25年前、早川書房の編集者から、「いまアメリカで話題の、女性探偵が主人公のハードボイルドがあるんですが、訳してみませんか」というお話があった。

「あの〜、わたし、ハードボイルド、苦手なんですけどォ……」

「じゃ、ハードボイルドだと思わずに訳しましょう」

「へ……?」

 と、まあ、わけのわからないやりとりを経て訳すことになったのが、シカゴの私立探偵V・I・ウォーショースキーが活躍する、サラ・パレツキーのデビュー作『サマータイム・ブルース』だった。ちなみにこの作品、アメリカで出版に漕ぎつけるまでに、いくつもの出版社に持ちこんで、そのたびにことわられたという。ことわった数々の出版社は、いまごろきっと、悔しがっていることだろう。

 ウォーショースキー・シリーズは現在、14作出版されている。13作目まで翻訳済み。14作目の『Bodywork』のみ未訳。

 最初に読んでいただきたいのは、やはり『サマータイム・ブルース』。V・Iの世界を知るうえで、ぜったいに欠かせない作品である。このほど、新版として、池上冬樹氏の解説つきで装いも新たにお目見えした。いったんひきうけた仕事は最後までやり抜く、暴力にも権力にも屈しない、弱い者、虐げられた者のために奔走する。その一方で、掃除は苦手、整理整頓も苦手。隣人のミスタ・コントレーラスに叱られてばかり。そんなV・Iとの出会いは、ぜひともこの作品から!

 2作目の『レイクサイド・ストーリー』は、大好きないとこの死をきっかけに、V・Iが海運業界がらみの事件を追うというもの。キャスリーン・ターナー主演で映画化されたが、赤いハイヒール・フェチのV・Iと、やつれた老女といった雰囲気のロティを見て、

「ちょっと違うんじゃないの?」と思った記憶がある。

 8作目『バースデイ・ブルー』で40歳の誕生日を迎え、9作目『ハード・タイム』で刑務所にぶちこまれ、11作目『ブラック・リスト』では、9.11後のアメリカ社会に生きるV・Iの姿が描かれている。デビュー作では30代だった彼女が、シリーズと共に年をとってきて、40歳を越えたあたりから老後への不安を口にすることが多くなっていたが、最近は吹っ切れたのか、昔の元気なV・Iに戻ってきたように思う。

 この9月に翻訳出版された『ミッドナイト・ララバイ』でも、「絶対にあきらめない!」と宣伝コピーにあるとおり、V・Iは40年前の事件を徹底的に追いかける。警察に尋問されて、「わたしがとった行動の理由をいちいち説明するよう、警察やFBIから求められるのには、つくづくうんざりだわ。ここはイランなの? それとも、アメリカ?」といったセリフには、最近のアメリカの情勢に対する著者の苛立ちが皮肉たっぷりにこめられている。

 長篇のほかに、早川書房が独自に編纂した短篇集『ヴィク・ストーリーズ』もある。長篇に比べると軽いタッチなので、気軽に読んでもらえると思う。

 それから、シリーズ以外の長篇が2作出ている。『ゴースト・カントリー』と『ブラッディ・カンザス』。

『ゴースト・カントリー』は不思議な能力を持ったホームレスの女性が登場する、なんとも幻想的な物語。

『ブラッディ・カンザス』のほうは、シカゴ以外の場所を舞台にして書かれた唯一のもので、カンザスの大地に生きる人々を重厚な筆致で描いた力作である。じつをいうと、個人的には、パレツキー作品のなかでもっとも強く印象に残っている。とくに、マイラ・シャーペンというバアサマのキャラが強烈で、いまだに夢でうなされるほどだ。

 シリーズ最新作『Bodywork』に、「そろそろ田舎へひっこんで、ミスタ・コントレーラスと犬2匹と一緒にのんびり暮らそうかなあ」というV・Iのひとり言があり、「ん? シリーズが終わってしまうの?」と焦ったが、最後まで読んでみたら、そういう展開にはなっていなかった。颯爽としたV・Iの活躍がこれからも楽しめそうで、とりあえずホッとした。この翻訳は来年あたりお届けできると思う。V・Iはますます元気。お楽しみに!