「読んで、読んで、とにかく読んで! ラヴゼイを読まないのは人生の損失ですよ」と、声を大にして言いたい。ラヴゼイをひとことで言うなら、?極上の読書の楽しみが味わえる作家?。イングランドの作家だから、香りのいい紅茶をいれて、ショートブレッドをお皿に並べて(ん? これはスコットランドだけど、ま、いいか)、ゆったりと時間をかけて読むのが、わたしの夢。ただし、いまだに実現していない。ずっと夢のまま。
シリーズものが3種類あるので、まずそのご紹介から。
【1】クリップ部長刑事&サッカレイ巡査シリーズ。ヴィクトリア朝を舞台とする歴史ミステリで、これまでに8作発表されている。
【2】バーティ殿下シリーズ。後のエドワード7世の皇太子時代のお話。いまのところ3作。
【3】ダイヤモンド警視シリーズ。ラヴゼイが初めて手掛けた現代もの。バースが舞台。12作(3作は未訳)。
わたしが初めて読んだのが【1】のシリーズの8作目、『マダム・タッソーがお待ちかね』だった。ラヴゼイがどういう作家なのかも知らず、ただ、タイトルに惹かれて手にとった。以後、ラヴゼイの大ファンになった。ついでですが、原題の Waxwork より、こちらのほうが魅力的だと思いません? 時代は19世紀の後半、ロンドンの写真館で助手を務める男が毒殺され、捜査の結果、男に恐喝されていた館主の妻が逮捕され、絞首刑を言い渡される。ところが、処刑日が近づいたとき、彼女の無実を証明する写真が見つかり、クリップ部長刑事が極秘で捜査を始めることに……。二転三転のひねりが効いたストーリーを存分に楽しめる作品。
つぎのバーティ殿下シリーズは、ヴィクトリア女王の世継であったアルバート・エドワード皇太子殿下が探偵役を務める愉快なシリーズ。3作までで中断しているのが惜しまれる。1作目の『殿下と騎手』は実在の騎手の変死事件を題材にした作品で、おとぼけ殿下のドジな探偵ぶりが微笑ましい。
歴史ミステリを書きつづけてきたラヴゼイが初めて挑んだ現代ものが、【3】のダイヤモンド警視シリーズである。1作目の翻訳を依頼されたとき、反射的に「えっ、歴史ミステリの大家というラヴゼイのイメージがこわれてしまわない?」と思った。しかし、さすが才人ラヴゼイ。かつて上流階級の贅沢な保養地になっていたバースを舞台にして始まったこのシリーズで、イメージをこわすどころか、さらに名声を高めることとなった。主人公のダイヤモンド警視は、肥満体で、髪が薄くて、強引な性格で、人使いが荒くて、食い意地が張っていて、ほんとに困ったオヤジだが、仕事に対する誇りと情熱は誰にも負けない。そして、本当はけっこう繊細で、優しくて、愛すべきオヤジなのだ。
R・D・ウィングフィールドのフロスト警部や、ジョイス・ポーターのドーヴァー警部と似たタイプ。イングランドの作家って、こういうタイプが好きなんだろうか。あなたがダイヤモンド警視にハマった場合は、この2つのシリーズもきっと楽しめるはず。
警察をクビになったり、復帰したり、最愛の妻を亡くしたりと、ダイヤモンド自身の人生の浮き沈みが丹念に描かれているシリーズなので、できれば1作目の『最後の刑事』から読んで、ダイヤモンド警視と仲良くなり、舞台であるバースの街に慣れ親しんでいただきたい。シリーズのなかでわたしが個人的に好きなのは『バースへの帰還』。犯人逮捕のシーンが強く心に残っている。
シリーズ以外にもすばらしい作品がそろっていて、どれからご紹介すればいいのか迷ってしまうが、ラヴゼイの代表作として真っ先に挙げるべきは、『偽のデュー警部』だろう。CWA(英国推理作家協会)のゴールド・ダガー賞を受賞したことからもわかるように、高く評価されている。英国からニューヨークへ向かう豪華客船を舞台にしたコメディタッチのミステリで、文句なしに楽しめる。ラヴゼイを読むうえで、ぜったいに外せない最高傑作。
翻訳者としてのわたしにとっていちばん大切なラヴゼイ作品は、『苦い林檎酒』。初めて手がけたラヴゼイの長編で、前々から大好きだった作家のものを自分が訳せるなんて夢みたいだと思いながら、そのいっぽうでひどく緊張した。作品中で語られる人の記憶の曖昧さ、記憶のなかのネガとポジがいっきに入れ替わる瞬間の衝撃。それをうまく翻訳に移し替えられるだろうか、という不安がつきまとって離れなかった。ニッカのシードル工場を見学させてもらうため、厳寒の2月に上野駅から夜行で弘前に向かったのも、いまとなってはなつかしい思い出だ。
殺人で絞首刑になった父親の無実を証明したいという、アメリカからやってきた娘の頼みに根負けし、昔の事件を調べなおす大学講師のセオドア。事件当時まだ子供だったセオドアの証言が有罪判決の決め手となったのだ。ところが、調べていくにつれて、事件は彼の記憶にあるのとはべつの様相を呈しはじめる。万華鏡の模様が変化していくような面白さが味わえる作品である。
最後にもうひとつ、ぜひご紹介したい長編がある。『つなわたり』。第二次大戦が終わったばかりのロンドンで再会した女性二人を主人公にしてくりひろげられる、交換殺人の物語。ラヴゼイ作品の大部分に共通して見られる品のいいユーモアが『つなわたり』では影をひそめ、強烈なサスペンスに満ちた展開となる。男性のラヴゼイによくもここまで細かい女性の心理描写ができたものだと、翻訳のときに感心したことを覚えている。
そうそう、短篇も忘れてはならない。長篇よりもむしろ、ピリッとひねりを効かせた短篇のほうに、ラヴゼイのうまさが凝縮されているといってもいいだろう。ブラックユーモアに満ちた怖い話がたくさんある。短篇集として、『煙草屋の密室』『ミス・オイスター・ブラウンの犯罪』『服用量に注意のこと』の3冊が出ているので、ぜひどうぞ。
シリーズものにしろ、単独作品にしろ、短篇にしろ、プロットの巧みさ、ミスディレクションのうまさで、ラヴゼイは群を抜いている。どれを読んでも、期待を裏切られることがない。どうか、ストーリーの流れに身をまかせて、だまされる楽しさを堪能していただきたい。わたし自身、昔は「ミステリを読む=犯人を当てること」だと考えていて、誰が犯人かを常に推理しながらミステリを読んでいた。だから、わたしにとっては、?読者への挑戦?コーナーのあるエラリー・クイーンの国名シリーズなどが理想的なミステリだった。しかし、ラヴゼイを読みだしてからは、著者と競いあうのをやめて素直にだまされることに快感を覚えるようになった。
彼の作品をまだ読んでいないあなた、羨ましいです。これから極上の読書タイムを持つことができるのだから。しかも、長篇も短篇もどっさりあるのだから。ラヴゼイの世界を堪能してください。最後にもう一度くりかえしましょう。ラヴゼイを読まないのは人生の損失ですよ。
山本 やよい(やまもと やよい) |
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1949年岐阜県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒。主な訳書/サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー・シリーズ。ピーター・ラヴゼイのダイヤモンド警視シリーズ。最近はメアリ・バログのロマンス物とコージー物に挑戦。 |