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「疲れを忘れられる本——とのことですが、ほっとできる心あたたまるお話にいたしましょうか、

それとも、自分の疲れを忘れるくらい疲れることをする人たちのお話がよろしいでしょうか」

 って訊かれたら、後者が気にならない? 4月のコンベンションの企画、こんな本を読みたいという注文に対して、ミステリのエキスパートたちがお薦めをしてくれる執事カフェ「ナゾー」におじゃましたときのこと。漠然としたオーダーに、川出執事がこちら好みのお菓子を銀器に盛りつけるがごとく紹介してくださった2冊のうちのひとつが、ラッセル・ブラッドン『ウィンブルドン』でした。70年代後半に書かれた本。うん、たぶん読んだことがない。残念ながら品切れ状態で、速攻でポチりましてよ。

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 オーストラリアとソ連の男子テニス選手が運命的な出会いを経て無二の親友となり、ウィンブルドンでの対戦の際にある陰謀に巻きこまれ、長い試合を強いられる、という内容。運動はからきしのわたしでもスポーツの臨場感と、陰謀阻止のため奔走する警察側の緊張感にすっかり飲みこまれる。

 といっても、全体を包む空気は明るい。ワイルドキャラと天使キャラの主役のゲイリー・キングとヴィサリオン・ツァラプキンの設定が見事だから。でね、これはまぎれもない恋バナでもあるの。前半はツァラプキンの去就にからんだアクションはあるものの、サスペンスじゃないところが読みどころ。才能ある人が努力の先にある場所までたどり着くための苦悩(ルビ:プロスポーツ)&青春小説として抜群だし、ツァラプキンがいじらしくて……。この感じどこかで読んだことがある、と思ったら、“マリみて”だと気づいて膝を打ちました。突然の「決勝が終わったら、僕は君に○○○するよ」のセリフは紅茶3メートル噴射ものだから。

 後半に描かれるひとつの試合/陰謀部分はコート、犯人、警察、主役を取り巻く人々の場面切り替えも巧みで、現実の時間を忘れさせる。テレビ放映の解説者たちの呼吸の妙も言及しないではいられないし、ラストもきれいに回収して終わるんですよ。

 キングの家族が勇敢だったり、女王陛下が最強だったりする背景には、オーストラリア人の著者ブラッドンの故郷へ、そしてのちに拠点としたイギリスへの想いがあるのかな。95年に亡くなっているブラッドンはノンフィクションやSFも書いていて、邦訳はフィクションについてはこれだけ。twitterで教えていただいたのですが、本作はコミック化されていて、そちらの小野弥夢『天使の賭け』はロマンス要素多めの仕上がり

 あれ、そういえばわたし疲れていたっけ?

 そこも大事だが、もっと大事なことがある、どうしてこれが品切れに。感想をつぶやいたら、あれはいい作品だよねと複数の反応があったし、こうして記事を書きませんかというオファーにほんとうにもうほいほいと書きますとも、とお返事していたくらい、サスペンス・ファンも、スポーツ好きも、青春小説に目がない人も、王室フリークも、もちろん腐のみなさんも、どこかしら語りたくなるポイントがある本なのです。読書会の課題書にしたい。でも入手しやすさ等々を考えると、古書はむずかしいのですよ。ミステリの神様、どうかお願い。

 ところで、最初の質問の「ほっとできる心あたたまるお話」も気になっていたりします、川出執事。

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三角 和代(みすみ かずよ)

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 ミステリと音楽を中心に手がける翻訳者。10時と3時のおやつを中心に生きている。福岡読書会世話人のひとり。訳書にヨハン・テオリン『赤く微笑む春』、ジョン・ディクスン・カー『曲がった蝶番』、ジャック・カーリイ『ブラッド・ブラザー』他。

 ツイッターアカウント @kzyfizzy

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