「初心者のための」ってあるけど「初心者」って何? と思わないでもないのですが、ここではとりあえず「本は読むけどイヴァノヴィッチなんて名前、聞いたことない」という人に、訳者としてイヴァノヴィッチ入門編を書いてみます。

 まずはジャネット・イヴァノヴィッチという作家について。

 原書裏表紙の写真ではアメリカ人の元気なおばちゃんといった感じで、10年以上同じ顔が載っています。最初はロマンス小説でデビューしましたが、12冊出したあとに、1994年に30歳バツイチの女バウンティ・ハンター、ステファニー・プラムという主人公をつくりだし、女性版ハードボイルド・ミステリとして『私が愛したリボルバー』 One for the Money を出版、大ヒットを生み出してステファニー・プラム。シリーズとなり、その後いやになるくらい堅実なペースで続々とシリーズをのばしています。奇想天外なキャラクターづくりと、アクション満載のうえにちゃんとミステリとしての芯も通っているシナリオに、キレのいい文章でのストーリーテリング、読者をぐいぐい引きこむリーダビリティとエンターテインメント小説の売れる条件をすべて備えて、出す作品はすべてアメリカでは出版と同時にベストセラー入りし、今や押しも押されもせぬ大作家です。

 さて、イヴァノヴィッチの代表作ステファニー・プラムシリーズですが、まずバウンティ・ハンターという日本ではあまりなじみのない職業が取り上げられています。バウンティ・ハンターとはアメリカ西部劇時代の賞金稼ぎに端を発する言葉ですが、現在では逮捕されたときに保釈保証会社から保釈金を借りて出所していながら、次の出廷日に出廷しない“お尋ね者”をつかまえる職業です。保釈金とは裁判の日まで娑場に出るための身代金のようなものとして裁判所に渡すものですが、実際にお金を出した保釈保証会社は被疑者が出廷日に出廷したときに裁判所からお金を返してもらいます。被疑者が出廷しないとお金がもどってきませんから、バウンティ・ハンターを雇ってつかまえさせるわけです。したがって、バウンティ・ハンターは法廷未出頭者という“お尋ね者”をつかまえると、警察署に連れていき、連行したという“領収書”をもらいます。それを保釈保証会社に持っていくと、保釈金の一割の報酬をもらえるのです。

 主人公のステファニーは失業してせっぱつまり、イタリア系移民の人脈から保釈保証会社を経営しているいとこのヴィニーを脅して、なんの知識も経験もないド素人の身でこの仕事に飛びこみます。その彼女につける教師役としてくっつけられたのが凄腕のベテラン・ハンターのレンジャーという男。もう一人、ステファニーの幼なじみの悪ガキのジョー・モレリがいつのまにかハンサムな刑事となり、公私ともに大きく関わってきます。

 基本的にド素人のステファニーがむちゃくちゃをやって、二人のベテラン男がいやおうなく巻きこまれていきながら、最初は思ってもみなかった大きな事件の枠組みを暴いていく、というのがこのシリーズのつくりとなっています。ステファニーとレンジャー、モレリの恋愛が巻を追うにつれリアルに三角関係になっていき、そのあたりも読者をやきもきさせているところです。

 これら主役級のキャラクターだけでなく、親や姉や祖母、親戚といった周囲のキャラクターもぶっ飛び感満載の魅力的な人物たちが目白おしです。彼らの生みの親であるイヴァノヴィッチは底の知れない創作源の泉を備えているとしか思えない意欲と勢いで、2002年にはディーゼルという超能力をもつ男が出てくるサイドストーリー『お騒がせなクリスマス』を出版し、こっちも順調にシリーズ化して、今では本編と同じボリュームの大作が出ています。さらにバウンティ・ハンターのプラムとはまったく別のシリーズ、『あたしはメトロガール』も出たかと思うとこっちもシリーズ化してます。さらには昔出したロマンス小説を下敷きに、ほかのロマンス作家と共作の形で書き直したり、新たな展開をはじめたりと、本当に八面六臂の勢いで本を出しまくってます。

 さて、アメリカでは上記のように大当たり作家の大御所となっていますが、悲しいことに日本では熱意あるファンはいくらか獲得できたものの、トマス・ハリスやコナリーやハンターのような大作家とは並ぶべくもなく(売れ行きがね)、いろんな大人の事情がからんだあげく(伝聞)現在版権が取れない(……というか版権交渉すらできない)という理由で日本での翻訳がストップしております。まあ、この【初心者のための作家入門講座】シリーズの古沢嘉通氏の『初心者のためのマイクル・コナリー入門その2』を見ていただければわかるとおり、あのコナリーでさえ憂き目に遭っているんですね。いわんやこちらなど……ということで、ステファニー・プラムシリーズは原書では本編 15作+ディーゼル・ストーリー4作が出ておりますが、邦訳は 12作目の『あたしの手元は10000ボルト』(2009年・集英社文庫)とディーゼル・ストーリー2作目『勝手に来やがれ』(2010年・集英社文庫)でストップしております。訳者はちがいますが(川副智子さん)、ソフトバンク文庫のメトロガールシリーズも2作目『モーターマウスにご用心』以降見かけていません。南無阿弥陀仏……

 ところでプラムシリーズの邦訳は最初扶桑社ミステリー文庫でスタートしましたが、9作目『九死に一生ハンター稼業』まで出たところで集英社文庫に移りました。出版社や編集者が変わるたびに表紙や邦題のつけかたにも変化が見られ、そのへんでも楽しめるかと思います。前置きが長くなりましたが、邦訳本の紹介はそのあたりも視野に入れて5冊挙げてみようと思います。


〔1〕『私が愛したリボルバー』 (1996年・扶桑社ミステリー)

〔2〕『あたしにしかできない職業』 (1997年・扶桑社ミステリー)

〔3〕『わしの息子はろくでなし』 (2002年・扶桑社ミステリー)

〔4〕『カスに向かって撃て!』 (2008年・集英社)

〔5〕『勝手に来やがれ』 (2010年・集英社)


〔1〕は記念すべきデビュー作ですが、扶桑社の編集者M氏が軽い気持ちでおもしろそうじゃん、出してみっかと考えたもの。折りしも1995年の夏、阪神淡路大震災で被災した神戸市在住の訳者が姫路市の仮設住宅で暮らしているときにもらった仕事で、訳者としても感慨深い作品です。いろいろと気分が暗くなりがちな仮設暮らしでしたが、本当にこの作品がおもしろくて、訳すことで元気をもらいました。東北大震災後の現在ふりかえると、さらに感慨深いものがありますが、初版の表紙は最初ハードボイルドを押し出した写真系のものでした。のちに、2巻目以降の表紙に合わせて灘本唯人画伯の絵に変わっています。

 思いのほか〔1〕の評判がよかったために出た〔2〕は、ちょっと並みじゃないという雰囲気を出そうとしたのか表紙が変わりました。内容も主人公ステファニーの祖母であるメイザおばあちゃんがその特異なキャラクターを全開にして大活躍するというもので、わたしとしても大好きな巻です。表紙はこのあとずっと灘本画伯の絵となりますが、巻を重ねてくるとあまり区別がつかないなどという評判も聞こえてくるようになります。

〔3〕で編集者がH嬢に変わりました。このシリーズは原題が One for the Money からはじまって、TwoThree……と数字あわせで続いているのが特徴のひとつですが、6作目のこの巻を機に邦題も数字の語呂あわせをしてみるという編集者のこだわりがはじまりました。ちなみに、このシリーズの邦題はすべて編集者が考えたもので、訳者はいっさい関わっていません。というか、最初の3作ほどでは、訳者が考えた邦題案はすべて却下されました。これ以降の邦題『快傑ムーンはご機嫌ななめ』『やっつけ仕事で八方ふさがり』『九死に一生ハンター稼業』の数字あわせは一部のコアなファンには好評でした。まあ、このころにはコアなファンの方々がかろうじて買い支えてくれた感があります。

〔4〕は集英社に移り、表紙が一変してちょうどこのころ流行りだしたカワイイ系が押し出された感じになりました。ちなみに編集者はDさんという女性で、本当に愛情と熱意をもって本をつくってくださいました。扶桑社文庫のと同じシリーズとはとても思えませんね。これで新しい読者が開拓できたのか、単に出版社が大手になったからなのか、初版部数は不況に陥った時期にしてはりっぱなものでした。(遠い目)

〔5〕は集英社で出たディーゼル・ストーリーの2作目。まあどうでもいいんですがやっぱり表紙はカワイイ。これを最後に邦訳はストップしております。

 以上、無力な訳者として言いたいことを言わせてもらいました。この先どういうことになるかは神のみぞ知る、です。そして日本にはたぶんこの言葉の元になっている神はいません。この時代にこの国の行く末を案じると共に、出版界の未来も憂いの元しか見えない状態ですが、年老いた訳者はいつか何かいいことがあるかもしれないと思いつつ生きていくのみです。このシリーズと共に過ごせた15年間は幸せだったという思い出と共にね(笑)。

 誰か続きを訳させて!!(叫)

細美 遙子(ほそみ ようこ)ミステリ、ホラー、ファンタジー、SF、小説なら何でもやります。既訳書『マイアミ弁護士』ルバイン、『雷鳴の館』クーンツ、『魔法の誓約』ラッキー等。最近幹遥子名義でハヤカワSF文庫でアン・アギアレイの『グリムスペース』というスペースオペラを出しました。こちらもよろしく

●AmazonJPでジャネット・イヴァノヴィッチの本をさがす●

●AmazonJPで細美遙子さんの訳書をさがす●

●AmazonJPで幹遙子さんの訳書をさがす●

初心者のための作家入門講座・バックナンバー一覧