邦訳されたドン・ウィンズロウの作品は、2010年3月現在、9点(10冊)あります。全部、文庫ですね。版元は東京創元社と角川書店。創元推理文庫の5点がニール・ケアリー・シリーズで、角川文庫の4点(5冊)がノンシリーズ、とすっぱりふたつのグループに分かれます。アメリカでの版元も、前者が St.Martin’s 、後者が Knopf で、大ざっぱに言えば、ミステリー(特に私立探偵小説)専門のレーベルとポピュラー・フィクションの老舗という感じでしょうか。※『歓喜の島』だけは、マクドナルド・ロイドという別名義で Dutton 社から出ていて、これはちょっと別枠。
アメリカでの刊行年の順に並べてみます。
『ストリート・キッズ』(創元推理文庫) 1991 508(39)
『仏陀の鏡への道』(創元推理文庫) 1992 550(22)
『高く孤独な道を行け』(創元推理文庫) 1993 445(15)
『ウォータースライドをのぼれ』(創元推理文庫) 1994 382(29)
『砂漠で溺れるわけにはいかない』(創元推理文庫) 1996 253(32)
*『歓喜の島』(角川文庫) 1997 * 464(8)
『ボビーZの気怠く優雅な人生』(角川文庫) 1997 321(79)
『カリフォルニアの炎』(角川文庫) 1999 562(138)
『犬の力』上下(角川文庫) 2005 1041(17)
この9作が、まあ、よくもこれだけバリエーションがあるものだと思えるくらい、一作ごとに違うスタイルで書かれています。5作で完結したニール・ケアリー・シリーズの中でさえ、まるで5人の作家のリレー競作みたいに、長さも章立てもモチーフもトーンもまちまちの作品が雑然と並んでいる。
ちなみに、上記リストの右側の数字が本文のページ数、括弧内は章の数です。みごとに不揃いだなあ。
ノヴェル(小説)という単語には、「新奇な」という意味もありますが、ウィンズロウにとっては、毎度新しい趣向で奇抜なお話をこしらえていくことこそが、小説を書くという営みなのでしょう。
それでいて、どの作品も、文体にはっきりとわかるウィンズロウの指紋、いや声紋がついています。ウィンズロウ節というやつです。語り口の妙。
原文を読んでいると、声が聞こえてきます。ほかでは聞いたことのない節回しで……。訳しながら、わくわくどきどきさせられるんですよね。散文じゃないよなあ、これ、と思います。韻律があって、官能と諧謔の響きがある。Knopf に移籍してからの3作品は現在形で書かれていて、語りに疾走感と臨場感が加わったような気がします。
人物造形も、ウィンズロウの大きな魅力のひとつですね。現実にいそうな人物、というのとはちょっと違った、フィクションの中でこそ精彩を放つキャラクターを、ウィンズロウはたくさん生み出してきました。ニール・ケアリー、ジョー・グレアム、エド・レヴァインらのシリーズ・キャラクターから、『犬の力』の死者の群れ、生き残り組まで。そのストックは、まだまだ尽きないようです。
要するに、天性のノヴェリストなのだと思います。この作家の手にかかると、実在の人物や歴史的事実までが、“こしらえごと”の香気を帯びてきます。物語への昇華、とでも言えばいいでしょうか。
未訳の作品にも簡単に触れておきましょう。現在翻訳中なのが、“The Winter of Frankie Machine”。62歳のサーファー(元マフィア)を主人公とするワンマン・アーミーもので、かなりかっこいいです。
“Dawn Patrol”という作品は、もう少し若いサーファーとその取り巻きグループが活躍する私立探偵小説で、これはシリーズもの。“Gentlmen’s Hour”が、その2作目です。
トレヴェニアン名義で書いている“Satori”は、もうすぐ脱稿の予定。
そして、今年の7月、またまた新しい版元から刊行される“Savages”のプルーフ(校正刷り)がつい先日届きましたが、どうやら『犬の力』をうんと軽くスピーディーにしたクライム・ノヴェルのようで、原書300ページちょっとなのに、290章(!)あります。何か、またすごいことをやらかしていそうだなあ。乞うご期待。
東江一紀