ディーン・・クーンツではありません。彼はもはやバート・レイノルズ似の口髭に禿頭でもありません。クロスジャンル・エンターテインメントの文法を20世紀に創造したこの作家は、ときに劇的な変貌を遂げて、作風を知悉したはずの熱心な読者さえあっといわせてみせます。そうしたおのれの変貌ぶりさえユーモアたっぷりに自己言及してみせるこの作家は、インタビューでもあらゆる質問に絶妙のギャグで切り返す徹底したサービス精神の持ち主。しかし一方でいま彼は、まったく新しいエンターテインメントのかたちを模索しつつあり、それは(信じられないかもしれませんが)G・K・チェスタトンやC・S・ルイスの幻想性を継承する21世紀の宗教文学の様相さえ呈しているのです。

「読めば面白いが後に何も残らない」

「どれを読んでも同じ」

「しょせん『戦慄のシャドウファイア』(扶桑社ミステリー)と『ウォッチャーズ』(文春文庫)だけの作家」

 そんな一時期の評価は、いまこの瞬間を境にすっぱり忘れてしまいましょう。ただ無心にクーンツの本を読み始めてみてください。きっと驚きます。

 デビュー以来40年以上にわたり、つねにエンターテインメントの最前線を切り拓いてきた作家。それがディーン・クーンツなのです。

 まずはあえてノンフィクション作品の『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)から。

 いまの言葉で大胆に要約するなら、本書は私たち人間がロボットであることの事実性と、ロボットを超えることの信念について書かれた思想書です。クーンツは小説の第一義を読者とのコミュニケーションだとします。ならばまず売れなくては意味がない。売るためには読者に面白く感じさせる原理原則を駆使しなければならず、まずはそれを徹底的に体得せよといいます。つまり私たち人間の認知・情動メカニズムに忠実なしもべとなり、パターン認識の法則に従って物語を面白くさせよと説くのです。新人作家にとってこれほどすぐれたアドバイスはありません。ミ××××××の化け物(ネタバレなので伏せ字)が人を襲う小説を書いてベストセラーを達成した若き日本人作家もこの教えに従いました。

 しかし同時にクーンツは、はたして私たち人間は本当に機械だけの存在だろうかと問いかける。機械的な娯楽を超えた真の面白さが存在するはずだという信念。本当によいエンターテインメントとは、ロボットでありながらロボットを超える私たちの真の人間性を引き出し、コミュニケートすることにあり、それこそが芸術なのだと歌い上げます。これは一種の信仰に近い。後述するようにクーンツが本書の機械的作法を超えて宗教小説を書き始める萌芽が、すでに本書には見て取れるのです。かのミ××××××小説を書いた日本人作家がやはり機械的な認知を超えた小説を書き続けているのも偶然ではないのでしょう。

 本書は抄訳ですが、大出健さんの翻訳文はクーンツのアジテーションをうまく日本語に置き換えて秀逸だと思います。巻末の作家ガイドも必読。文庫化当時でさえ既訳のタイトルが一部原表記のままになっていましたが、かえって「このタイトルは邦訳が出ているのかな?」と調べるクセがつき、海外ミステリーマニア道へ巧みに導いてくれる好企画といえます(^^)。

 いよいよ小説作品です。とにかくクーンツの圧倒的な娯楽パワーにどっぷり浸かってみたい人は、ベン・アフレック主演で映画化された『ファントム』(ハヤカワ文庫NV)をぜひ。かつて早川書房から「HORROR MAGAZINE」(SFマガジン1987年7月臨時増刊号)が発売されたとき、まだ未訳だったこの作品の冒頭部分が思い入れたっぷりに紹介されていて、全国のホラーファンは胸をときめかせて邦訳刊行の日を待ちわびたものです。いまはなき「モダンホラー・セレクション」がデイヴィッド・マレル『トーテム』とジョン・ソール『惨殺の女神』で始まってからもなかなか刊行されず、ついに出たときは「真打ち登場!」と快哉を叫んだほどでした。

 その伝説の書き出しは次の通り。

 悲鳴は遠く短かった。女の悲鳴だった。

 保安官補のポール・ヘンダーソンは〈タイム〉から顔を上げた。首を傾け、耳をすました。(大久保寛=訳)

 わずか2ページでこの保安官補は惨殺。やがて人口500人の田舎町にやってきた美人姉妹は、町民すべてが何ものかによって殺されていることを知ります。唯一の手がかりは被害者が書き残した「太古からの敵」の文字。

 書いているだけで燃えてきますが、原著刊行から30年近く経ったいまもリーダビリティはまったく落ちていません。電車やバスの中でもがんがん読み進められるはず。小説ってこんなに夢中になれるものなんだ! と改めてびっくりすることでしょう。H・M氏の巻末解説も的確でお薦め。これを読んでつまらなければ、あなたにクーンツは合いません。残念ですがほかの作家をあたってください。

 電撃的なスピードで展開するモダンホラーをさらに堪能したい人には、『邪教集団トワイライトの追撃』(扶桑社ミステリー)や『ミッドナイト』(文春文庫)なども推奨します。ただ面白いだけではありません。たとえば前者なら美しい雪山の描写や、後者ならH・G・ウェルズ『モロー博士の島』の見事な換骨奪胎ぶりにも注目してみてください。こうした自然描写の巧みさや古典作品への敬意は作家クーンツの大きな特徴でもあるのです。ハーレクイン・ロマンスとSFを融合させた『ライトニング』(文春文庫)も面白いですよ(史上最悪のネタバラシが載っている登場人物表は絶対に見ないこと!)。

 やがてクーンツはぐいぐい引っ張るこのようなタイプの娯楽小説からさらに深みを増して、巧みな心理描写と美しく簡明な文章で読者を魅了し続けました。それらの技量は90年代半ばに『心の昏き川』(文春文庫)や『インテンシティ』(アカデミー出版)、『何ものも恐れるな』(アカデミー出版)でピークを迎えます。この頃までのクーンツ作品は『コンプリート・ディーン・クーンツ』(芳賀書店)に詳細なあらすじ付きで解説されていますから、ぜひ一家に一冊常備しておいてください。はっきりいって、これほど充実したガイド本はアメリカ本国でも出ていません(某日本作家の全面協力で実現した書物です!)。

 その後、クーンツはゴールデン・レトリーヴァーのトリクシーと出会うことで、エンターテインメントと世界の奇跡を融合する、まったく新しい境地へと進んでゆきました。「奇跡」とは宗教的な意味での世界の歓びです。くすんだこの世界が、見方ひとつによってきらきらと輝き、幸福に満ちたものになる。クーンツは愛犬トリクシーとの日々を通じて奇跡を実感したのだと思います。たとえば『サイレント・アイズ』(講談社文庫)など当時の野心作を読めば、クーンツが大きく変わっていった過程がはっきりとわかるでしょう。

 そうしてクーンツはひとりの若者、オッド・トーマスをギフトのように授かったのです。

 2003年の長編『オッド・トーマスの霊感』(ハヤカワ文庫NV)は、9・11以降の世界にクーンツが放った、奇跡の物語です。「ぼくの名前はオッド・トーマス」(中原裕子=訳)で始まるこの物語は、死者の霊が見える青年オッドの一人称で綴られています。オッドはいつもTシャツにジーンズ姿。彼はダイナーのコックで、パンケーキを焼くのは得意ですが、何事にも控えめな青年です。その彼が恋人のストーミーと共に、地元の田舎町ピコ・ムンドを襲う凶事に立ち向かってゆきます。

 登場するピコ・ムンドの住民すべてがいきいきとして、オッドのユーモラスな筆致で描き出されてゆきます。後半になってオッドの両親が姿を見せたとき、読者はオッドの深い人生の闇を知り、いっそう彼のユーモアに共感し、彼の幸せを願わずにいられなくなります。冒頭でオッドはアガサ・クリスティーの有名なミステリー小説を大胆にネタバラシしてしまいますが、それが後半では見事な伏線になって、あなたの胸に迫ってくることは間違いありません。

 クーンツはオッド・トーマスの人生の旅をシリーズ化しました。『オッド・トーマスの受難』『オッド・トーマスの救済』そして『オッド・トーマスの予知夢』(いずれもハヤカワ文庫NV)。一作目のラストシーンがあまりにも強烈なのでその部分だけが取り沙汰されることも多いようですが、オッドの一人称はシリーズを追うごとに意味を持ち、世界の奇跡を鮮やかに描き出してゆきます。クーンツの集大成といえるでしょう。

 一方、オッドのシリーズと並行するかたちで、クーンツはオフビートなユーモアを効かせたゲーム的展開のサスペンス小説も量産し、アメリカ本国ではそれらも高い人気を獲得しました。『ハズバンド』(ハヤカワ文庫NV)や最近邦訳が出た『ヴェロシティ』(講談社文庫)などがその好例です。

 2007年に愛犬トリクシーが亡くなり、クーンツはその喪失を抱えてさらに変貌を遂げてゆきました。世界の奇跡を以前よりも直截的に描くようになったのです。

 愛犬トリクシーになりかわって綴ったチャーミングな一冊『犬が教えてくれた幸せになるヒント』(トリクシー・クーンツ名義、ぶんか社)に、トリクシー亡き後のクーンツがよく表れていますが、そうした現在のクーンツが小説作品のかたちで私たち日本の読者に届けられるのはまだ先のことかもしれません。

 クーンツは2009年に Relentless(「容赦なし」の意味)という長編を出版しました。これは彼がこれまで書いてきたモチーフや語り口を総ざらえした一冊で、いうなればクーンツ版『大甲子園』。凄腕の殺し屋のような辛口評論家が主人公の作家をどこまでも襲撃してくるという、ほとんど冗談みたいな物語ですが、セルフパロディを極めてなおかつ迫力もあって面白いという、クーンツにしかできない至高の芸が堪能できる逸品です。

 しかしそんな小説を書きながら、別の小説になるとまったく違った方向から私たち読者にエンターテインメントの可能性を突きつけてくるのですからクーンツは恐ろしい。

 以下に記す見解は、最新邦訳作品『オッド・トーマスの予知夢』の巻末解説で述べたことと少しかぶります。

 Relentless の後、同年に Breathless という長編が出ました。前作のタイトルと語感も似ているし、ブレスレスというからには前作を上回るほどの息もつかせぬハラハラドキドキの展開が待っているのだな、と誰もが思っていたはずです。ところが開けてびっくり。前半はまったく物語が動かない。後半は「クーンツさん、頭がどうかしたんですか」といいたくなるほどの超展開が待ち受けていたのです! 一時話題になった『雷鳴の館』(扶桑社ミステリー)どころの騒ぎじゃない、もうエンターテインメントの根幹を揺るがすようなスーパーエンディング。案の定、本家Amazon.comの読者コメント欄は最低点のオンパレード。かりにも全米ベストセラーを連発する作家がこんな小説を書いていいのかと、熱心な読者でさえ呆れ返ったわけです。

 でも私は一読して、これはクーンツの挑戦なのだと思いました。作中でタイトルの意味が明かされたときは、誇張ではなくアニメ『トムとジェリー』みたいに顎が外れそうになりましたよ。どんな本格ミステリーでも味わったことのない「やられた!」感でした。クーンツはいかにもなタイトルで私たちを釣り、「この新作もいつもの口当たりの良いエンターテインメントですよ」と油断させておいて、すさまじい実験を放ってきたのです。その実験精神が理解できない読者は星ひとつをつけました。しかし「そうか、これは21世紀のキリスト教文学なんだ!」と気づいた瞬間、まったく新しい感動が押し寄せてきたのです(これはネタバラシではないのでご安心を)。

 こうした解釈はあまり見かけませんが、たぶん外れていません。エンターテインメントの死と復活。キリストの復活を信ずるのと同じ意味で物語の復活を信ずること。キリストの復活を信ずるのと同じ心で、まったく新しい視座で世界を眺めること。その輝きと歓び。いま海の向こうでクーンツが取り組んでいるのは、そうした物語の奇跡なのです。この構造がわからないと、邦訳されている『一年でいちばん暗い夕暮れに』(ハヤカワ文庫NV)の真価も味わえません。チェスタトン、ルイスの系譜に連なる作家になりつつあるというのはこうした意味です。今後、これらの近作が邦訳されることがあったら、既存のエンターテインメントの枠組みで評価するのではなく、古い観念に囚われず、どこまでもピュアな気持ちで読んでいただきたいのです。そうしたときクーンツの凄さに改めて驚くことは間違いありません。

 もしあなたがクーンツを本当に好きになるのなら、あなたは真の意味で革命家であるはずです。きっと既存のエンターテインメントでは満足できない読書家であるはずです。ただ面白いだけの小説を敬愛し、それらに夢中になりながらも、もっと面白いエンターテインメントのかたちがあるはずだ、もっと理想のエンターテインメントがあるはずだと夢想し、物語の革命を願うあなたにこそ、ディーン・クーンツの小説はあるのです。

 自分のなかに眠っている革命家の魂を見つけてみませんか。それがとびっきりの娯楽なのだとしたら、なんと恐ろしく、なんと甘美なことだと思いませんか。「後に何も残らない」? ばかをいっちゃいけません。クーンツを読めばあなたが次代のエンターテインメントをつくる一員となるのです。

 いっしょに世界を変えましょう。

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瀬名 秀明(せな ひであき)

1968年生まれ、作家。 『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞、『BRAIN VALLEY』()で第19回日本SF大賞受賞。著書に『デカルトの密室』『エヴリブレス』『インフルエンザ21世紀』、編著に『ロボット・オペラ』『サイエンス・イマジネーション』等多数。

■公式サイト「瀬名秀明の博物館」→ http://www.senahideaki.com/

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