町の静かな片隅で暮らすおばさん。庭の緑をくぐってベルを鳴らすと、彼女は少し眉間に皺を寄せながらも戸を開いてくれる。部屋にはぎっちりと本が詰まった本棚が並び、鳥籠では小鳥がふわふわの羽に顔を埋めて眠っている。おばさんはコーヒーを飲みながら、落ち着いた口調で話す。時折皮肉な笑いや機知に富んだ言葉を交えつつ。ふいに窓の外を見る瞳は、優しさと憂いを含んだ色をしていた。それほど沢山のものを見てきたのだ——

 ——私にとってヘレン・マクロイという女性はそういう人である。もちろん生前の彼女と知り合ったのではなく、あくまでも本を読んで感じた印象だけれど。

 ヘレン・マクロイの本を読んだことありますか? ……ない? あるいはあんまり? 実は私も、彼女を知ったのは1年くらい前なんです。すんません! というところを逆手に取りましょうという今回のガイド、私と同じく初心者の皆さん、泥舟に乗ったつもりでついてきて下さい(あれっ)。だ、大丈夫だ問題ない。

【計算された巧妙な伏線に冴え渡る推理、人間の深層心理を巧みに突いたサスペンス】

 マクロイのエッセンスをわかりやすく抽出するとこんな感じでしょうか。

 ミステリとしての手腕は超一級品! しかもただ驚かせるのではなく、ストーリー自体の面白さにぐいぐい引っ張られて、先が気になるあまりに一気読みしてしまうところは、まさにマクロイマジック。

 しかし私が敬愛してやまない彼女の魅力は他にもあるのです……が、それについてはあとで語ることにしましょう。まずはマクロイの“謎解きミステリ&サスペンス”作品の魅力から語って参ります!

 色々あるけど、やっぱり最初は「ベイジル・ウィリング・シリーズ」がオススメですね。新訳は入手しやすい上に、何より主人公が素敵なのです! 精神分析学者で洞察力に優れた“名探偵博士”、ベイジル。オジサマ好き胸キュンの、優しき枯草系なんですね、これが。

そんな中でも入門編にピッタリなのがこちらの3冊。『家蠅とカナリア』『幽霊の2/3』、そして『暗い鏡の中に』です。

■“奇妙な手がかり”好き+謎解きミステリが好き!な方は……

→→オススメは『家蠅とカナリア』(深町眞理子訳 創元推理文庫)

 何てったって、最初の一文からこうです……「一匹の家蠅と一羽のカナリアを仲だちとして、ロイヤルティー劇場の殺人劇は解決を見たのだった」。ふふふ、面白そうでしょ?

 物語は、とある刃物研磨店に入った泥棒が何も盗らず、ただ籠のカナリアを逃がしただけという奇妙な事件から幕を開けた。その直後、売れっ子女優が主演を務める舞台の初日に、観客の目の前で殺人が起こる。犯人は誰か? 事件を探るベイジルの目に、残された凶器の柄に留まった一匹の蠅が映る。

 そこから物語は意外な方向へ二転三転、エンタメ成分もたっぷりで、クライマックスのドキドキ&劇的なことと言ったら! そして全ての謎が明らかになってわかる、巧妙な伏線とミスディレクションに、そこらを走り回りたくなること請け合いです。

■“先が読めない展開”+ある一言で全ての説明がつく瞬間のカタストロフィが好き!な方は……

 →→オススメは『幽霊の2/3』(駒月雅子訳 創元推理文庫)

 タイトルから怪奇・ホラー小説と思っちゃあいけません。 

 超売れっ子作家エイモス・コットルが死んだ。出版社社長宅で開かれた身内のパーティで遊んでいたゲーム「幽霊の2/3」の最中に毒物を飲んで。

 たまたまパーティに参加していたベイジルは、コットルの妻(ハリウッド女優で性格に難有り)、社長夫妻(何か裏がある?)、エージェント夫妻(あの手紙を間違えて出さなければ…?)、ふたりの批評家、そして作家志望の未亡人とその息子から事情を聞く。しかし探れば探るほど事件は複雑かつ意外な方向へ転がっていく。最後には、まるでジグソーパズルのピースを嵌めていったら、思いも寄らない絵が出来てしまったかのような真相が!

 マクロイ特有の鋭い観察力が紡ぎ出す見事な人間造形に、意識と無意識、偶然と必然が絡み合い、一歩先も見えないサスペンスが繰り広げられます。そして溜息をつくほどの美しすぎる帰結。これ、ほんっと、すげえよ。読み終わった人は何度でも、“あのフレーズ”を目にしては胸をときめかせることになるでしょう。

■ミステリは好きだけど、違う領域に一歩踏み出したい!方は……

→→『暗い鏡の中に』(駒月雅子訳 創元推理文庫)

 【進言】夜中or一人で読むことをオススメします!!

みんなが私の噂をする。みんなが何かを目撃している。でも、誰も私には言ってくれない。確かに“異変”が起こっているはずなのに、私だけが知らない。

 ベイジルは婚約者のギゼラから助言を求められる。友人で同僚の女教師フォスティーナが、理由も告げられずに学院を解雇されたという。調査を始めたベイジルは理由を突きとめるも……それはあまりにも怪談めいていた。その矢先に学院で死者が出てしまう。

 私自身が最初に読んでマクロイに惚れこんだ、運命の一冊です。

 今でこそ理論VS怪奇現象の構図はよくあるけれど、物語をより深くしているのが、このベイジルのひとこと。「自分は思い上がっていないか? この未知なる世界ではなにが起こるかわからないだろう?」

 背後の虚ろな気配、異様な動作をする知人、そして暗い鏡の中に……ねえベイジル、いつもどおり謎を解いてくれるんだよね? さあ、ぞくぞくしながら読んでください。

 ね? 面白そうでしょう?? お好みのものを読んでみてくださいまし。「マクロイの原文の雰囲気に近い翻訳」と評判の務台夏子訳『殺す者と殺される者』(創元推理文庫)を堪能するものよし。

 以上、入門編でございました。結びに、最初に書いた私がマクロイを敬愛する他の理由について触れて終わりにします。

 マクロイの魅力。登場人物の描き方が実に表情豊かで、ピンポイントで「こういう人いるわー」と思わせる点もあれば、『ミステリーの書き方』(講談社文庫)でマクロイ自身が語るように、無駄を削ぎ落としつつもみっちりと書き込んだ数々のエピソードも魅力のひとつだし、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)初の女性会長に就任したことからも窺える、彼女の責任感や知性もあるでしょう。

でも私が彼女を好きな理由は、もっと本の向こう側にあります。

 それは突出した観察力ゆえの諦念とニュートラルに物事を見る知性、そしてペシミストでありつつも、人間への優しさをいつまでも手放さないでいるところ。この理由、同じようにマクロイに惚れてしまったあなたなら、きっと分かって下さるでしょう。

■マクロイを一層深く堪能できる一冊

→→短編集『歌うダイヤモンド』(好野理恵、他訳 晶文社)

 収録作はストイックな謎解きミステリ「東洋趣味」「歌うダイヤモンド」の他、シニカル×コミカルな一編「Q通り十番地」、ひねりの利いたSFものの「八月の黄昏に」「ところかわれば」、ぞっとする「カーテンの向こう側」に、『暗い鏡の中に』の原型短編「鏡もて見るごとく」など。

 ヘレン・マクロイは1904年に生まれ、1993年に亡くなりました。その間に起こったことは、容易に想像がつくでしょう。二度の世界大戦、不安から生まれた異星人の噂に、東西冷戦と核の恐怖。そんな時代を生きたからこそ書ける作品たちの豊富な色合いを堪能してください。

 そして、たった9ページに綴られた奇跡の一編を……「風のない場所」(吉村満美子訳)はぜひとも読んでほしいです。

 愛してやまない作品ですが、この場では多くを語らないことにします。ただ、解説「不安の詩神」執筆者の千街晶之氏をして「世界の終焉を、かくも静謐に、かくも悲しく綴った小説を、筆者は他に知らない」と言わしめたほどの傑作、とだけ書かせてください。

 いつもの私はあまり作品と作者を結びつけて考えないタイプなのですが、最近どうにも、マクロイに会いたくて彼女の本を開いているんじゃないかという気がしています。冒頭に書いたようなおばさんの姿で原稿を書いている、そんな風景を想像します。

 幸い、未読の本も、翻訳されてない本も(いつかきっと……!)あるので、楽しみがたくさん残っているのでウキウキです!!

 ただひとつだけ残念なことは、マクロイが亡くなった93年当時、私はまだ10歳だったこと。もし、もっと早く生まれて、彼女の本を読んでいたら、その死をみんなと一緒に悲しめただろうから。絶対無理な話だけど、あと一歩が間に合わなかったことを悔しく思ってしまうのです。

深緑野分(ふかみどり のわき)

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翻訳小説好き×ぺえぺえの新人作家です。2010年、短編「オーブランの少女」で東京創元社第7回ミステリーズ!新人賞にて佳作を受賞、デビュー。19世紀末のイギリスを舞台にした2作目短編「仮面」「ミステリーズ!vol.53」に掲載されました。よ、ようやく……! ツイッターアカウントは @fukamidori6

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