■マーガレット・ミラー『歪んだ雪』( 柿沼瑛子,平岡扶佐子訳・論創社)■
![]() 歪んだ雪(論創海外ミステリ 345) マーガレット・ミラー (著), 柿沼瑛子 (翻訳), 平岡扶佐子 (翻訳) 出版社: 論創社 |
マーガレット・ミラーの未訳作の登場だ。
『雪の墓標』から11年ぶりと、随分待たされてしまった。米国ミステリの最重要女性作家なのだから、まだある未訳作紹介のピッチを上げてもらいたいものだ。
本書は、『眼の壁』(1943)と『鉄の門』(1945) という初期の充実作の間である1944年に刊行された作品。
驚いたことに、コメディ要素が強い。
舞台は、カナダのケベック州。猛吹雪のため立ち往生したスキーバスの運転手が外に出て行方をくらましてしまう。乗客たちは、運転手のあとを追い、凍えそうになる中、小高い丘に佇む屋敷を発見、ところが、屋敷から発砲される。屋敷に辿り着くと、そこは頭の調子がおかしい女主人と若い看護師の二人が住んでいた。なんとか受け入れてもらった一行だったが、地下室からは運転手の遺留品が発見されるは、飼い猫が切り裂かれるは、やがて、女看護師も女当主も行方不明になるという不審な事態が続発する。
乗客は男女11人。主な視点人物は、ハイミスのキャリアウーマンであるイソベル。ほかに新婚旅行中の夫婦、曰くありげな恋人同士、何でも娘が主導する父娘、流れの女ダンサー、英国の詩人とそのパトロンである中年夫人、危険な感じがする野性的な男といった面々。
冒頭から、筆致はユーモラス。イゾベルは、頭の中で手紙を書くのが趣味で、スキー販売店に高いスキーを買わされたと苦情の手紙を書いたり、乗客の若い男に「わたし、そこそこいい女ですのよ。とび色の髪にとび色の瞳。三十五歳でますまずの収入もあり…」と書き送るのを空想する。
屋敷の様子もただならぬ雰囲気が漂っているが、一行が泊まることが決まるまでの騒動は、スラプスティック調だ。
神経症的サスペンスで名を成したミラーとユーモアという取り合わせは意外なようだが、『明日訪ねてくるがいい』(1976) に始まるトム・アラゴン弁護士物は、ユーモラスな要素も多かったし、前作『眼の壁』でさえ、サンズ警部の描写などにもコミカルなところもあった。ユーモアは、作家の基底音の一つでもあったのだ。
さて、屋敷で騒動は進み、二つの死体が転がることになる。一つの死体は、雪に頭を突っ込んで、脚だけ見えているという『犬神家の一族』『薔薇の名前』スタイルだ。殺人事件の発生で、にわかに物語は、「雪の山荘」を舞台にしたクローズド・サークル物の様相を呈し、さらには、迷い込んできたクロスカントリーのスキーヤーまでが一行に加わる。
晩年のインタビューで、ミラーが一番影響を受けた作家として、W・S・モームを挙げ、「かれの作品を読み返してみれば、ミステリー的なプロットが使われていることに気づくはずよ。誰がやったかではなく、なにが起こったかという点についてね」と語ったというが(『眼の壁』解説)、本書は、まさしくスキーバスの一行に、一体何が起こっているのかを問題にしている作品である。
「なにが起こったか」の謎は、秘密を知る者の語りもあって、徐々に氷解していく。「誰がやったか」(フーダニット) の興味は、最後まで持続するが、犯人の正体は意外ではあるものの、推理や手がかりにはあまり拘泥せず、むしろ、この事件で一番賢かったのかは誰か、を種明かししているようでもある。
作者としては、雪の山荘を舞台に、多様な個性が火花を散らす群像劇を書いてみたかったというところだろうか。イゾベルは、「ほとんどの人は根っからのものぐさに加えて自分本位ときてる。問題は、誰ひとりとして何かしなければという意識がないってことなのよね」と新参者のスキーヤーにこぼす。バスの運転手探しや行方不明の看護師探しを主導し、行動するのは、イゾベルだが、どこか空回りしているようでもあり、周囲からはお騒がせ屋といわれる彼女の存在感は、よく描かれている。現代的な訳文もあり、未成年ながら何もかもお見通しのような娘、奔放だが優しい心根もみせるダンサーなど他の女性陣も生き生きとしている。
あえて、現在形だけで勝負したのか、登場人物たちの過去が欠けているのは、この作家にしては物足りず、ドラマに奥行きを欠く要因になっているように思える。加えて、大いに笑いを意識した小説ではあるものの、陰惨な事件とは、バランスが悪い面もある。
まだ、模索期の粗削りなところが出ているともいえるが、作者が珍しいコメディ・タッチに徹した異色作として、味わいたい作品だ。
■E・C・ベントリー&H・W・アレン『トレント自身の事件』(金井美子訳・論創社)■
![]() トレント自身の事件(論創海外ミステリ 346) E・C・ベントリー (著), H・W・アレン (著), 金井美子 (翻訳) 出版社: 論創社 |
本書『トレント自身の事件』(1936) は、1913年に発表されて、高く評価され、ミステリ黄金時代の先駆けとなったE・C・ベントリー『トレント最後の事件』の20年以上後に書かれた続編。戦前に邦訳はあったものの、よほどの収集家でなければ、読むことは叶わなかった。この度、新訳が登場したことは、喜ばしいできごとだ。
ただし、ページを開くに当たっては、懸念もあった。邦訳ミステリ文献でほとんど問題にされず、本格ミステリ好きのガイド役となっている森英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』にも「全体としては冗長さが目立ち、『トレント最後の事件』の出来にははるかにおよばない」という評価があったからだ。
さて、本作のあらすじは、次のとおり。
大富豪で、有名な慈善家、ジェームズ・ランドルフが銃で殺害される。トレントの親友である医師フェアマンは、フランスへ渡る途中、自白書を残し、帰途には、自殺を図って、逮捕される。素人探偵から足を洗っていたトレントだったが、友人のために捜査に関わっていく。ランドルフの周囲には、何やら怪しげな従僕、慈善事業を一手に引き受ける秘書、不良紳士の文筆家、ランドルフから執拗な手紙に悩まされていた舞台女優といった人々がいて、死後には、突然、家出息子が顔を出す。果たして事件の真相は。
結論からいって、悠揚迫らぬ英国流の謎解きをじっくり堪能でき、楽しめる本だった。共作者の関りの程度は明らかになっていないが、特に、作者の「じらし」のテクニックは、相当のもので、トレントが調査に当たる関係者は、なかなか本題を語ろうとしない。トレントも、じれながら、詩やら聖書やらを引用して、応戦するので、一体何を話しているのか、一瞬分からなくなるほどだ。
フェアマンの謎の行動を探るべく、フランスに渡ったトレントは、〈キマイラ小路〉というところで、ある貴族の醜聞に突き当たるのだが、本題に入るまでが長い。気短かな人は、飛ばしてしまいそうだが、人物の描き方、会話、雰囲気の醸成いずれにも味があり、小説を読んでいるという実感がある。トレントが、かつてのフランス徒歩旅行中に偶然、慈善家の裏の顔を知ったエピソードにも一章が当てられているが、ここも十分に味わいのあるサイドストーリーになっている。現場にあったワインのコルクの謎を専門家から聞き出すくだりや、不良紳士の文人から秘密を探り出すくだりも、印象深い。
もって廻っている、と取られかねないところに、実は豊かさがあり、じれながら浸る喜びがある。トレントの行動についてもそうで、事態が急展開する中、のんびりとゴルフしている場合かとも思えるのだが、こうした振る舞いにもきちんと意味があるのだ。
ただし、フランス貴族のスキャンダルの挿話は、冒頭の「オデュッセイア」からのエピグラムともども、思わせぶりなわりには、プロットへの貢献はほとんどなく、何らかの計算違い、あるいはプロットの変更があったのではないかとも思わせる。
プロットの面でも、見るべきところは少なくない。特に気に入っているところは、なぜ、医師のフェアマンが殺人の告白をしたのかという点。トレントも読者も、いちおうの推測はつけているのだが、実はかなりのサプライズがある。現場に残った指紋の手がかりも、物語半ばをすぎて、真実を明らかにすることで、効果を挙げている。
犯人は意外な人物で、その偽装工作も面白く、ふとした会話に手がかりを混ぜているし、犯人を暴くトレントの計略も、それと気づかせずに運ぶところは巧妙だ。ただ、警察の捜査の対象になってしかるべきなところなのに、十分な調査がされていない点は弱みになっている。
『トレント最後の事件』を読んだ読者にとっては、本書で姿をみせるトレントの妻や男の子に感慨を抱く人も多いだろう。
『トレント最後の事件』が、ミステリ史において歴史的意義をもった理由としては、大まかにいって二点にまとめることができる。一つは、探偵役トレントをホームズ的なプロフェッショナルで、真面目な正義の執行者としてではなく、陽気な素人として描いた点。人間らしい感情を持ち合わせた人物であり、作中の容疑者と恋にまで落ちる。もう一つは、プロット面の創意であり、複数の意図の導入により、真相把握を困難にさせ、スマートな二重底の解決をつけたことにある。
本作においても、トレントの人間性ある個性は良く出ているし、プロット面の工夫もある。問題は、『トレント最後の事件』が嚆矢になって、続々と新しい個性をもった探偵やより創意あるプロットをもったミステリが登場したことだろう。本書が刊行された1936年という時点では、こうした自らつくり出した潮流の中に本書の長所が埋没し、高い評価につながらなかったということなのだろう。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
![]() 雪の墓標 (論創海外ミステリ 155) マーガレット・ミラー (著),中川美帆子(翻訳) 出版社: 論創社 |
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![]() 明日訪ねてくるがいい(ハヤカワ・ミステリ 1299) マーガレット ミラー(著), 青木久惠 (翻訳) 出版社: 早川書房 |
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![]() トレント最後の事件(創元推理文庫 114-1) E・C・ベントリー (著), 大久保康雄 (翻訳) 出版社: 東京創元社 |
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ミステリ読者。北海道在住。






