もう十年以上も前、アメリカの書店員がこういってこぼしたという話を聞いたことがある。

「キングやグリシャムは固定客がついているが、クライトンは毎回作品傾向が変わるので、読者に訴求するのがたいへんだ」

 ことほどさように、クライトンが手がけるテーマは幅広い。テクノスリラーに歴史小説、秘教冒険ものに企業内幕ものと、テーマに応じてジャンルも変わる。純然たるミステリや犯罪小説も書いており、医学生時代にジェフリイ・ハドスン名義で発表した『緊急の場合は』は、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞長篇部門を受賞した。映画の監督や脚本も手がけていて、『ER』のクリエイターでもあることは周知のとおりだ。こう多才だと、この紙幅ではとても全体像を俯瞰しきれないので、ここでは十年代につき一作ずつ選び、ピンポイントで紹介していくことにしよう。

『アンドロメダ病原体』The Andromeda Strain(1969)

 本名クライトン名義での処女長篇。この作品も医学生時代に発表したものである。臨場感たっぷりに描かれた「宇宙からの病原体の恐怖」は、人類が月面に第一歩を記してまもない時代にあって大反響を呼び、のちにロバート・ワイズ監督の手で映画化もされた。図表の多用や時限爆弾プロットなど、基本スタイルはすでにこのころ確立されている。なかでも、本書で提示されるオッドマン仮説——ひらたくいえば「傍目八目」仮説は、その後のクライトン作品を通じて問題解決のためのキーワードとなる重要な概念だ。

『大列車強盗』The Great Train Robbery(1975)

 70年代のクライトンは歴史小説づいていた。この長篇は、ヴィクトリア朝時代の英国を舞台に、現実にあった大列車強盗事件を描いた痛快作。正体不明の「紳士」が、警備厳重な輸送列車から金塊を強奪すべく、悪党どもをかき集め、用意周到な計画を立てていく過程はじつにスリリングで、ぐいぐい引きこまれる。ヴィクトリア朝の風俗の描写も楽しい。のちに作者自身が監督したショーン・コネリー主演の映画版は、1980年のエドガー賞映画部門で最優秀賞を受賞。クライトンの小説は映画向きのようでいて、じつはなかなか映像化がむずかしいが、この作品は原案・脚本も本人とあって、受ける印象が小説のそれにかなり近い。映画から先に見るのも一案だろう。

『失われた黄金都市』Congo(1980)

 秘境冒険小説に通信衛星ネットワークをからませるという目新しさに加え、手話のできるゴリラと謎の生物を対比させてサル学の蘊蓄を語り、地球資源の乱開発や文明化の強行を憂えてみせるという、意欲的で情報密度の高いエンターテインメント。クライトンはその後しばらく、ノンフィクションと映像方面で忙しく、表向きは小説から遠ざかるが、本書の発表直後にはすでに『ジュラシック・パーク』を書きはじめていたはずだから、「琥珀のトリック」さえもうすこし早く見つけていたら、『スフィア—球体—』(1987)よりも先に恐竜ものを世に出していたかもしれない。

『ディスクロージャー』Disclosure(1994)

 ハイテク企業内の暗闘を描く清水一行風の内幕謀略小説。メインテーマは「セクハラの定義と本質」で、このへんは現在にも通じる重要な題材だ。いっぽう、背景となるハイテクの数々は——当時の日本には存在しなかった携帯電話、ことば自体が新鮮だったVR(仮想現実)、概念さえ一般には知られていなかったインターネット等々は——半歩先の未来を感じさせてくれて、技術好きにはたまらなかった。いま読むと、ちょっとしたタイムスリップ感覚が味わえて、また別の楽しみ方ができるだろう。CD-ROMドライブのシーク速度とか、懐かしいなあ。

『パイレーツ—掠奪海域—』(2009)

 最新作であり、遺作。問題意識を全面に押しだしていた過去二作とは打って変わって、ひたすら痛快なエンターテインメントに仕あがっている。いわゆる海賊ものだが、海賊と似て非なる「私掠者」の視点を通すことにより、17世紀カリブ海の状況に新たなパースペクティブを与えている点がおもしろい。主役は私掠者の見本のような人物で、冷酷なまねも平気でするが、同時に情もあり、インテリでもあるという、私掠者世界のオッドマン。その意味で、クライトン節の掉尾を飾るのにふさわしい冒険物語といえる。訳している最中は、いろんな意味で泣けてしかたがなかった。さよなら、クライトン。

 酒井昭伸