今回は中東欧およびバルカン半島のミステリー賞やコンテストをいくつか紹介する。分からないことも多いのだが、今ここで言及しておかないと今後も永久に触れられずじまいになりそうなので、不確かながらもこの機会にまとめておくことにする。

◆ルーマニア

 ルーマニアでは2010年6月にルーマニア推理作家クラブ(Romanian Crime Writers Club、略称 RCWC)が結成されている。英語名が正式名称で、ルーマニア語の文章中でも英語で表記される。会長はミステリー作家のジョルジェ・アリオン(George Arion、1946- )。この作家は2011年に英訳が1冊だけ出ている。

 出版社と組んで公募のミステリー賞を立ち上げたほか、編集者や翻訳家、出版社などミステリー界で活躍した人物・団体に毎年その功績を称えてルーマニア推理作家クラブ賞を贈っている。クラブ賞の1つに最優秀外国小説賞もあり、2010年はスウェーデンのアンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム『ボックス21』、翌2011年はジョン・ル・カレ『誰よりも狙われた男』が受賞した。ルーマニア推理作家クラブ賞について、2012年以降の情報は見あたらなかった。

 ルーマニアのミステリーの邦訳はない。

◆ポーランド

 ポーランドでは2004年に大口径賞(Nagroda Wielkiego Kalibru)というミステリー賞が創設されている。「クローゼットの中の骸骨」協会というミステリー愛好家団体が授与するもので、年間最優秀のポーランド語のミステリー小説に贈られる。過去の受賞者に邦訳がある作家はいない。初回の受賞者であるマレク・クライェフスキ(Marek Krajewski、1966- )は、ポーランド西部の都市ヴロツワフ生まれの作家。ドイツ領になっていた1930年代のヴロツワフ(ドイツ語ではブレスラウ)を舞台にした警察小説シリーズなどで知られる。このシリーズは英訳もある。

 大口径名誉賞というのもあって、こちらは国内外の傑出したミステリー作家に贈られる。過去の受賞者にはロシアのアレクサンドラ・マリーニナ、ボリス・アクーニン、ノルウェーのジョー・ネスボ、アンネ・ホルト、スウェーデンのマイ・シューヴァル、アメリカのジェフリー・ディーヴァー、キャシー・ライクスらがいる。先ほど言及したポーランドのマレク・クライェフスキも受賞者である。2013年の受賞者はアメリカのウォルター・モズリイ。

 大口径賞の受賞者に邦訳がある作家はいないと書いたが、そもそも邦訳のあるポーランドのミステリー作家というと36年ほど前にポケミスで『顔に傷のある男』『ペンション殺人事件』が刊行されたイェジィ・エディゲイ(1912-1983)ぐらいしかいないのだから、それも当然だ。

 ほかにポーランドのミステリー作品で日本語で読めるものには、1979年のフランス推理小説大賞を受賞したスタニスワフ・レムの『枯草熱』(こそうねつ)がある。同じくレムの『捜査』もそのタイトル通り、推理小説仕立ての作品である。

◆チェコ

 チェコでは国際推理作家協会チェコ支部が年間最優秀のチェコ語のミステリー小説に対して1996年からイジー・マレック賞(Cena Jiřího Marka)を授与している。受賞者に邦訳がある作家はいないし、そもそもイジー・マレック(Jiří Marek、1914-1994)という作家がチェコのミステリー界にどのような貢献をした人物なのかもよく分からない。

 イジー・マレック賞は日本でいえば日本推理作家協会賞に相当する賞だが、国際推理作家協会チェコ支部はもう一つ、江戸川乱歩賞に相当する賞も主催している。未発表の推理小説を募集し、受賞作が刊行されるというもので、エドゥアルト・フィッケル賞(Cena Eduarda Fikera)という。エドゥアルト・フィッケル(Eduard Fiker、1902-1961)は1930年代から探偵作家として活躍した人物で、まさに日本の江戸川乱歩に相当する人物だといえるだろう。

・国際推理作家協会(AIEP)チェコ支部ブログ

http://www.detektivka.com/

 チェコミステリーの邦訳としては、カレル・チャペック『ひとつのポケットからでた話』『もうひとつのポケットからでた話』、エゴン・ホストヴスキー『スパイ』(文庫化時に『秘密諜報員 アルフォンスを捜せ』に改題)、ヨゼフ・シュクヴォレツキー『ノックス師に捧げる10の犯罪』、パヴェル・ヘイツマン『鋼鉄の罠』、パヴェル・コホウト『プラハの深い夜』、児童書のヴァーツラフ・ジェザーチ『かじ屋横丁事件』などがある。また、ラジスラフ・フクス『火葬人』はポーランドの評論家が選出したミステリーのオールタイムベスト100の1冊に選ばれており、ミステリーの一種と見られているようである。

◆ウクライナ

 現在大変な政変の渦中にあるウクライナだが、そんなウクライナを日本推理作家協会の代表団が訪れ、現地の推理作家・SF作家たちと交流したことがあるということを知っている人はあまりいないかもしれない。

 ソ連崩壊があと数年後にまで迫っていた1987年、日本文芸家協会の訪ソ代表団の一員として三好徹氏がソ連を訪れた際、ソ連作家同盟に所属するスパイ小説作家のテオドル・グラトコフ(Теодор Гладков、1932-2012)から日本の推理作家と交流の場を持ちたいとの申し出があった。日本推理作家協会はこれを受け、ソ連に代表団を派遣することを決定。こうして1988年と1989年にソ連で日本側の代表団とソ連作家同盟推理・SF部会の作家たちが参加する日ソ推理作家会議が開催された。

 1989年7月の第2回会議の協会代表団メンバーは山村正夫、加納一朗、豊田有恒、田中光二、菊地秀行、井沢元彦、大沢在昌、新津きよみ各氏。一行は約10日間の日程でモスクワ、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)およびウクライナの首都キエフを訪れ、各地で現地の作家と意見の交換をした。ウクライナは当時はソ連を構成する一共和国であった。

 『日本推理作家協会会報』1989年9月号がこの第2回会議の特集号となっている。加納一朗氏のエッセイ「ウクライナの推理小説」はそのタイトルの通り、貴重なウクライナの推理小説事情を紹介している。

 ウクライナにおける推理小説のジャンルは、一九六〇年代になって現れた。そのころから人々の生活や思考様式が変り、従来のリアルでリリカルな文学から、ミステリーのようなダイナミックな文学が関心を惹くようになった。現在、約千人の作家を作家同盟は擁しているが、その十%が冒険小説、SF、それに推理小説を書くという。千人とはいっても、もちろん専業作家ばかりではない。

 推理小説のジャンルはせまく、現実の事件から取材するドキュメンタルな色彩の濃い小説が多くて、トリックをメインにするような本格ミステリーは存在しない。各都市の作家によればトリッキーな作品はもはや古いというが、これは推理小説の概念が根本的に西側とちがうのではないかと思われる。また、警察官の経歴を持つ”推理作家”が多いのだという点にはおどろかされた。

 会報にはウクライナの作家たちと撮った写真も載っているが、このときのウクライナ側の参加者で名前が明記されているのはSF作家のアレクサンドル・テスレンコ(Олександр Тесленко、1948-1990)しかいない。

 ウクライナのミステリー小説の邦訳にはアンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』がある。滝本誠氏が2009年に選んだミステリーのオールタイム・ベストで第1位に挙げた作品である(webマガジン e-days 滝本誠「ミステリが読みたい!2010年版」オールタイム・ベスト、マイ・リスト公開)。クルコフはウクライナのロシア語作家で、『ペンギンの憂鬱』は1996年の作品。日本では新潮クレスト・ブックスで刊行されたが、アメリカではミステリ叢書に収録されている。法月綸太郎氏によるレビューは評論集『盤面の敵はどこへ行ったか』で読める。

 ウクライナでは最近、アンドリィ・ココチュハ(Андрій Кокотюха、1970- )という作家が黄金のピストル賞(Золотий Пiстоль)というミステリー賞を創設したようだが、詳しいことは分からない。

◆ブルガリア

 ブルガリアでは国際推理作家協会ブルガリア支部が短編ミステリーのコンテストを実施したりしていたが、1年ほど前に見たら公式サイトが消滅していた。その後の活動実態はよく分からない。

 ブルガリアのミステリーは、1985年に創元推理文庫でアンドレイ・グリャシキの『007は三度死ぬ』が出ている。その訳者あとがきで深見弾氏はブルガリアのミステリー事情を以下のように紹介している。

ブルガリアは社会主義圏の中で、推理・スパイ小説の分野では最も良質な作品を供給している国で、さしずめ東欧のイギリスとでも言おうか、東欧では高く評価されている。この分野の理論家として知られ、人気作家の一人であるボゴミーロフ・ライノフは、作家同盟の副会長の地位にある。共産圏でもこの分野は、一般に二流文学として低く見られていることから考えても、推理作家がその地位にあるのは異例なことであるし、この国では推理・スパイ小説が文学として正当な市民権をえている証であるともいえる。

 言及されている「ボゴミーロフ・ライノフ」というのは、ボゴミール・ライノフ(Богомил Райнов、1919-2007)のことだろう。現在も邦訳はされてない。

◆ギリシャ

 ギリシャでは2010年にギリシャ推理作家協会(Ελληνική Λέσχη Συγγραφέων Αστυνομικής Λογοτεχνίας)が設立されていて、出版社との共催で短編ミステリーのコンテストを実施したりしている。

・ギリシャ推理作家協会公式サイト

http://crimefictionclubgr.wordpress.com/

 創元推理文庫ではギリシャのアンドニス・サマラキス『きず』が刊行されている。もとは筑摩書房の世界ロマン文庫の1冊として刊行されたもの。1970年のフランス推理小説大賞受賞作である。あるいはここに、ソポクレスの『オイディプス王』を並べてもいいかもしれない。紀元前の作品だが、この作品はミステリーの源流と見られることもあり、フランスのミステリー叢書《セリ・ノワール》に収録されていたりもする。

松川 良宏(まつかわ よしひろ)

20130322132816_m.gif

 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。

 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/

 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas

【毎月更新】非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると バックナンバー