今年、新作『アンダーワールドUSA』(文藝春秋/上下2巻)が刊行されたジェイムズ・エルロイですが、思えば前の長篇『アメリカン・デス・トリップ』(文春文庫/上下2巻)が邦訳刊行されたのは2001年の9.11の直前のこと。いまの学生さんたちが小学校に入ったかどうかの頃でした。
となれば「新作でエルロイという作家を認識したんだけど、何をどういう順番で読めばいいの?」というかたも少なくないと思います。まずは『アンダーワールドUSA』をお読みいただきたい——というのがエルロイ版元の人間として申し上げたいところ(出版社は営利企業ゆえ作家の将来も商業的成功によって計られてしまうのは避けがたいことなのです)ではありますが、「そこから先はどうすればいいの?」というかたもいらっしゃいましょう。
そこで、高校時代に『レクイエム』(ハヤカワ文庫HM)を読み、大学時代には『血まみれの月』(扶桑社ミステリー)で読書会を主宰し、リアルタイムでエルロイ作品を追ってきた果てに、エルロイ担当編集者になりあがってエルロイ御大のご尊顔を拝すること2度を誇る(←自慢している)私が、ここに初心者のためのエルロイ入門をご紹介させていただこうと思います。
3つのコースをご用意いたしました。
■コース #1——暗黒のLA
『ビッグ・ノーウェア』→『LAコンフィデンシャル』→『ホワイト・ジャズ』→(あとはいずこなりと)
■コース #2——アンダーワールドUSA
『アメリカン・タブロイド』→『アメリカン・デス・トリップ』→『アンダーワールドUSA』→(あとはいずこなりと)
■コース #3——文学界の狂犬
『わが母なる暗黒』→『秘密捜査』→『キラー・オン・ザ・ロード』→(あとはいずこなりと)
理想的な入門は『ビッグ・ノーウェア』(文春文庫/上下2巻)からだと思うのです。
え、それって《暗黒のLA四部作》の二作目なんじゃないの?というかたもいらっしゃるかもしれません。左様、たしかに同作は『ブラック・ダリア』(文春文庫)を引き継ぐ第二作です。ところがこの《暗黒のLA四部作》のなかで『ブラック・ダリア』だけが独立していて、実際には「『ブラック・ダリア』+《暗黒のLA三部作》」という感じ。ごく一部の脇役だけが共通しているだけで、物語上の関連はありません。
たしかに『ブラック・ダリア』を読むと、それ以前のエルロイ作品は習作であったと思えてきます。それほど高い完成度と一種の風格をそなえた小説なのですが、しかし、後年のエルロイが持つ異常な熱気のようなものが少ない。体温が低いんですね。そんな「エルロイの熱病」がアウトブレイクした作品が、『ビッグ・ノーウェア』なのです。
これ以降は、「《暗黒のLA四部作》マイナス1」を順に、『LAコンフィデンシャル』(文春文庫/上下2巻)、『ホワイト・ジャズ』(文春文庫)と読んでゆけばよろしいと思います。
『ビッグ・ノーウェア』で突発した熱病は『LAコンフィデンシャル』でエルロイのキャリアのなかでほとんど唯一と言っていいヒロイズムと結びついて、スーパーヘヴィな物語だというのに、爽やかにカッコいいクライマックス〜エンディングを生み出しています。
4部作の最終作『ホワイト・ジャズ』は、その文体の異様さで名高いので、すでにご存じのかたもいらっしゃるかと思います。馳星周『鎮魂歌』(角川文庫)、冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』(ハヤカワ文庫JA/全3巻)、秋口ぎぐる『並列バイオ』(富士見ファンタジア文庫)などでリスペクトが捧げられている「ジャズ文体」「電文調」「クランチ文体」などと言われているアレです。
本書のみならず、エルロイ作品は語り口は異常、プロットも複雑かつ緻密なので、一読目は、ただただ熱病じみた語り口のグルーヴを浴びながら最後まで読みとおしてみるのをおすすめします。音楽を体感するときのような具合で。じっさい、音/リズムの気配だけをとっても、エルロイ作品はものすごくカッコよいので。
映画《LAコンフィデンシャル》や、『ホワイト・ジャズ』巻末の「暗黒のLA四部作年表」などで、「作中で何が起きたのか」という構成を知ることもできますから、それを経て再読すると、「ああ、こういう物語だったのか!」という新たな感動と、異常に緻密なエルロイの構成力にも感嘆できます。
さて《暗黒のLA四部作》と並ぶエルロイの看板シリーズが『アンダーワールドUSA』で完結した《アンダーワールドUSA三部作》。これは『アメリカン・タブロイド』(文春文庫/上下2巻)→『アメリカン・デス・トリップ』→『アンダーワールドUSA』、と素直に順番で読めばOKです。
物語のスケールや作中のパワーゲーム、人間関係、因果関係がLA四部作以上に大規模になっている三部作。いずれも三人の主人公を立てていますが、このうちのひとりに重点をおいて読んでゆくと迷子になりにくいです。
『アメリカン・タブロイド』ではケンパー・ボイド、『アメリカン・デス・トリップ』ではウェイン・テッドロー・ジュニア、『アンダーワールドUSA』ではクラッチを軸に読むのをおすすめします。
そして最後のコース。
ジェイムズ・エルロイという異形の才能は、その異常な半生にかたちづくられたと言えそうです。10歳のときに母ジニーヴァを何者かに殺害され、以降は生活破綻者の父と暮らす。幼い頃から街を徘徊し、覗きなどを行なっていたエルロイですが、父を亡くしてから状況は悪化。窃盗を繰り返す路上生活者となり、ついにはアルコールと薬物に溺れて病院に担ぎ込まれることになります。そんな荒れた生活のあいだも図書館に通うことはやめず、ハードボイルド・ミステリを読みあさっていたといいます。
そんな半生を、作家として成功してから母の殺人事件を再捜査する過程を軸に描いたのが、自伝『わが母なる暗黒』。これを読むと、作家になるまでのエルロイが何をやっていたかが全部わかりますし、作品のなかにそうした自身の体験やオブセッションが投入されているのがよく見えてきます。
一方、第二長篇『秘密捜査』は、明らかに母の事件をミステリのかたちで「解決」しようとした作品であり、シリアル・キラーの一人称で描かれた『キラー・オン・ザ・ロード』は、作家にならずに殺人鬼になった己自身を描いているような小説です。
エルロイの作品は、ある意味ですべて、自分の経験や自分自身を投影したものだと言えます。最新作でも、若き探偵クラッチはあからさまにエルロイ自身の人生を反映していますし、女性への暴力を許さない『LAコンフィデンシャル』のバド・ホワイトや『アメリカン・タブロイド』のピート・ボンデュラントには——おそらく——エルロイの母の死が影を落としています。『ビッグ・ノーウェア』のダニー・アップショーほか、多くのキャラクターが持つホモセクシュアルへのアンビヴァレントな感情も、エルロイ自身がかつて、自分はホモセクシュアルなのではないかという不安を抱いていたこと(自伝参照)に源流があるのではと思われます。その意味で、このコース #3は、エルロイという人間から、その作品を捉えなおす契機となるでしょう。
なお、上記の作品の多くは、残念なことに現在、入手が容易ではありません。現在の日本の市場では、一般の話題にのぼらない作家/作品が長きにわたって生き残ることは困難であることを、これは反映しています。エルロイは疑いなく、クライム・フィクションの歴史に残る作家でしょう。しかしそれは——現状のままでは——日本を除いて、ということになりかねません。
エルロイを愛するわたし(たち)のすべきことは、エルロイがすごい作家であることを、あらゆる機会を捉えて説得的に発信し、語り継いでゆくことだと考えます。自分の持つ肩書や影響力のすべてを梃子にして。いまの日本では本の寿命が短すぎる——そいつに逆ねじを食らわせてやりたい、と、ひとりの本読みとして思います。
それに値する凄い作家だということは、その作品をお読みいただければ、すぐにわかるだろうと確信しています。
それはもう商売なぞ抜きにして。
All hail the Demon Dog!!!!!
※註※
本稿は、《ザ・インタビュー》に掲載された『ジェイムズ・エルロイ未経験者なのですが、初めてエルロイ作品を読むとしたら、どの作品がいいと思われますか?』への答えを改稿したものです。オリジナルの回答については、こちらを参照ください。
http://theinterviews.jp/schunag/484264