去年はこれでしたねえ。これがあったので、初めて『週刊文春』のベストテンにも投票しちまいました。

『ファージングI〜III』は、それぞれを単独作品と数えなければ大賞候補になっていたことでしょう。正統派フーダニット風の『英雄たちの朝』で幕を開け、『暗殺のハムレット』で緊迫感あふれるサスペンスに突入し、『バッキンガムの光芒』で感動のフィナーレを迎える——そして三作を一つにまとめあげているのが、ナチス・ドイツが勝利し、早期に講和を結んだ英国をファシズム政権が支配しているという歴史改変された舞台と、共通する主人公である刑事カーマイケルの勇気ある闘いです。『英雄たちの朝』の途中でちょっとタルいな、と思った方がいたとしても、ぜったいに挫折しちゃダメ! 『バッキンガムの光芒』を読めば、最後までつきあって本当によかった、と思うこと請け合いですから。

 もう一つ、この小説の魅力をつけくわえるとすれば、ジェイン・オースティン風の英国風俗小説の面白さを存分に取り入れている点でしょう。カーマイケルも、ナチスに知られれば致命的な影の部分を抱えたなかなかのヒーローですが、ユダヤ人と結婚したルーシー(I)、女優のヴァイオラ(II)、社交界デビューを控えたエルヴィラ(III)といったヒロインたちもまた、階級社会の中で自らの人生を選びとっていく魅力的な女たち。骨太の物語の中にも、女性作家らしい感性が生かされています。あれもこれも、いいものばかり詰まった福袋のような『ファージング』、ぜひお見逃しなく。

野口百合子(のぐち ゆりこ)1954年神奈川県生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。出版社勤務を経て翻訳家。主な訳書に、クルーガー『煉獄の丘』『二度死んだ少女』ボックス『神の獲物』『震える山』(以上、講談社文庫)テイラー『狡猾なる死神よ』『死者の館に』(創元推理文庫)オルソン『やさしい歌を歌ってあげる』(武田ランダムハウスジャパン)ウッディウィス『冬のバラ』(ソフトバンク文庫)ほか多数。

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