パトリシア・コーンウェルは、当初「検屍官」シリーズを10作で完結させる予定だったという。第9作『業火』があの「重要人物」がシリーズから一旦退場するお話(でも『黒蠅』で仰天動地の大復活!)なので、確かに10作で終了というのは、切りが良いっちゃあ良い時だったのである。

 しかし第10作『警告』刊行後もシリーズは続行、そして『黒蠅』以降の迷走っぷりはこれまで連載を読んでいただいた皆様には、よおくお分かりのことだと思う。

 ここまで行き当たりばったりに話が展開すると、ひょっとしたらコーンウェルは半ば嫌々ながら書いてるんじゃねえだろうな? 予想以上に人気出ちゃって、そんで続けざるを得なくなったんじゃ、と下司の勘繰りのひとつでも入れたくなるところだ。まあ考えてみれば名探偵の代名詞たるシャーロック・ホームズだって、シリーズの継続にあまり乗り気でなかった作者ドイルに一度は殺されて、そんでまた生き返ってるしなあ。

 それはともかく、『黒蠅』後の大暴走で「検屍官」シリーズは、(1)のライフスタイル私立探偵小説の主人公を公的な組織の人間として描き、組織内での葛藤を3F物ライフスタイル的なミステリーの世界に持ち込んだこと、(2)科学捜査・検屍といった専門知識への興味を満たす「情報小説」としての側面、この2点のセールスポイントを完全に失ってしまった。(1)は三人称への視点変更とケイがフリーの検屍官になったことで、(2)はホントかどうか疑わしい科学知識の描写で、だ。『黒蠅』後、読者を繋ぎ止めていたのは、狭い人間関係内で再生産され続けるメロドラマのみだけだったように思う。しかも、そのメロドラマを追っかけるためには、シリーズを頭っから順に読んでなきゃ理解不能になるときたもんだから、困ったもんだ。この「検屍官」シリーズ、“一見さんお断り”の新規読者を寄せ付けない小説となっております、ってここらへんのこともこれまでの連載で何度も繰り返し説明していたことですよね。

 ということは、キャラクター同士のスキャンダラスな出来事に付き合いきれない読者、つまり上記の(1)、(2)の要素を本来面白がっていた日本の読者はどこへ流れて行ったのだろう? 思い出してほしいのは、大沢在昌『新宿鮫』と『検屍官』の相似性だ。『新宿鮫』は私立探偵小説の主人公を警察小説に移植した点において、上記(1)と同じような要素を孕んだ小説だったといえる。

 ここで『新宿鮫』から90年代以降の日本の警察小説を辿ってみると、『黒蠅』以前のコーンウェル作品が備えていた(1)、(2)をよりミステリーとして洗練された形で書いて見せる作家が出現していたことに気付く。その名は横山秀夫。

 彼は(2)人事担当者や似顔絵捜査官といった従来の警察ミステリーが注目しなかった、専門的でディープなポジションの仕事人を描き、(1)彼らを組織の中の一個人として書きながらプライヴェートでの苦悩も盛り込むライフスタイル的なミステリーの側面も持つことで読者の支持を得た。組織に属しながらそのあり方に疑問を抱きながら生きる個人に焦点を当て、高度な専門性のある情報を書き込む。そうした「検屍官」シリーズが忘れてしまったものを、横山作品は短編という凝縮された形であらわしていたのだ。ちなみに横山が「陰の季節」でデビューするのは1998年のこと。「検屍官」シリーズが方向性を失い始める『業火』が日本で刊行されたのも98年である。

 さらに言うならば、(1)(2)を併せ持つ横山秀夫の警察小説は、ここ数年の「お仕事小説」の隆盛へとつながるのではないだろうか? つまり、(2)あまり知られていない職種に対して注目し、(1)職場における悩みも私生活における悩みもごった混ぜにして描く。横山の小説から「警察」という軛を取っ払うと、そこには「お仕事小説」と呼ばれる作品群の特長が浮かび上がるのだ。そこに付け加えるなら、(3)主人公の成長を描く「教養小説」の側面が強い小説が多い、ということか。

 ……ってなんで横山秀夫や「お仕事小説」の話になるんだとおっしゃる方もいるかもしれないが、日本で「3F」=ライフスタイル的小説として受容された、と考えた時、それはグラフトン・パレツキーのレディガムシュー物 → P・コーンウェルの「検屍官」シリーズ → 横山秀夫の警察小説 → 昨今の「お仕事小説」という系譜でまだまだリレーのように受け継がれているんじゃなかろうか、ということが言いたかったわけです。

 確かに「3F」という呼称は使われなくなったけど、それが持つライフスタイル型ミステリー小説というのは、例えば高殿円の『トッカン』のような小説まで鉱脈がつづいているのではないか、と。グラフトン、コーンウェルという2人の作家を追い続けた今、そんなことを思っています。

 ライフスタイル的私立探偵小説と「お仕事小説」については、いずれ改めて考える機会を持つとして、ここで一旦、「3Fミステリー」を辿る旅の記録はお仕舞いと相成ります。約2年弱の間、お付き合いください、本当にありがとうございました!

 ……ってお前、何か忘れてるだろうって?

 い、嫌だなあ、忘れるわけがないでしょう、旦那?

 ほ、ほら、サブタイトルにもしっかり書いてあるじゃございませんか?

 え、何かとってつけたような感じだって? 西田ひかるのことよりも、10年以上大ファンの井上真央が出る「トッカン」のドラマが観たくて早く原稿を終わらせたかったら、って違いますからね、断じて違いますからね! そっ、それじゃ! (そそくさ逃げる)

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

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