節穴ですか? みなさんの目は節穴なんですか?
翻訳ミステリー大賞第一次選考作品を見た瞬間、わたしは思わず呟いていました。申し訳ありません、選考に残った作品を否定するつもりなんか毛の先ほどもありません。どれも素晴らしいミステリーです。『古書の来歴』は、古書に秘められた謎をひとつひとつ物語として明らかにしていく手法が見事でしたし、『音もなく少女』では、思わず腕まくりして三人の女性を応援しました。『卵をめぐる祖父の戦争』の手に汗握る展開と最後のシーンには感じ入りました。コーリャはかなり好きなタイプです。
しかしですよ、なぜ『ラスト・チャイルド』がない? みなさん、お忘れですか、あの素晴らしくも胸痛む結末を。妹を案じ、父母を慕う少年の気持ちを? 「ラスト・チャイルド」の本当の意味が明かされたときに襲ってくる悲しみを。土地にまつわる人の思いの強さを。ジョン・ハートの圧倒的な筆力を。
もっとも『ラスト・チャイルド』の素晴らしさは、そうした思いを超えたところにあるんですね。失踪事件にかかわる人々の苦しみ、失われた時間への哀惜、真実を知りたいという欲求などに牽引されて、この物語は前へ前へと進んでいきます。行方不明になった妹を捜し続ける少年ジョニーと、事件を追うひとりの刑事によって解かれていくのは、いくつもの家族の歴史であり、土地の歴史であり、アメリカという国の姿でした。
この作品を読みながら、わたしは村上春樹の『海辺のカフカ』を思い出しました。少年が主人公であったり、心に棲む「カラス」や無垢な魂を持った「中田さん」を彷彿とさせるものがあったりするからというだけではもちろんありません。目に見える表の世界の下には、いくつもの見えない物語があり、人が本当に生きているのはその裏の物語であったりするわけです。そうした、人がはまりこんでしまった裏側の世界を、この作品は丹念にあぶり出していきます。それによっていくつもの伏線がひとつにまとまるときの解放感たるや、実に清々しいものでした。
『ラスト・チャイルド』をお読みになれば、冒頭のわたしの嘆きに賛同される方も多いのでは、と思うのですが。あ、そうか。きっと、この作品を読んだ方が少なかったんですね。そうか、そうか。でしたら、すぐにお読みください。
節穴がつぶらな瞳になること請け合いです。
古屋美登里(ふるや みどり)1956年生まれ。早稲田大学教育学部卒。翻訳家、書評家、倉橋由美子作品復刊推進委員会会長(自称)。主な訳書にダニエル・タメット『ぼくには数字が風景に見える』(講談社)、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(早川epi文庫)、クレア・メスード『ニューヨーク・チルドレン』、アイラ・モーリー『日曜日の空は』(以上早川書房)など。二月にダニエル・タメット『天才が語る——サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界』(講談社)と、レナ・ゲリッセン他『レナの約束』(中公文庫)が出版される予定。