小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」も折り返し点を過ぎました。前回は、小路さんのファンなら聞き逃せないキーワードも飛び出しましたね。さて今回は、改めて小路作品の根幹についてお聞きしたいと思います。翻訳ミステリーとの出会いが、作家小路幸也にどのような影響を与えているのか……?
——ハードボイルドという言葉が先ほどから何度か出てきていますが、できたら小路さんのハードボイルド観についても教えていただけますか?
小路 諸先輩方に哄笑されるのを承知で言うと、〈一歩の空間を身に纏った男たち〉の物語だと思います。彼らは自分の身の回り約50センチの空間全てを〈自らの聖域〉としているんですね。そこだけは誰に嘲笑われようと、脅されようと、自分のスタイルを守り通すんです。そしてかかわった人物をその聖域に呼び込むことで、事件を同時に身に纏うんですね。それで、自分のやり方で事件を追う。だからかかわった女性はみんな彼らの聖域に飲み込まれて惚れてしまう(笑)。〈守り通すこと〉〈貫き通すこと〉この二つを同時にできるからこそ、ハードボイルドとして成り立つんです。
——その辺の考え方は、小路さんの作品を貫くテーマになっているのではないでしょうか。明確に意識したハードボイルドというのは、今だからこそ書かれるべきではないかと思いますね。
小路 書かれるべきである、という点については僕もそう思います。おそらくそういう時代がすぐそこまで来ているのではないでしょうか。
——翻訳ミステリーと周辺の作品で、 自作に影響を与えている作品・シリーズについて教えていただけますか?
小路 アーウィン・ショー『夏服を着た女たち』『真夜中の滑降』『ビザンチウムの夜』、デイモン・ラニアン『ブロードウェイ物語』、そしてマイクル・Z・リューイン〈アルバート・サムスンシリーズ〉ですね。僕が描きたい究極の物語は〈お洒落で、猥雑で、澄んだ男らしさの漂う物語〉でしょうか。澄んだ男らしさ、というフレーズは確か『A型の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の帯に書かれていたものです。三氏が物語で描き出した〈自分たちの生き方のスタイル〉を身に纏った男たち、というのが、たぶん僕の理想なのでしょう。それは現代劇でもミステリーでもファンタジーでも変わりなく。影響を与えられてそれが巧く生かされているかどうかはともかく(笑)、僕の中に三氏の描いた男たちの姿がいつもあることは間違いないです。余談で、なおかつたぶんですけど、僕が描く子供たちはいつも何かしらの〈能力〉が与えられます。特にそうしようと意識はしていませんが、まだ自分の〈生き方〉を身に纏えない子供たちを守るためにそういうものを与えて描いているんじゃないかと思います。
——子供たちの能力の件は非常に納得しました。現代はものすごく未熟なまま子供が大人にならなければならなかったり、未熟な大人に対峙しなければならない時代ですから、そのギャップを誰かが守らなければならないということがあるのではないかと思います。小路さんはきっと、その部分が捨ておけない書き手なのでしょうね。時代の枠に作品がはめられてしまうのは作家として心地よくない批評かとも思いますが、「今だからこそ」「書かなければならな い」という思いで書かれていることはおありでしょうか。これは若干翻訳ミステリー談義からはみ出してお聞きしてしまいます。
小路 「書かなければ」などとは思ってはいないのですが、子供時代から読んで聴いて観てきたものが全て身の内に溜まっていってそれが僕を作家にしてくれた。であれば、それを自分なりの形で表現して残し、自分が時代から受け継いだものを、次代に伝えるべきだろうとは考えています。それは表現する手段を手に入れた幸運な人間の使命だと思っています。ではその身の内に溜まったものは何か、と、問われれば、判りやすく言ってしまえば〈愛と正義と友情〉でしょうね(笑)。愛は〈LOVE〉で、正義とは〈真っ当に生きる〉ことであり、友情は〈血を越えた繋がり〉でしょう。たぶん、今までの僕の作品は全部このキーワードでくくれるのではないかと。まぁ単純バカなんでしょうね(笑)。
——そんな(笑)。
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。