使用料金を滞納し、競売にかけられていたあるコンテナから、キンジーの私物が発見された。それは14年前、キンジーが最初の夫であるミッキー・マグルーダーと離婚した際、彼の元に残してきたものであった。

 ミッキーは離婚の直前、ベニーという男とバーで諍いを起こし、勢い余って彼を殺してしまった疑いが向けられていた。14年ぶりに見つかったキンジーの持ち物の中には、ベニー殺害事件の当夜におけるミッキーのアリバイを偽証して欲しいと懇願する“D”なる人物からの手紙も紛れ込んでいた。

 手紙を手掛かりに、過去の事件を洗いなおそうとミッキーの行方を追い始めたキンジー。だが調査を開始してまもなく、キンジーの元に驚くべき知らせが舞い込む。ミッキーが何者かに銃で撃たれ、意識不明の重体だというのだ!

 シリーズ第十五作目にして、ついにキンジーの最初の夫、ミッキー・マグルーダーとの離婚の真相が語られる。二番目の夫、ダニエルが第五作『証拠のE』で登場し、素晴らしいダメ男っぷりを披露してくれたお陰で、一番目のダンナさんもさぞかしご立派な「だめんず」だろうと期待していた。が、このミッキーさん、頑固で融通が利かない警官だった点を除けば(まあ、浮気はしてたけど)ダニエルほどのダメ男ではなかったようだ。

 離婚の原因はミッキーがベニー殺害事件当夜のアリバイ偽証をキンジーが断ったから、と一応説明がある。しかし、ベニーの事件は離婚の口実に過ぎなかったと言える、というようなこともキンジー自身は作中で漏らしており、ミッキーを「理想の男性」として偶像化しすぎたこと、一時の感情に身を任せて結婚を決断してしまったことへの反省など、キンジーの複雑な心情がミッキーとの別れた根本的な理由のようだ。

 ところが、である。キンジーとミッキーの関係を軸に話が進むかと思いきや、後半になるにつれ、「ベトナム戦争」をキーワードにつながるミッキーの人間関係へと主軸がシフトしていくのだ。

 実はこの『アウトローのO』、今までシリーズ中で行われなかった具体的な年代設定がされている。それも小説が始まる前に「読者諸氏」へと題した小文で、わざわざベトナム戦争終結の11年後の1986年に設定してあることを断るほどの徹底ぶりである。

 本作における作者グラフトンのベトナム戦争へのこだわりは一体何なのだろう?ベトナム戦争の悲劇を描きたかったから?それにしては、真犯人がラストに告白するベトナムの惨状があまりにも皮相的に過ぎる感じが否めない。

 私はこう思う。グラフトンはキンジー・ミルホーン・シリーズを探偵の個人的な生活模様を楽しむ小説から脱却させて、70年代におけるヴェトナム以後の社会変動を反映させ、屈折した私立探偵が活躍するネオ・ハードボイルドへと「原点回帰」させようとしたのではないかと。

 70年代にブームになった「ネオ・ハードボイルド」(3Fと同じくらい、今ではめったに使われなくなった言葉だけど)とは、言ってみれば「虚ろな生」をどう生き抜くかを描いたジャンルではないかと私は考えている。海を隔てた遠いベトナムの地で死が日常的になっている一方で、故郷アメリカでは麻薬・セックス……と退廃的な生を営むものたちもいる。悲惨な大量死の後に残された退廃的な生を如何にして全うするか、その指針として生み出されたのが「ネオ・ハードボイルド」と呼ばれる作品群だったのではないか。

 しかし、80年代におけるライフスタイル的な私立探偵小説には、「虚ろな生」を生み出した社会的背景は感じられない。そこでは現実社会とは切り離された、探偵個人の生活に焦点が当てられている。

 グラフトンが『O』で目指したもの、それは探偵個人の生活様式・態度に関心を寄せつライフスタイル的な私立探偵小説から、「社会」の中で探偵が虚ろながらもどう自分の生をサヴァイヴしていくのかを描く「ネオ・ハードボイルド」の原点へとキンジー・ミルホーンのシリーズを軌道修正することだったのだろう。

 と、ここで二つの疑問が浮かぶ。

 1、70年代の「ネオ・ハードボイルド」を経て、特に80年代のキンジー・ミルホーンシリーズのような「社会」ではなく「生活」を描くことに力点を置いた私立探偵小説が生まれたのはなぜか?

 2、なぜ1999年になってグラフトンは70年代の「ネオ・ハードボイルド」的な要素を含んだ私立探偵小説を書いたのか?

 新たな問題を提起したはよいものの、キンジー・ミルホーンシリーズの邦訳も残すところあと3作……。

 挟名紅治(はざな・くれはる)

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ミステリー愛好家。「ミステリマガジン」で作品解題などをたまに書いています。つい昨日まで英国クラシックばかりを読んでいたかと思えば、北欧の警察小説シリーズをいきなり追っかけ始めるなど、読書傾向が気まぐれに変化します。本サイトの企画が初めての連載。どうぞお手柔らかにお願いします。

過去の「ふみ〜、不思議な小説を読んで頭が、ふ、沸騰しそうだよ〜 略して3F」はこちら

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