前回の『殺人のH』で、私は久しぶりにマイナス評価を下しました。キンジーにどこぞの少女漫画のような潜入捜査を行わせることで、シリーズのマンネリを打破しようとしたようだけど、それは人物描写、特に「悪役」の描き方が単調かつ薄っぺらいという作者グラフトンの欠点を浮き彫りにしてしまったわけだ。さて、次の『無実のI』では如何に?
名うての敏腕弁護士、ロニー・キングマンの元に新たなオフィスを構えることになったキンジー。心機一転、新たな環境で探偵稼業にのぞむ彼女の最初の仕事は、過去に起きた殺人事件の再調査だ。依頼人の建築家フォークトの前妻、イザベルは六年前に自宅の玄関先で射殺される。容疑者としてイザベルの再婚相手であるデヴィッドが逮捕されるが、裁判で無罪になってしまう。しかしデヴィッドが犯行を仄めかすような言動を行ったと証言する人物が現れたので、事件をもう一度洗いなおしてほしいとフォークトは言うのだ。事件を探り始めたキンジーだが、彼女の眼前にデヴィッドが姿を現わし、なんと彼女に身の潔白を訴え始める。
『逃亡者のF』『探偵のG』『殺人のH』と、ここしばらくは従来の「依頼⇒捜査」のスタイルを外れる形でストーリーを練っていたグラフトンだったが、今回は原点回帰というべきか、依頼に対してストイックに聞き込み捜査を続けるキンジーの姿を描いている。そもそも「過去の事件の再調査」という題材自体、第一作『アリバイのA』と同じだし、ラストにキンジーを待ち受ける危機も『A』の展開を思わせる。(ただし、キンジーの精神的なタフさの成長がうかがえるのが、『A』のラストとの違い。)おそらくグラフトン本人も「『H』はちょっとストーリーに凝り過ぎて人物描くのに失敗しちゃったかな〜」なんて反省したのか、『I』ではどいつもこいつも腹に一物抱えているような事件関係者VSキンジーのやり取りに筆を費やしている。(今回の登場人物たち、誰もが結婚、離婚を繰り返していて、どなたとどなたがどういうご関係でいらっしゃるのか、最初は把握しづらいんだけどね……。)
もっとも、イザベル殺し以外にも老人の轢き逃げや、キンジーの前任者である探偵の怪死など事件をたっぷり盛り込んで、ミステリとしての構図も複雑に入り組んだものにしようとする工夫も凝らされている。デヴィッドの無実の訴えに心を揺さぶられるキンジーも、ギリギリのバランスで運動を繰り返す天秤を見ているようで面白い。奇をてらわず安定した物語作りを展開する一方で、読者を惑わせようとする手管も忘れない。作者グラフトンが「円熟」した構成力を見せつけたように思えるのである。前回でも触れた、池上冬樹氏のいうグラフトンの「円熟」って、この作品を読めば頷ける気がします。
ところで『I』ではキンジーの仲間にまた愉快なメンバーが2人加わりました。(まるでシルバニアファミリーのCMみたいな言い方だ。)
一人はキンジーの新しいオフィスの持ち主である弁護士のロニー。刑事事件で剛腕を発揮する彼は、大変な雄弁家であり、依頼人やキンジーそっちのけでベラベラと熱弁をふるいだすあつ〜いオジさんだ。もう一人はヘンリー・ピッツの兄、ウィリアム。っておい、ヘンリーのお兄さんってことはあなた、いくつなの?そう、ウィリアムは齢90を超えた、ヘンリーよりも元気マンマンなおじいちゃん。元気がありすぎて、キンジー行きつけの食堂の女主人ロージーと恋愛まで始めちゃうのだ。あのー、確かロージーも60歳は越えてました、よね……。
まあ、何はともあれ、ここにきてまた賑やかな面子が増えたおかげで、『E』から『H』まで孤独にうちひしがれていたキンジーも、当分は寂しい思いをしなくて済みそうです。
挟名紅治(はざな・くれはる)
ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。