあがり、そこに内省的な語りも混じりあうことで特有の味が出ている。すっきりと賢くかっこいい主人公の印象が残るのだ。この先も読んでいきたい書き手である。語りがいい(自然で読ませる)デビュー作といえば、エリン・E・アダムス『贄の森』は、親友の結婚式に出席するため帰郷したヒロインが、森のパーティーに参加したところ、親友の娘が行方不明になるという発端で、黒人の問題を含んだ悲劇が背景にある恐怖の物語としてぐいぐいとひきこまれる。エミリー・カーペンター『ゴシックタウン』もまた、アメリカの田舎町で怪奇なできごとが起こる物語。ニューヨークの一流料理店をコロナ流行で閉めたヒロインが南部の町に家族と移住し、豪邸で暮らし始めたが不審な出来事が続き、というシャーリイ・ジャクスンのオマージュがもとになっている一種のゴシック・ホラーながら、ドラマの流れや心理の動きがうまく描かれており、町の過去をめぐるミステリとしてもお薦めできる一作だ。エイミー・ティンテラ『記憶にない殺人』は、親友の殺害現場で血塗れとなって発見されるも、その記憶を失っている女性がヒロインをつとめる物語。犯人あつかいされた彼女はひさびさに町に戻ってきて、真実を暴こうとする。インタビュー番組のポッドキャストが物語の中に挿入されていくあたりがとても現代的だ。(2026年7月16日記)
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杉江松恋

        1. 『灰の王』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

        2. ハーパーBOOKS

           

 またも解説担当作ながら、これを挙げざるをえない。これまでに発表した長篇がすべて邦訳されているコスビー、最も評価が高かったのは総合的に見て第三長篇の『頬に哀しみを刻め』だと思うのだが、それを軽く超えてきた。第四長篇『すべての罪は血を流す』のあたりで、これまでの直線的な進行ではやれないことに挑戦しようとしているようには感じられたのだが、完全に成功しているとは言えなかった。その壁を『灰の王』で突き破った感がある。

 犯罪小説ファンなら誰でも気が付くように、『灰の王』はハメット『血の収穫』プロットのバリエーションである。ギャング相手にヘマをして多額の借金を背負った弟を助けるために実業家の兄が乗り出して交渉しようとするが、敵は理屈の通じる相手ではなく、屈辱的な仕打ちを受ける。それが発火点となって、ギャング集団そのものの解体を狙って兄は水面下での工作を開始するのである。一気に暴力を爆発させるのではなくて、知性の力でそれを制御しながら敵を罠にかけていくところに本作の妙味がある。当然相手に露見してはいけないので、面従腹背の姿勢で進めていくことになる。主人公は有能な実業家、怒りに燃える復讐者、ギャングにとっての獅子身中の虫と、顔を多面的に使い分けることになるので、当然ながら造形が立体性を帯びる。さらにいえば家族を救済するための物語でもあるので、外に向けた闘士の顔と、内に向けた兄の顔を併せ持つことになるのである。ここで、目的が手段を正当化するとは限らないという命題も浮上してくる。目的が家族愛であっても、暴力という手段でそれを実現することはできるのだろうか。こうした暴力小説の側面に加えて、行方不明になっている主人公の母はいったいどうなったのか、誰かに殺されたのか、というフーダニットの謎まで絡んでくるのだから完璧だ。最初から最後まで無駄なところが一切ない。かつ、暴力小説の単純さからも免れ、カタルシス追求だけに終始しない小説となった。これがコスビーの最高傑作だろう。

 なんと綺麗に三つに分かれた6月でした。それ以外にも秀作はもちろんあったわけですが、強い作品だったということでしょうね。来月はどうなりますことやら。(杉)

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