あ、あれ、おかしいぞ。前作であれだけ親密な仲になったはずのロバート・ディーツの名前が登場人物表の中にない。キンジーとロバートのその後の関係が気になっていたのだけれど、今回は出番なし? 考えてみればグラフトンって、キンジーの身近な登場人物に対しては結構冷淡な扱いをしている感じがする。キンジーとの恋愛がうやむやになったままジョナ刑事はシリーズからフェードアウトしたようだし、ここのところヘンリー・ピッツの出番も少ない。このシリーズ、私は主人公以外のレギュラーメンバーにあまり肩入れしていない印象を受けるのです。ジョナはともかく、ヘンリーやロバートにはもう少し活躍の場を与えてもいいのでは……おっと、だいぶ寄り道をしてしまった。肝心の『殺人のH』中身そのものを話さねば。

 キンジーは調査員として契約を結ぶ保険会社から、保険金詐欺と思われる自動車事故の調査を依頼された。事故の保険を請求する女、ビビアンナに接近し、彼女が詐欺を働いている証拠を掴もうとするキンジーだったが、謎の2人組がビビアンナを連れ去ろうとする騒動に巻き込まれ、留置場に入れられてしまう。わけもわからずゴタゴタに巻き込まれたキンジーにさらなる災難がふりかかる。「身分を偽り、保険詐欺集団に潜入捜査してほしい」と警察から頼まれるのであった。

 今回のお話、一言で表現すると、ズバリ「不良少女漫画」。以前、『アリバイのA』で私はキンジーの甘ったるい恋愛模様を「少女マンガのよう」といったけど、それとはまた違って「不良もの」の匂いがぷんぷんするのだ。

 まず、キンジーがちょっとしたワルになりすまして犯罪集団に潜入捜査させられるという展開。いくら容疑者に近いビビアンナに接近して同じ檻の中で過ごしたからといって、いきなり警察側から「潜入捜査してくれ」なんて頼むか、普通? しかも最初は「私はまともな人間なのに、犯罪者みたいに見られるの、嫌っ!」てわめいてたくせに、途中からまるで万引きのスリルに目覚めてしまった優等生のように「だんだん楽しくなってきた気がする」なんていっちゃうのだ。これでキンジーに高校の制服を着せ、拳銃の代わりにヨーヨー持たせたら、完全に「スケバン刑事」ですよ。いや、この場合「スケバン探偵」か。

 さらに詐欺集団に関わる人物たちも一昔前のマンガから抜け出してきたような奴らばっかりである。

詐欺集団のボス、レイモンドの情婦だったビビアンナ。セクシーボディの持ち主で一見、天真爛漫なアバズレに見えるが、レイモンドからドメスティックバイオレンスのような仕打ちを受けながら逃げるに逃げられないダメ不良女である。

 で、ビビアンナの現在の恋人(というか、すでに入籍している)の元警官でキンジーの旧友でもあるジミー・テート。不祥事で警察を追われた身だが、好きな女のためには正義の心を熱く燃やしちゃう「カッコよくて、不良だけど実はイイ奴」タイプのキャラである。

 そして犯罪グループのヘッド、レイモンド。チックの症状などがみられるツレッド症候群という病の持ち主で、頭の回転が良さそうだけど、時々手がつけられないほど暴れ出すチンピラである。

 そんな高校の不良集団みたいな彼らが、内輪を延々と繰り返すをキンジーが観察する。それがこの『殺人のH』という小説なのだ。えっ、キンジーの潜入捜査はどうなのかって? いやあ、全然そんな興味が起きないほど、緊張感ないんですな。いつ正体がバレるのか、とか、そういうハラハラ感が不思議なことに全く伝わってこないんですよ、みんな痴話喧嘩に夢中で。終盤、ある人物の意外な正体が発覚する場面があるんだけど、それもほんのおまけ程度のサプライズ。

 巻末解説で池上冬樹氏が『探偵のG』と『H』でグラフトンの成熟を見た、と書いておられたが、『G』はともかく『H』のウン十年以上前の不良少女漫画みたいなノリからどう成熟を感じればいいのか、私にはさっぱりわからない。私が『G』から感じたのは、自分の知らないイケない世界に浸ってみようかしら、なんていうグラフトンの中にある優等生的な変身願望なのだが、これはちょっと穿ち過ぎだろうか。とにかく『G』までに形成されつつあった、大人の独身女性が抱えるあれこれを描く、というスタイルはどこへ行ってしまったのか……。『C』から右肩上がりだった私の中でのシリーズの評価が、またちょっと下を向き始めたのであった。

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

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