で、3Fってナニ? とタイトルを見て思われた方もいるのかも知れないので一応、用語解説を。3Fとは、主人公が女性、著者が女性、そして大半の読者が女性、というミステリー作品を示す言葉(Fは、Female = 女性の頭文字)。例を挙げるならば、スー・グラフトン、サラ・パレツキーといった作家の小説がこれに当たる。
と、物知り顔で説明した私だが、実は生まれてこのかた、いわゆる「3Fミステリー」を読んだことがないのです。何せグラフトンせよ、パレツキーにせよ、あのズラッと並んだシリーズに手をつける気が全く起こらない。やっぱり「キンジー・ミルホーン」物ってAから読まなくちゃダメなの? いきなりHからとかはナシ? とそんな悩みを解消しようにも、周りにこのジャンルに精通した本読みがおらず、結局「3F」は食わず嫌いのまま。
そんなことを酒の席で本サイトの管理人に打ち明けたところ、「よし、じゃあ3Fを読む企画をやろうじゃないの。まずはグラフトンの『キンジー』シリーズ読破だ!」とのお言葉が返ってきた。「ええっ、だって今まで一冊も読んだことないんですよ!」戸惑う私に管理人は「(酔っぱらいながら歪んだ笑みを浮かべ)今まで読んだことがない人や、そのジャンルを嫌いな人に読ませて書かせた方が面白いの!」
かくして管理人のサディズムから生まれた「3Fを読む!」がスタートするわけであります。
記念すべき第一回はスー・グラフトン『アリバイのA』。はい先輩、ちゃんとAから読み始めます。
グラフトン作品のシリーズ探偵、キンジー・ミルホーンが初登場する本作は、こんなおはなしだ。
カリフォルニアのサンタ・テレサに事務所を構える元警官でバツ2の探偵、キンジー・ミルホーン。彼女の元に、刑期を終えて出所したばかりのニッキという女性が訪れる。彼女は8年前、弁護士である夫のローレンスを毒殺した疑いで有罪判決を受けたのだが、自分は無実なので身の潔白を証明して欲しいというのだ。依頼を引き受けたキンジーは、ある不審な点を発見する。ローレンスが殺害された直後、彼の事務所に関係のある女性会計士が同じ毒薬で死亡する事件が起きていたのだ。
ローレンス殺しの真犯人は誰なのか? 二つの毒殺事件に関連はあるのか? 8年前の真実を暴くべく、キンジーはかつてローレンスと関係をもった女性達への調査を開始する。が、ローレンスの元共同経営者であるチャーリーと恋に落ちてしまったり、事件の手掛かりを掴むために訪れたラスベガスで新たな殺人事件に巻き込まれたりと、次々と起こるトラブルに彼女の調査は難航するのであった。
私が今まで「女探偵」という単語に抱いていたイメージは、「意志の強さ」というものであった。ちょうどハヤカワ文庫のサラ・パレツキー作品の表紙に描かれているV・I・ウォーショースキーみたいな、私のようなボンクラ男子なぞ睨むだけで黙らせるような、何事にも動じない鉄の意志を持つ女性をずっと想像していたのだ。
ところがどうだ、本書のキンジー・ミルホーンときたら悲しいことがありゃ涙はボロボロ流すわ、イイ男にはメロメロになるわ、「鉄の意志」どころか、それこそ感情が秋の空のごとく移ろいやすいキャラクターじゃないか!
なかでも事件の調査中に出会ったセクシーな中年男性、チャーリーとの恋愛におけるキンジーの惚れっぷりはすさまじい。以下、食事に誘われたキンジーが彼について語る場面からの抜粋。
初めて会ったときから彼の身体全体から匂っていた牡の臭い。その磁力は強烈で、ときには高圧電流のように抗いがたいエネルギーを発し、近寄ると大火傷をしそうだった。
きゃあ、何ですかこれは? ハーレクインロマンスですか! いや、3F同様、ハーレクインも読んだことないけれど……。ちなみにこれ以外にもネットリドロドロしたラブシーンの描写があるが、引用するうちに「これはさすがにマズい!」と思ったので、多少表現がおとなしい上記の部分に差し替えました。とにかくチャーリーに対して、キンジーはこっちが赤面するくらい恋する乙女(離婚歴2回の32歳だけど)の気持ちを全開にするのだ。おーい、あなた83ページで「わたしはこと男性に関してはおよそ可愛げのないドライな女だった。」って自分で言ってましたよね? かと思えば、チャーリーから探偵の仕事のことは忘れてくれと文句をつけられたら、すぐにカッとなって喧嘩を始める始末(が、その後すぐ仲直りしてベッドイン)。
このように「南カリフォルニアの爽やかな風」どころか嵐のごとくコロコロと感情を変化させるキンジーだが、これは作者グラフトンがキンジーというキャラクターをどう描こうか模索していたことの証左ではないか、と私は思う。憐憫、憤怒、熱愛……。あらゆる人物や事件と出会わせ、様々な感情を持たせる過程を経て、徐々にキンジー・ミルホーンというヒーローを形成していこうとグラフトンは考えていたのではないのかしら。そのことがもっとも顕著にあらわれているのが、ラストに待ち受けるキンジーの探偵生活、いや人生にとってターニングポイントとなる、あるショッキングな出来事だ。それは、己の感情を棄て、キンジーを真のプロへと成長させるためにグラフトンが用意したイニシエーション(=通過儀礼)と捉えることができる。息の長いシリーズキャラクターも、この時点ではまだまだ発展途上だったというわけなのかな、うん。
「発展途上」という言葉は、ミステリーの仕掛けの部分にも当てはまる。極めてオーソドックスなプライベート・アイものの展開を踏襲し、関係者たちの人間関係を紐解くことで、起こった事象の因果関係を解くキーを手に入れていく、というプロセスをグラフトンは丁寧に書いてはいる。が、犯人がある物証に仕掛けたしょーもない小細工をキンジーが物語終盤になってようやく見破るなど、「そもそも何でそんなことを今まで調べていなかったんだ、キンジー!」と突っ込みをいれたくなるような部分があり、お世辞にもミステリーとしての構成を褒めることはできない。
というわけで、キンジー・ミルホーンの変化、そして作者のグラフトンの「ミステリー作家」としてのレベルアップを期待しながら、『泥棒のB』に手を伸ばすことにします。
挟名紅治(はざな・くれはる)
ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。