◆前回の補足(世界ハメット賞について)

 イタリアのミステリー賞の紹介をする前に、まず前回の補足をしたい。

 1986年創設の国際推理作家協会は当初、世界中のミステリー小説から年間最優秀作を毎年選出するハメット賞という賞を構想していた。北米のハメット賞やスペイン語圏のハメット賞と紛らわしいので、このハメット賞のことは世界ハメット賞と呼ぶことにしよう。前回、この世界ハメット賞の詳細については分からないと書いたが、その後第1回の候補作を知ることができた。どうやら前回言及した1987年6月の理事会では候補作は決まらなかったようで、以下の候補5作品は1988年6月末から7月初めにかけてスペインで開催されたミステリー祭《セマナ・ネグラ》(第1回)の会期中に開かれた理事会で決まったものである。議長はアメリカのロジャー・L・サイモンで、英語圏・フランス語圏・ロシア語圏・スペイン語圏のそれぞれのグループに分かれて候補作が選出された。(それ以外の言語からの候補作の選出はこの回は見送られた)

  • 英語圏(2作)
    • アメリカ スコット・トゥロー『推定無罪』
    • イギリス バーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル)『運命の倒置法』
  • フランス語圏
    • フランス ダニエル・ペナック『カービン銃の妖精』
  • ロシア語圏
    • ソビエト アナトーリイ・プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』
  • スペイン語圏
    • メキシコ パコ・イグナシオ・タイボ二世『生活そのもの』(邦訳なし、原題『La vida misma』)

 『コーカサスの金色の雲』(邦訳1995年、群像社)は未読だが、あらすじを見てみると、第二次世界大戦末期にチェチェンの村に強制疎開させられたモスクワの孤児たちの悲惨な現実と友情を描いた自伝的小説であるらしく、なぜこの賞の候補になったのかよく分からない。これを選出したのは旧ソ連の「ミステリー作家」たちだが、ミステリー小説というものへの理解に何か決定的な食い違いがあったのだろうか。

 1988年初夏の《セマナ・ネグラ》で以上の候補5作品が決定し、受賞作は同年10月のフランス・グルノーブルのミステリー祭で発表される予定だったが、翻訳が間に合わなかったという理由で受賞作の決定は見送られた。その後のことや、翌年以降の世界ハメット賞についてはやはりよく分からない。なにかご存じの方はぜひ情報をお寄せください。

◆イタリア・ミステリー界の巨匠といえば?

 フランス・ミステリーほどではないにしても、非英語圏のなかではイタリアのミステリーはそれなりに邦訳されている。今年初めにポケミスで出たイタリア・ミステリー、ドナート・カッリージ『六人目の少女』は好評で重版もされたそうだ。とはいえいまだ日本では、イタリア・ミステリーの歴史についてはよく知られていないというのが現状だろう。

 日本ではほとんど知名度がない作家だが、早川書房の『世界ミステリ全集』第12巻(1972年)で長編『裏切者』が訳されているジョルジョ・シェルバネンコ(1911-1969)は「イタリア国産ミステリーの父」などとも称される作家で、イタリアにはその名を冠した賞もある。

 シェルバネンコは1960年代後半に発表した元医師ドゥーカ・ランベルティを探偵役とするシリーズが代表作で、『裏切者』はそのシリーズ第2作である。ほかに1940年代初頭には、ボストン警察で犯罪記録の保管係を務める内気な職員アーサー・ジェリングと語り手である心理学者のトンマーゾ・ベッラのコンビが活躍するシャーロック・ホームズ風の長編探偵小説を5作発表しており、発表から間もない1940年代後半の日本の翻訳探偵小説叢書でそのうちの3作の邦訳出版が予告されたこともあったが、結局刊行されなかった(予告されたタイトルは『六日目の脅迫』、『盲目の人形』、『ルシアナ失踪』)。日本では不遇の作家である。

◆シェルバネンコ・ミステリー大賞

 その名を冠したシェルバネンコ・ミステリー大賞(1993年〜)は、イタリア北西端のクールマイユールで毎年12月に開催されるミステリー映画・小説の祭典《クールマイユール・ノワール・イン・フェスティバル》(Courmayeur Noir in Festival http://www.noirfest.com/ )で授与される賞で、イタリア語で発表されたミステリーの年間最優秀作に贈られる。

 邦訳のある受賞作は2作。1996年受賞のカルロ・ルカレッリの『オーケ通り』は第二次世界大戦末期から終戦直後にかけての混乱期のイタリアを舞台にした《デルーカの事件簿》三部作の完結編。1998年受賞のマルチェロ・フォイスの「いかなるときでも心地よきもの」(ハヤカワ・ミステリ文庫『弁護士はぶらりと推理する』に収録)は19世紀末のイタリア・サルデニア島を舞台にし、実在した弁護士のブスティアヌを主人公にしたシリーズの第1作。のちに英訳され、英国推理作家協会(CWA)のエリス・ピーターズ賞(最優秀歴史ミステリー賞)にもノミネートされた。

 ところで私は未読なのだが、『薔薇の名前』が邦訳される数か月前に、そのパロディ作品である『『バラの名前』後日譚』という作品が邦訳出版されている。その作者のロリアーノ・マッキアヴェッリはイタリアでは著名なミステリー作家のようで、2007年には歌手のフランチェスコ・グッチーニとの合作でシェルバネンコ・ミステリー大賞を受賞している。残念ながら、マッキアヴェッリはこのパロディ作品しか邦訳がない。また、『コドラ事件』『呪われた祝日』が邦訳されているレナート・オリヴィエリはこの賞の第1回(1993年)の受賞者である。

◆レイモンド・チャンドラー賞

 《クールマイユール・ノワール・イン・フェスティバル》ではほかにレイモンド・チャンドラー賞というのも授与されている。これはイタリア国内外のミステリー作家の生涯の業績に対して贈られる賞である。1988年にチャンドラーの生誕100周年を記念して創設され、1993年から《クールマイユール・ノワール・イン・フェスティバル》で授与されるようになった。

 1988年の初回の受賞者はグレアム・グリーン。1989年にはマフィアを扱った小説で知られるイタリアのレオナルド・シャーシャが受賞。以降イタリアの作家では、1972年発表の『日曜日の女』(邦訳1973年、河出書房新社)を皮切りに次々と合作でミステリーを発表したカルロ・フルッテロフランコ・ルチェンティーニが1994年に、モンタルバーノ警部シリーズで知られるアンドレア・カミッレーリが2011年に受賞している。

 ほかには、J・G・バラードやドナルド・E・ウェストレイク、フレデリック・フォーサイス、マヌエル・バスケス・モンタルバン、P・D・ジェイムズ、エド・マクベイン、イアン・ランキン、スコット・トゥローらが受賞。最近の受賞者は2009年がキューバのレオナルド・パドゥーラ、2010年が米国のマイクル・コナリー、2011年がギリシャのペトロス・マルカリスと先述の通りイタリアのアンドレア・カミッレーリ、2012年が米国のドン・ウィンズロウである。『ぼくのミラクルねこネグロ』という絵本が訳されているアルゼンチンのオスバルド・ソリアーノが1993年に受賞しているのも興味深い。

◆アルベルト・テデスキ賞

 アルベルト・テデスキ(1908-1979)は、1929年に創刊されたイタリア最大のミステリー叢書《ジャッロ・モンダドーリ》で初期から編集者を務めた人物。《ジャッロ・モンダドーリ》は英米ミステリーの翻訳がメインの叢書で、2013年5月現在までに3300点以上を刊行している。創刊50周年の1979年には、その編集者としての業績をたたえてアメリカ探偵作家クラブ(MWA)からテデスキに大鴉賞が贈られたが、テデスキはその直後の同年5月に急逝。そこでテデスキの業績を記念して、公募ミステリー賞のアルベルト・テデスキ賞が創設された。未発表の長編ミステリーを募集し、受賞作は《ジャッロ・モンダドーリ》で刊行される。

 1980年の初回の受賞者は先にも名前を出したロリアーノ・マッキアヴェッリ。なお、邦訳『『バラの名前』後日譚』巻末の著者紹介では、マッキアヴェッリが1980年の作品でモンダドーリ・ドイツ支社賞を受賞したとされているが、これは実際はテデスキ賞のことだろう。「テデスキ」は「ドイツの」という意味の形容詞でもあるので、固有名詞の「テデスキ」を形容詞だと取り違えたのだと思われる。ほかに、1993年にはカルロ・ルカレッリが受賞。『未完のモザイク』が邦訳されているジュリオ・レオーニは2000年にこの賞を受賞してデビューした。

 ちなみに、《ジャッロ・モンダドーリ》では日本の作品はもう10年以上刊行されていないが、それ以前には横溝正史、松本清張、戸川昌子、夏樹静子、西村京太郎、東野圭吾の作品が刊行されている。

松川 良宏(まつかわ よしひろ)

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 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。

 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/

 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas

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