はぐれ修道士人情派 ─エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』─
ずいぶん前、友人に「今、修道士カドフェルのシリーズを読んでるんだ」と言うと、「ああ、あの中世はぐれ刑事純情派」と軽く蹴られてなんだか複雑な気持ちになったことがある。(念のために言っておくが、私は藤田まこともはぐれ刑事純情派も好きである)
複雑な気持ちになったのはあくまで、相手の口調に含まれていた軽い軽侮の響き、『ああ、あのワンパターンもの』という調子のためであるのだが、確かに、カドフェルシリーズには、いくつか必ず出てくる要素がある。その一つは、どの作品にも必ずままならぬ恋に悩む若いカップルが登場し、そして事件解決のあかつきにはめでたく結ばれて、はればれと婚姻の絆をつなぐといったところである。
しかしだからといって、カドフェルシリーズが推理小説として劣っているわけではむろんない。最初に訳出された社会思想社ミステリ・ボックス版の文庫の表紙には、“A MEDIAEVAL WHODUNNIT”と記されている。「中世を舞台とするフーダニット」である。
シュルーズベリ修道院の初老の修道士カドフェルは、修道院に聖人の遺物を迎えんとする副院長ロバートや、その聖女ウィニフレッドの導きを受けたと称する修道士コロンバヌスとともに、自らの故郷であるウェールズ地方へと向かうことになる。
そこで彼らは、土地に根づいたウェールズの人々から、彼らの縁者でもある聖女の骨を移すことについて根強い抵抗を受け、困惑するが、ある夜、反対者の指導的立場にあった村の地主リシャートが、背後から矢で貫かれた死体で発見される。
彼の娘シオネッドは莫大な財産を受けつぐひとり娘であったが、彼女は父の望む結婚相手である地主の息子ペレドゥアよりも、イングランドから逐われてきた〈よそ者〉である牛飼いエンゲラードを愛していた。そして、リシャートの死体に突きささっていた矢はエンゲラードのものであった。だが彼は殺害を断固として否認し、捕獲の手から逃亡する。
リシャートの死によって利益を得るものは誰か? むろん、エンゲラードは父親を殺せばシオネッドと結婚できると考えたかもしれない。だが彼は否認している。そして副院長ロバートもまた、リシャートを殺せば聖女の遺骨を自由にできる望みをもつ立場にあった。しかし聖職者である彼にそんなことはできただろうか?
謙虚を装う姿の下に野心を隠したコロンバヌス、ロバートの腰巾着の小ずるい修道士ジェローム、シオネッドに報われない愛情を抱くペレドゥア、「間違って修道院に入ってきてしまった」明朗快活な若き修道士ジョン、シオネッドの従姉妹兼侍女である美しいアネスト。さまざまな人間模様が交錯する中で、カドフェルの調査が始まる。
“A MEDIAEVAL WHODUNNIT”──誰が彼を殺したか? 中世であろうが現代であろうが、よくできたフーダニットの魅力には変わりはない。むしろ、12世紀イングランドと、それとは別の意識と文化をもつウェールズ地方の人々の気質がたくみに対比され、その中で繰り広げられる中世キリスト教の聖遺物崇拝、奇跡信仰などが物語に妙味を添えている。
そして、探偵役である修道士カドフェル。
修道士あるいは尼僧を探偵とした推理小説、というのはわりあいに多い。著名なところではウンベルト・エーコ『薔薇の名前』のバスカヴィルのウィリアム、ピーター ・トレメインの修道女フィデルマ、ポール・ドハティのアセルスタン修道士などがいるが、私がその中でもっとも愛するのは、このカドフェル修道士シリーズである。
『初心者のための○○入門』にしようかと迷ったのだが、現在、ピーターズの作品で邦訳されているのはこの二十一冊に及ぶカドフェルシリーズを除くと、『死と陽気な女』(ハヤカワ・ミステリ)『納骨堂の多すぎた死体』(原書房)とつい最近出た『カマフォード村の哀惜』(長崎出版)の三冊だけのようなので、この小文のタイトルには、煩雑を防ぐためシリーズ第一作の『聖女の遺骨求む』を挙げた。
五十代前後、と推定される彼カドフェルは、かつて十字軍兵士としてイスラム教圏まで進軍し、その後、船員として世界各地をめぐった末に、修道院に入ることを決めた人物である。教会の中しか知らないほかの修道士たちと違って、長年世間を渡り歩き、戦士として剣をとり、あちこちの港で女たちと愛し合ってきた彼は、酸いも甘いもかみ分けた、文字通りの『はぐれ修道士人情派』である。
「あそこの庭で働いてる修道士(ブラザー)がいるだろ? あの、船員みたいに身体を左右に揺すって歩いてる、ずんぐりしたブラザーさ。あの男が若いころ十字軍に参加したことがあるなんて、信じられるかい? ゴドフロワ・ド・ブイヨンの軍に参加して、アンティオキアでイスラム教徒を破ったというんだ。そのあとさらに聖地の沿岸警備のために船長として船に乗り込み、十年間もイスラム教徒の海賊船と戦ったというんだぜ。ほんとかな?」
このような評価を他人から受けている彼であるが、彼自身は、シュルーズベリの薬草園でハーブや薬草を栽培し、時に応じて病人や怪我人の手当てをする仕事に満足している。
「戦いと冒険の中で感じた歓びと、いまこうして平安の中で感じる歓びのあいだに、なんの矛盾も感じない。……凪の中にとどまる現在の平安もそれに劣らず好きなのだ」
とはいえ、時には過去の冒険心と放浪癖がうずき出すこともあり、またウェールズ人としての血の呼び声を聞くこともある(この点はしばしばシリーズにも現れる)。冒険の旅路の中で身につけた知識や技術、薬草や毒物に関する知識は他人の追随を許さない。兵士としての鋭い観察力は今も衰えず、死者の無言の訴えをあますことなく聞きとる。いざとなれば杓子定規な世間の法に、ちょっと片目をつぶることも辞さない。
カドフェル・シリーズは『聖女の遺骨求む』から最終巻『背教者カドフェル』と、短編集『修道士カドフェルの出現』まで長編二十冊+短編集一冊となる。
長編シリーズは歴史上の時系列に添って進むので、その間に女帝モードとスティーブン王による、イングランドを二分する骨肉の争いが引きおこす長い戦争が、カドフェルの周囲にもまたさまざまな波紋を呼ぶ。その中を一修道士として生きていくカドフェルの物語は、中世イングランドに生きた一人の男のライフ・ヒストリーの物語でもある。第一巻から最終巻まで読み切ったとき、カドフェルという男への豊かな共感と愛情があらためて胸に広がるのは、私だけではあるまい。
最初に出た社会思想社教養文庫ミステリ・ボックス版は、社会思想社の倒産とともに絶版状態になってしまったが、2003年、光文社文庫より、ウィリアム・モリス風の瀟洒なカバーで復活を遂げたので、ぜひ手にとってみてもらいたい。カドフェルというひとりの老境に入りつつある人物を中心に繰り広げられる、人情推理とかわいいカップルの恋物語、そして緻密に描かれた中世の歴史と風俗は、必ずお気に召すはずである。
また、カドフェル・シリーズは英BBCによってドラマ化もされている。尺の関係でいろいろ端折られている部分があるにせよ、さすがは本場BBC、中世イングランドの雰囲気の見事さ、カドフェル役のデレク・ジャコビのはまり役なことと言ったら!
このドラマシリーズはNHK−BSやケーブルテレビのミステリ・チャンネルで放送された。DVD−BOXも出ているが、こちらは英語音声+日本語字幕で、絶妙だった日本語吹き替え音声がなく、また全エピソード収録されているわけではないのが残念。ぜひ追加エピソードおよび日本未放映分のエピソード、日本語吹き替え音声を含めた完全版を出してほしいところ。
五代 ゆう(ゴダイ ユウ)
ものかき
blog: http://d.hatena.ne.jp/Yu_Godai/?_ts=1286988042
読むものと書くものと猫を与えておけばおとなしいです。ないと死にます。特に文字。
〔著作〕
『パラケルススの娘』全十巻 メディアファクトリー文庫/『骨牌使いの鏡』富士見書房/『晴明鬼伝』角川ホラー文庫 等
書評をしていく予定の本:活字中毒なので字ならばなんでも読みます。節操なしです。
どっちかというと翻訳もの育ちですが日本の作家ももちろん読みます。
おもしろい本の話ができればそれでしあわせなのでおもしろいと感じた本を感じたまんまに書いていこうと思います。共感していただければ光栄のきわみです。