20110910144630.jpg 田口俊樹

 話題としてはまさしく十日の菊の感なきにしもあらずのオリンピックですけど、見ていて思ったことなどを。

 勝者の美学ってありますよね。

 フェンシングでは太田選手が雄叫びをあげてましたけど、日本の剣道では勝った選手がガッツポーズをしただけで即、失格になるんだそうです。敗者に対して礼を失した態度を取るのも、感情を簡単にあらわにするのも武士道に悖るということなんでしょう。

 そう言えば、土俵の上でガッツポーズをして、朝青龍が指導部から厳重注意を受けるなんてこともありました。

 これが同じ日本の武道でも柔道となると、もうガッツポーズやりまくりです。これはもともと武道だった柔道がそれだけスポーツ化、グローバル化した結果なんでしょうね、きっと。

 それでも、私なんぞは古い日本がまだぎりぎり残ってる世代だからでしょうか、たとえそれが喜びの自然な発露であれ、あまりにあからさまに感情を剥き出しにされると、なんか鼻白んでしまいます。おいおい、人前だろうが、なんてね。

 とはいえ、日本通のアメリカのスポーツ・ジャーナリストが、日本人選手が勝って大泣きするのは変だ、素直に喜ぶべきだ、みたいなことをどこかで言ってましたが、そんなたわごとを聞くと、よけいなお世話だなどと思ってしまいます。きみたちが大げさに喜びまくるのと同じことなの、なんてね。このあたりちょっと矛盾してますが、こういうところがナショナリズムのナショナリズムたる所以でしょうか。

 一方、敗者の美学というのもありますよね。

 嬉しい銅もあれば、悔しい銀もあって当然ですが、畢竟、ともに敗者なわけです。負けてから、欲しかったのは金だけで、銀なんか欲しくないなんて言うのは見苦しいですよね。銅の選手、銅にも手が届かなかった何人もの選手への思いやり、さらにはただひとりの勝者に対する敬意にも欠ける物言いです。

 あとは体育会系のよくない一面が感じられるような敗者の弁。申しわけありません、なんてね。別に謝らなくてもいいと思うんだけど。金を期待されながら、メダルも取れなかった柔道の福見選手が涙をぐっとこらえて言った「わたしとしては精一杯やった」ということば、ワタシ的には清々しかったです。

 四年に一度のスポーツの祭典・イン・ロンドン。世代的にはポールの生出演で始まり、ジョンの「イマジン」で終わったオリンピックでもありました。古希を過ぎたポールに対して、スクリーンに映ったありし頃、若かりし頃、元気だった頃のジョンのアップ。ちょっと虚を突かれたようなところもあって、何度も見ているビデオなのに、思わずうるっとしちゃいました。

 あと何回見られるんだろう、なんてね、そんなことも初めて思った今年の夏でした。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)

  20111003173346.jpg  横山啓明

夏場は窓を開け放して仕事をしています。

角の部屋なので、マンションの共用廊下と

建物脇にある駐輪場に面してふたつの窓が

あるのです。

仕事をしていると、ふと、石鹸の香りや香水の

匂いが漂ってくることがあるんです。

はっとします。心が騒ぐ。

共用廊下、駐輪場、マンションの敷地内

には誰もいません。近くの道までは十数

メートルも離れています。

どこからか風に運ばれてきたのでしょうか。

匂いが拡散してしまうと思うのですが、ひょっとしたら

漂いながらも濃淡のようなものができるのかもしれ

ません。

女性からほのかに漂ってくる香りに弱いんです。

うっとりしてしまう。昔のイスラムの女性は麝香を

含んだ香油を体に塗っていたそうです。

「口に含んだり、あるいは臍や膣の中に入れて

女体の放つ匂いを引き立てていた」

と、ある本に書いてありました。「女体の放つ匂い」

なんとも濃厚な表現ですね。ぞくぞくしちゃいます。

そういえば『香水—ある人殺しの物語』という小説が

ありましたね。匂いマニア必読です。

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

20120301171436.jpg 鈴木恵

ネレ・ノイハウス『深い疵』(ドイツ)、アーナルデュル・インドリダソン『湿地』(アイスランド)、コリン・コッタリル『三十三本の歯』(ラオス)と、新刊を立てつづけに読んで、ちょっとした世界旅行気分。ま、実態は家にほぼ缶詰なんですが。それにしても、アイスランドの人口が32万人(320,000)しかないという事実にはびっくりです。一桁まちがえてるんじゃないかと、小学生みたいに「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……」と数えなおしてしまいました。でも、そういう国だからこそ、この事件が起きたと言えなくもない。そういう意味では、これはとてもアイスランド的な悲劇だったのかもしれません。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:サリス『ドライヴ』 ウェイト『生、なお恐るべし』など。 最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

  20111003173742.jpg  白石朗

 柳下毅一郎『新世紀読書大全——書評 1990-2010』がすごい。すごいという言葉ではとても間にあわないくらいだ。20年間にわたって氏が書いてきた書評や解説やエッセイが、内容やテーマで10章90項目に分類されてこれでもかとばかりに詰めこまれている。詰めこまれているというのは誇張でもなんでもない。ページによっては老眼にはきついくらいの小さな活字だ。造本も凝りに凝っている。小口には本書の欧文タイトルの一部 Pandemonium の文字が浮かび、本文ページには俎上にあげられた書影や映画スチールはもちろん、内容と絶妙にシンクロしたバッドテイストなイラストや写真が折々に配されている周到ぶり。つかわれているフォントの多様さといったら(特に目次!)。

 特殊翻訳家の関心の広がりと方向を如実にあらわす本棚——ということは、すなわちこの異能の知的&内的世界——を垣間見ることができる本書には、また妖刀のごとき切れ味のフレーズが頻出する。その刃がある種の翻訳にふりおろされるさまには、うなじが涼しくなった。

 そうそう、エド・ゲイン事件やブラック・ダリア事件、ライアン・デイヴィッド・ヤーン『暴行』にインスピレーションを与えた事件、リジー・ボーデン事件など、フィクション愛好家にも覚えのある現実の犯罪実録書の書評や紹介も収録されているので、心ある翻訳ミステリ・ファンも要チェックです。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最新訳書はデミル『獅子の血戦』、ヒル『ホーンズ—角—』、キング『アンダー・ザ・ドーム』など。ツイッターアカウント@R_SRIS

 20120102101224.jpg 越前敏弥

 今年の忙しさはおそらくこの仕事をはじめて以来最大の修羅場とも言うべきもので、なんだかわけのわからないことを口走ったりするらしく、先日はある女性に大いばりで「『大泥どろぼうホッツェンプロッツ』の作者のリンドバーグは『カッレくん』の作者でもあるんだぜ」とか、トンデモ蘊蓄を披露したらしい。ごめんなさい、なぜか『長くつ下のピッピ』とこんがらがらがって、いや、「がら」がひとつ多いか、こんがらがっていたみたいです。あ、忙しさのせいだけじゃないか。

 ともあれ、こんなふうに頭がぐちゃぐちゃになりそうなときは、リンド”グレーン”やカッレくんのふるさと北欧のミステリーが心が安らぎますね。そんなわけでヨハン・テオリン『黄昏に眠る秋』と『冬の灯台が語るとき』を読書中。 

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『解錠師』『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくり[冗談、冗談]。ツイッターアカウント@t_echizen。公式ブログ「翻訳百景」 )

20111003174437.jpg 加賀山卓朗

 夏前から家で犬を飼っている。ロバート・B・パーカーにあやかって、名前はパールかロージーにしたかったのだが、かなわず。

 それにしても、これまで縁も興味もなかったので、ペット市場がこれほど巨大化しているのには驚きました。いまやペットの犬と猫のほうが15歳以下の子供より多い国だから、考えてみれば当然ですが。食べ物から服、おもちゃ、ホテル、医療、介護、各種サービス(整体とかダンス教室とか……)に至るまで、自分が生きている世界のなかに、まったく別のこんな世界が広がっていたとは。朝の5時から皆さんがどんどん散歩しているのにもびっくり。これぞまさにパラレルワールドでした。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

20111003174611.jpg 上條ひろみ

 ネレ・ノイハウスの『深い疵』にはいい意味で軽く予想を裏切られました。ドイツの警察小説ということで、なんとなく暗くて重いイメージを抱いていたけど、これがもう、めったやたらとおもしろいんですよ。「私設応援団・これを読め!」の挟名紅治さんとかぶっちゃうんですけど、とにかく謎解きが楽しいんです。好きだなあ、こういうの。何やらいわくありげなカルテンゼー一家の面々やその関係者たちなど、登場人物がみんな個性的だし、明らかになる暗い過去がこれまたすごい!

 捜査にあたるホーフハイム刑事警察署首席警部のオリヴァー・ボーデンシュタインと、その相棒ピア・キルヒホフ警部の信頼関係もすてきです。キレ者だけどちょっと情けないところもあるオリヴァーを、しっかり者だけどちょっと突っ走り気味のピアが支えるんですけど、遠慮しつつも互いを思いやるふたりの距離感がなんとも言えなくいいんですよね。

 本書はシリーズ三作目で、四作目も日本紹介が決まっているそうですが、訳者あとがきによると「この二冊でこのシリーズが日本でも市民権を得られたら」一作目から読めるようになるということなので(大人の事情)、みなさんぜひ買って読みましょう。絶対損はしませんから。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)