※編集部注:12月8日に酒井貞道さんから寄稿いただいた「問題提起・ミレニアム三部作は本当に傑作なのか?」について、各論者に反論あるいは擁護の打診を致しましたが、執筆のお約束はいただけませんでした。今回の小山正さんご寄稿が、酒井論に対する最初の反応です。どうぞ、ご覧ください。

 酒井貞道さんの『ミレニアム』批判に反論を書いて欲しいと打診を受けた。さて、困った。「そういう読み方もあるのだなあ」くらいに思っていたし、酒井さんの意見にどうこういうつもりはなかったので、「反論」など考えていなかったのだ。そもそも読書の感想なるものは百人いれば百通りである。賛否両論、いろいろあったほうがおもしろい。

 だが、ここへきて突然の依頼である。反論がなくて寂しいのだという。そりゃ、そうだろうなあ。あんな風に挑発的——というか、力まれて自説を展開されたら、書きたい人だって書けなくなる、というか書きたくなくなる。遊戯精神あふれるミステリに関する意見交換なのだから、コーヒー片手に和気藹々と語るのがふさわしい。しかし、どうしてあんなに戦闘モードなのかしら?(言葉の使い方も「適当に全部ぶち込んだだけ」とか、「無駄が多い」「薄っぺらい」「嘘臭い」「雑多」といった強いフレーズが目立つのも萎える一因だった。言い方に角が立つという人もいて不思議ではない。ちなみに私はそうだった)。はっきりと申し上げるが、誰かと議論をしたいならば、言い出しっぺは謙虚に意見を提示すべきだろう。喧嘩にもやり方があるのだ。

 が、しかし、と思う。文章の中に私の名前も出ていることだし(ご指名恐縮に存じます)、アポナシの訪問であっても礼儀として最低限の対応はしないと申し訳ない。それに、私だって売文書きの端くれだ。助けて欲しいという依頼があれば「お声をかけて戴き毎度ありがとうございます」という気持ちが込み上げてくる。しかも反論者が誰もいないならば、なおさら「そうですか、それは寂しいですね。では僭越ながら不遜私目が引き受けましょう」という気にもなる(少しだけ)。というわけで、ちょっとだけ想うところを書きます。

(つづく)