20110910144630.jpg 田口俊樹

 趣味のパチンコ。あんまり賢そうな人はやってませんが、あれはあれでけっこう奥の深い遊びでしてね。当たりが来ないときにはとことん来ない。だいたい三百数十回に一回は当たるように設定されてるんですが、千回、二千回とやっても来ないことがある。いわゆるドツボにはまるってえやつで、そうなるとなかなか這い出られない。ね、奥が深いでしょ? 意味がちがう?

 いずれにしろ、そんなとき私は最近自分に言い聞かせることにしてるんです。あるかなきかの能力を最大限発揮させてもらい、好きな仕事を三十余年も続けることができ、それなりに報酬も評価もいただき、六十を過ぎてだいぶガタが来てるけど、どこか悪いところがあるわけでもなく、子供ふたりはともに結婚し、夫婦仲も、ま、とりあえず円満であるわが身にとって、今ここで7という数字が三つ揃うことがそんなに重要なことだろうか。いやいや、田口くん、それは望みすぎというものではないのか……なんてね。そんなふうに思うと、気持ちがすうっとおだやかになるんですな、これが。

 もちろん、それと同時に機械を叱咤激励、あるいはなだめすかして念を送りもするわけです。それを忘れちゃいけない——ちゃんとやれよな、ちゃんと、何やってんだよ、おまえ、とか、よし、よし、いい子だ、ヘマってもめげるな、とか、頼む! 頼む! 頼む! 頼むから揃ってくれ!……なんてね。

 冷と熱。静と動。聖と俗。天と地。色即是空、空即是色。この二元論的世界の広がり。

 ね、やっぱりパチンコって奥が深いでしょ? もちろん、別に奥なんか深くなくていいんですけどね、とっと揃えばいいんですけど。ほんとはね。でも、人の幸福はみんな似たり寄ったりだけど、不幸は千差万別ってことで、私の場合はそんな不幸に——どつぼに——陥ると、そこに人生哲学を見いだしているわけです。哲学なんていいから、金返せ! なんて下品なことばをぐぐっと呑み込んで。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)

  20111003173346.jpg  横山啓明

今年の初秋、というか晩夏、東京創元社から刊行予定の

長編の翻訳原稿をようやく送信。

この作品に老人施設が出てくるのですが、

訳しながらその描写が切実に迫ってきました。

あの独特のにおい、雰囲気、静寂。

時計の音と老女の呼吸の音が和するシーンが

あるのですが、老人施設に流れている独特な

時間と静けさをみごとに描いています。

病を患っているわけではないのに、

高齢になるとわずか二、三週間で衰えが顕著に

なり、驚かされます。時間にエネルギーを

吸い取られていくのですね、きっと。

母が入所している施設の窓から、

「いせや」が見えます。吉祥寺名物のこの焼き鳥屋

も老朽化によって建て替えるとのこと。

今週末、母のところへ行った帰りに寄ってビールでも

飲んでこよう。

両者ともにこの世から消えてしまわないうちにね。

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

20120301171436.jpg 鈴木恵

いまさらながら、バオ・ニン『戦争の悲しみ』を読んだ。ベトナム戦争をアメリカ側から描いた小説や映画は多いけれど、これは北ベトナム側から描いた作品(作者自身が元北ベトナム軍兵士)。17歳の幸せな恋人同士だった2人が、戦後無事に再会しながらも結ばれないのはなぜなのか。それが大きな謎として提示され、物語が進むにつれて真相が少しずつ明らかになってくる。最後はもう前向きな思考は一切なし。完全な後ろ向き。後ろ向きの純愛。このあとに何を読んでも生ぬるいものにしか感じられないほど凜冽な世界が現出する。ヘミングウェイ『日はまた昇る』と比べると(なぜ比べたくなるかは読めばわかります)、哀切度が桁ちがい。ベトナム文学恐るべしです。で、そのあとは併録の残雪『暗夜』を1篇ずつ読んでいるところ。どれもヘンテコすぎて、頭の蓋がはずれそう。バオ・ニンとのカップリングにはこれしかないというくらい、これまた強烈です。理解しようなどとじたばたせず、出されたものを黙って味わい、おいしゅうございましたと箸を置くのがお作法かと。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:サリス『ドライヴ』 ウェイト『生、なお恐るべし』など。 最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

  20111003173742.jpg  白石朗

 ある学校の英語教師が同僚のアメリカ人男性の英語教師に「二股は英語でなんというのか?」とたずねた。くだんのアメリカ人教師は即座に、「Lucky」と答えたという……。

 なんて馬鹿な実話はともかく、またそれがほんとに Lucky かどうかもともかく、先日AXNミステリーでアメリカのテレビドラマ『ザ・ファーム 法律事務所』の第一回を見ました。ジョン・グリシャムの出世作として名高く、トム・クルーズ主演の映画化でも話題になった『法律事務所』の十年後の物語です。マフィアの恨みを買った弁護士ミッチが、身の危険を感じてFBIの証人保護プログラム下にはいってから十年。もはや危機は去ったかに思えたが、“象とマフィアは忘れない”という諺どおり、その身辺がしだいに不穏に……というのがメインストーリーなのですが、ドラマは十年前と近過去と現在をめまぐるしく往復し、いくつものプロットが同時進行で、それぞれにサスペンスをはらんだつくりになっていて、退屈せずに見ることができました。本放送は六月以降とのこと。放送スケジュールなどの詳細はこちらのドラマ公式サイトでごらんください。

 しかし情けない告白をすると、ドラマを見ていて最初のうち、「ミッチといっしょに事務所をひらいたこのレイってだれ? タバコ吸ってる秘書のタミーってだれ?」と首をかしげたのは(最初のうちだけだってば)、このふたりも登場している原作本の訳者としてどうかと思わないでもありません。ああ、象とマフィアなみの記憶力がほしかった……。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最新訳書はヒル『ホーンズ—角—』、デミル『ゲートハウス』、キング『アンダー・ザ・ドーム』。ツイッターアカウント@R_SRIS

 20120102101224.jpg 越前敏弥

「二股」は “work both sides of the street” や “with a foot in both camps” だそうですぜ>しお……じゃなかった、白石さん。”have two bob each way”(オーストラリア口語)なんてのもある。一語だと hedge で、これはよくわかる。リスクヘッジ。二股ヘッジ。

 なんて話はいいとして、先週末から東京・渋谷のユーロスペースで、日活創立百周年イベントの最大の山場「生きつづけるロマンポルノ」を開催中。連日大盛況だそうで、めでたし、めでたし。わたしのブログにも二度にわたって応援記事を載せました(これこれ)。未体験のかたは絶好の機会ですからぜひ一度足を運んでください。ユーロスペースのあと、全国各地で順次上映される予定です。

 今回の上映作品のうち、翻訳ミステリー好きの皆さんにお勧めするとしたら何がいいだろうか。ふつうに考えればレイモン・マルロー原作の〈エロチックな関係〉だろうけど、ハードボイルド好きの人には〈白い指の戯れ〉、ちょっとシュールなのが好みの人には〈夜汽車の女〉、イヤミス愛好者には〈箱の中の女〉がいいんじゃないかな。万人向けの入門作としては〈おんなの細道 濡れた海峡〉か〈人妻集団暴行致死事件〉。泣いてもかまわないなら〈ラブホテル〉か〈天使のはらわた 赤い教室〉。もちろん、史上最高傑作の誉れ高い〈秘・色情めす市場〉からでもいいけれど、脳天を殴られたような衝撃を受けるのは確実だから、心して向き合ってください。

 おっと、日活ロマンポルノだけじゃなく、ピンク映画の一大イベントもきょうから開催されるんだった。銀座シネパトスでの〈ピンク映画50周年記念特集上映・午後8時の映画祭〉はこちら。一番人気は周防正行&滝田洋二郎の二本立ての日、二番人気が園子温の日じゃないかと思うけど、田尻&いまおかとか、四天王(佐藤・佐野・サトウ・瀬々)連発とか、見逃せない日ばかりじゃないか!

 でもなあ、この期間に行けるのは、両企画合わせてせいぜい3日。さて、どれを選ぶか……

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『解錠師』『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくり[冗談、冗談]。ツイッターアカウント@t_echizen。公式ブログ「翻訳百景」 )

20111003174437.jpg 加賀山卓朗

 日本冒険小説協会の内藤陳帰天大宴会で北方謙三さんを間近に見て感激し、中断していた『水滸伝』の読書を再開。一気に読み終わって、『楊令伝』に入った。文庫解説で細谷正充さんも書かれていたが、たまたま作者と同じ時代に、同じ言語を使う人間として生まれたことの幸せを噛みしめている。

 数千、数万の軍のぶつかり合いも大迫力(呼延灼の連環馬!)だが、一対一の戦い(たとえば燕青と洪清)も背筋がぞくぞくするほどすばらしい。地上数百メートルの俯瞰からたったひとりの男の心理まで、同時に描ける「小説」の底力も感じた。

 とはいえ、『水滸伝』全篇をつうじていちばん感動したのは、官軍との最終決戦のさなか、楊令が王進のもとから出てきて梁山泊に加わるところ。これは一生忘れられない場面になった。集団が最高のパフォーマンスを見せるのは、若く非力な成員を全員で支え、未来につなぐときである、という内田樹さんのことばを思い出す(こちら)。梁山泊に入った楊令はもはや「非力」ではない。腕自慢を軽々と打ち倒し、初戦から眼の覚めるような働きをする。当たりまえだ。これだけの男たちが手塩にかけて育てたのだから。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

20111003174611.jpg 上條ひろみ

 久しぶりの長屋です。

 仕事でどこにも行けなかったゴールデンウィークの密かな楽しみは読書。

 ジョー・ヒルの『ホーンズ 角』は衝撃的でした。朝起きたら頭に角が! なのにまわりの人たちはほとんどスルー! しかも角を見た人は、本来なら絶対人には言わないようなことをべらべらしゃべっちゃう! なんだこれ! おもしろい! たちまち頭のなかがびっくりマークだらけに。気づいたら七百ページ以上の大作を一気に読み終えていました。表紙カバーを見るかぎりかなり怖そうだけど、すごく切なくて深い。蛇がうじゃうじゃいるぞっとするようなシーンを読んでいるうちに、蛇がだんだんかわいく思えてきてしまった自分が怖い。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)

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