前作『証拠のE』ではキンジーの悲しき「おひとりさま」の姿をたっぷりと堪能することができた。さて、『逃亡者のF』で寂しきキンジーの心は癒されているのでしょうか?

 サンタ・テレサから車で一時間半の所に位置する小さな町、フローラル・ビーチ。キンジーがこの町を訪れたのは、17年前に起こったジーンという少女が殺害された事件を再調査するためであった。容疑者であったジーンの元恋人、ベイリー・ファウラーの父親であるロイスより、息子の無実を証明してほしいと依頼されたのだ。ベイリーは殺人罪で投獄されたもの脱獄し行方不明となっていたのだが、ひょんなことから最近警察に再逮捕されていたのだった。過去の犯罪を再検討すべく町を右往左往するキンジー。だがベイリーの罪状認否手続きの日、散弾銃をもった男が法廷に突如乱入、その隙にベイリーは再び逃亡してしまう!

 シリーズの舞台といえば南カリフォルニアの架空の町、サンタ・テレサであるが、『アリバイのA』ではラスベガスまで調査のために赴くなど、割とキンジーは四方八方の土地を踏んでいる印象がある。しかし、本作でキンジーが活躍するのはフローラル・ビーチの町という、極めて狭いコミュニティの中に限られている。登場する人物たちも9割が町の住人たちであり、『E』に引き続きヘンリーやジョナ・ロブ刑事といったレギュラーが全く登場しないのだ。だが、これは別にキンジーの「おひとりさま」を際立たせるためではなく、キンジーがフローラル・ビーチにとって完全なる「余所者」であることを強調する意味合いがあると捉えた方がよいだろう。事情を知らない「余所者」であるからこそキンジーは住人同士の暗部に首を突っ込み、住人たちはボロを出さないようにキンジーを敬遠するのである。そう、これは「スモールタウン」をテーマにした小説なのだ。町という小さな共同体の中に犇めく人間たちの隠された関係が、皮が一枚一枚剥がれるように暴かれていく過程に本作の目玉がある。

 と、ここまで書いて思い出した。この作品、何かに似ているなと思ったら、ヒラリー・ウォーの『生れながらの犠牲者』じゃないか。ウォーの作品は1人の少女の失踪を主人公フェローズ署長が捜査すると、少女をめぐる町の人間関係が次々と露呈していくもののなかなか犯人像が浮かんでこない、というお話だった。『F』もまたジーン殺害事件をキンジーが再検証し、実は性的にかなり奔放だったジーンが住人たちに禍根を残していたことが発覚して、結局どいつもこいつも怪しい容疑者リスト入りを果たすという展開をたどるのだ。さらにはこの両作品、真相を暴いた先に家族の問題が浮かび上がってくる点でも共通している。第三者からは理解することのできない、家族の間の摩擦、軋轢が謎を解いた者の面前に拭い去ることのできない「しこり」となって現れるのだ。

 もっとも『F』の場合、ウォー作品のように緻密な構成で読者を惹きつけるわけでない。何せ終盤は「夫に余計な嫌疑をかけやがって!」と半ばプッツンした医師の妻がキンジーを追っかけまわし、逃げ惑っている間にあれよあれよと犯人に辿り着いてしまうという、かなりの力技で物語を閉じているのだから。真犯人を示す証拠も偶然見つけられたにすぎず、ラスト近くは私立探偵小説というよりも行き当たりばったりなサスペンス小説と呼んで差し支えないような展開になっているのだ。この強引な感じがなかったら、ウォーの小説のようになっただろうに、惜しい!

 とはいうものの、物語中盤まではこれまでのシリーズではなかった真相に至るまでのもどかしさがあったりして、ミステリの要素が一番楽しめた作品でありました。まあ、『E』のようにキンジーの私生活をもっと覗きたい!という人には、ちょっと退屈かもしれないけれどね。

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

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