ミステリ出版界隈において、各社の話題作自信作が集中するのは夏から秋、八月から九月にかけてというのがこれまでのイメージだったのですが、ここしばらくはそれがやや早くなっていることにお気づきの方も多いのではないかと思います。年末ランキングの締め切りに影響をされているという見方もありますが、国内で刊行される海外ミステリがどれもすばらしい出来栄えで、自信作が絞り切れなくなってきているというのも理由のひとつなのかなと思ったり。海外ミステリに関して言えば、いつどの出版社のものを手に取っても傑作に当たると言っても言い過ぎじゃないくらいの状況ではないかと思うんです。
各社が厳選して紹介する作品にハズレなんてあるわけがなく、読者がおもしろいとかおもしろくないとか言ったりするのも、結局はその人の好みだとするならば、その好みに合いそうな本をなるべく幅広く紹介していくというのが当欄の役割なんだろうと考えています。というわけで今月は三作のご紹介となります。
まずはクリストフェル・カールソン『暗殺の冬』(棚橋志行訳 文春文庫)から。本当なら先月紹介するつもりだったのですが、あまりにもじっくり読みすぎて間に合わなかったのでした。本作についてはなんといっても帯の「十年に一度の傑作。」が目を引くわけですが、私はどちらかというとその横の「人間の罪を静かに見つめる」という文句が気になりました。
『暗殺の冬』 クリストフェル・カールソン (著), 棚橋 志行 (翻訳) 出版社 : 文藝春秋 |
冒頭の数ページ、四十歳を過ぎて故郷に帰ってきた作家の「私」が、エヴィという元警官の老婦人との出会いを振り返るシーンを読んで、これはもうじっくり読むべき話なんだなというのがわかります。はっきりとした理由があるわけではなく、一読してただそう感じる。そのような文章があるのです。すいすいと読み飛ばすことを許さない文章というか。とにかく本作はそのようなたたずまいを持った作品なのです。
一九八六年二月二八日。パルメ首相暗殺でスウェーデン中が混乱に陥っているなか、スウェーデン南西部のハルムスタッドで事件が起こります。「ティアルプ農場の近くで女性をレイプした」との犯行宣言を受けて現場に向かったスヴェン・ヨルゲンソンは、車中で瀕死の女性を発見。そのまま病院に連れて行くのですが、その途中で命を落としてしまいます。その二ヶ月後、ふたたび犯行宣言があり、一人の女性が行方不明になったことがわかりますが、いかなる形でも発見されることはありませんでした。この犯人はいつしか「ティアルプの怪物」と呼ばれ、スヴェンは警官生命をかけて犯人を追い続けるのでした。
「私」がエヴィと出会ったのは「ティアルプの怪物」事件から三十三年が経過した二〇一九年で、エヴィは出会ってすぐ脳梗塞で倒れてしまいます。スヴェンはエヴィのかつての同僚であり、また幼いころの「私」にとってもスヴェンとヴィダルのヨルゲンソン親子は特別な存在でした。エヴィが倒れてからしばらくして、「ティアルプの怪物の正体判明」というニュースが流れます。それまでなかなか組み合わさらなかったピースを、息子のヴィダルがつなぎ合わせて事件の真相を解明したというのです。「私」はこの事件のことを小説にすべく調査を始めるのでした。
冒頭のエヴィと「私」の出会いが描かれたあと、話は一九八六年に飛び、スヴェンの視点から「ティアルプの怪物」事件の顛末が描かれていきます。本作は三部構成となっていて、まず第一部(二〇一九年)で「私」とエヴィ、そしてスヴェンとヴィダルとの関係が描かれ、「ティアルプの怪物」事件についても触れられます。第二部(ここが本作の大部分になるのですが)では上にも書いたようにスヴェンの視点から「ティアルプの怪物」事件が語られます。ここでは一九八六年から二〇一九年までの三十三年間がじっくり描かれることになります。そして第三部でまた二〇一九年の「私」が視点となって、「私」の目線から「ティアルプの怪物」事件が語り直されるという構成です。普通に書けば連続殺人事件を追う警察小説という体になるはずですが、作家である「私」を語り手とすることによって、「私」がかつて関係していたスヴェンやヴィダル、そしてエヴィといった人たちの心情に踏み込む描写が可能になる。著者が描こうとしているのは犯罪そのものではなく、それに関わった人たちの生き様なのであり、それをより明確に打ち出すためにも「人間の罪を静かに見つめる」「私」の存在が必要だった、そのように読めるのです。
最初にも書きましたが、じっくりと味わってほしい小説です。これからの方はしっかりと時間を取って読み始めてくださいね。
続いてはジョン・マクマホン『猟犬の誇り』(髙山祥子訳 創元推理文庫)を紹介します。こちらは一気読み必至の傑作です。
『猟犬の誇り』ジョン・マクマホン (著), 髙山 祥子 (翻訳) 出版社 : 東京創元社 |
主人公のガードナー・キャムデンはFBI捜査官で、PAR(Patterns and Recognition)と呼ばれるユニットに所属しています。このユニットは有能ではあるけれど何らかの問題を抱える捜査官が配属されるところで、彼らはいわば組織のお荷物扱いを受けているわけですが、メンバーそれぞれに得意とする分野があり、その分野では他の追随を許さない実力を発揮します。ある他殺体の身元確認に出向いたガードナーと相棒のキャシーは、その死体がロス・ティグノンであることを確認します。ティグノンは、七年前にガードナー自身が担当していた連続殺人事件の犯人と目された人物でしたが、逮捕に至る直前で焼死したとされていました。しかしティグノンは、いま目の前に死体となって存在している。これはいったいどういうことなのか、というのが物語の発端となります。
その後、また別のところで今度は八十年代に連続殺人を犯して服役していた男が殺害されます。男は老齢のため釈放されたばかりでした。先に殺されたティグノンとの共通点は、連続殺人犯であるということ。この二件の殺人が同一人物の手によるものならば、それはまさに連続殺人犯ばかりを狙う連続殺人ということになります。かくして事件はPARの担当となり、ガードナーはその指揮を取ることになるのです。
お荷物扱いを受けているチームが、本来の実力を発揮して事件を解決に導くという話は、たとえばミック・ヘロンの『窓際のスパイ』に始まるシリーズやマウリツィオ・デ・ジョバンニの〈P分署捜査班〉シリーズなどを思い出すわけですが、これらの作品との大きな違いは、なんといってもガードナーという存在にあります。
ガードナーは卓越した記憶力と数値で世界を認識するという能力を持っていて、かつ他者とのコミュニケーションにも問題があります。こういった特性も、最近の小説ではよく扱われるわけですが、本作はそのことをガードナーの一人称視点で語ります。変わった人を外側から描写するのではなく、人とは違うことを自覚している人間がその内面から物事を、ときには自分自身を見つめ、語っていくのです。
PAR対連続殺人犯というある意味単純な対立の図式が、ガードナーを始めとするメンバーの個性によって、読み応えのあるエンターテインメントになっている。そんな作品です。続編にも期待しています。
最後に、今月はこれに触れないわけにはいかないだろうという作品について。S・A・コスビー『灰の王』(加賀山卓朗訳 ハーパーBOOKS)は、著者の五作目にして最高傑作であると断言します。ぜったい読むべき。
『灰の王』 S・A コスビー (著), 加賀山 卓朗 (翻訳) 出版社 : ハーパーコリンズ・ジャパン |
投資コンサルタントとして大きな成功を収めたローマンは、父親が交通事故に遭い、昏睡状態になったことから数年ぶりに故郷に戻ります。故郷には父親のほか、父親といっしょに火葬場の経営に携わっている妹と、三十歳にもなって未だフラフラしている問題児の弟がいます。家族と久しぶりに会ったローマンは、そこで弟が麻薬取引の失敗でギルクリスト兄弟に三十万ドルの借金を背負っていることを知るのでした。
この苦境から弟を救い出すため、ローマンはギルクリスト兄弟と対峙するのですが、大抵のことは金で解決できると高をくくっていたローマンは交渉に失敗し、より不利な条件を飲まされることに。この状況からどのようにして形勢を逆転していくのか、というのがメインのストーリーになります。
知力に長けたローマンは、元軍人である友人のハリールを呼び寄せ、ありとあらゆる手段を使ってギルクリスト兄弟率いる〈ブラック・バロン・ボーイズ〉を追い詰めて行きます。彼らを叩きのめし、家族に平安をもたらすというローマンの正義が、町全体を巻き込んで行き着く先がどこになるのかを、私たちは目の当たりにすることになります。
コスビーの興味は「人はどのようにして一線を超えるのか」にある。これまでの作品を読んできて、そんなことを考えていたのですが、本作ではそのことがはっきりと示されたような気がします。ローマンはどうすれば自分と家族を救い出すことができるのかに全力を注ぎます。家族のためなら暴力も辞さないが、それが終われば投資コンサルタントとして元の世界に帰れるのだとどこまで信じていたのだろうか。と考えざるを得ないのです。「灰の王」とは誰のことなのかを、ぜひその目で見届けていただきたいと思います。
最初に書いたように、この時期は各社の自信作が出揃う時期です。翻訳ミステリー読書会では、毎年この時期に「夏の出版社イチオシ祭り」をライブ配信していますが、もちろん今年もやります! 「第5回 夏の出版社イチオシ祭り」は八月一日(土)二十一時よりライブ配信です。今回も各社のイチオシ作品がたくさん紹介されることと思います。ぜひごらんいただいて、今後の読書計画の参考にしてください!
イベントの詳細は、読書会のHP に記載されていますので、そちらも合わせてごらんください。


