20110910144630.jpg 田口俊樹

 ファイトいっぱ〜つ、ホーホケキョ!

 夕刻、部活帰りと思しい女子中学生の一団が拙宅のまえの通りを自転車で走り去っていったときのことです。ひとりが「ファイトいっぱ〜つ!」と唱え、そのあと数人が「ホーホケキョ!」と唱和し、みんなで屈託のない若い笑い声をあげてました。私も思わず、笑っちまいました。だって、ファイトいっぱ〜つ、ホーホケキョ、ですよ。シュールですねえ。もしかして若い人のあいだで流行ってるんでしょうか。

 でも、ファイト一発とホーホケキョ。こういうのも俳句でいうところの“取り合わせ”ってやつですかね。ちがってるかもしれませんけど。

 そう言えば、その昔、わびさび命の俳句を逆手に取ったギャグがありました。下の句になんでもかんでも「それにつけても金の欲しさよ」ってつけちゃうの。

 「古池や 蛙飛び込む、水の音 それにつけても金の欲しさよ」って具合に。これでわびさび命が一気に俗に沈みます。古池も蛙もいいけどさあ、やっぱ金、欲しいよなあって。これまた絶妙の取り合わせという気がするけど、不真面目なのは取り合わせとは言わないんでしょうか?

 でもって、原著者と翻訳者。これも取り合わせが肝心ですよね。この翻訳はこの著者とこの訳者の取り合わせの妙から生まれた、なんてね。人にそう言ってもらえる翻訳をめざしたいものです。

 今年もまたそんな翻訳ミステリーが大賞に選ばれるよう、予選委員として微力を尽くします。第一次投票に投票してくださったみなさん、ありがとうございました。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)

  20111003173346.jpg  横山啓明

エリック・クラプトンとスティーヴ・

ウィンウッドが来日した。

懐かしのブラインド・フェイス。

過去を懐かしむ、要するに

懐メロ大会かと妙な先入観をもって

しまって(仕事が立てこんで余裕もなかったし)

結局は行かなかった。

で、後悔。

演奏は過去を向いておらず、

今を生きているという空気が

みなぎっていたというではないか。

やはり、偏見とか先入観って

百害あって一利なしだ。

本を選ぶときもそういうことを

してしまっているんだろうな、おれ。

反省。

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

20110819080047.jpg 鈴木恵

 A・D・ミラー『すべては雪に消える』はロシア、カミラ・レックバリ『悪童』はスウェーデンが舞台ですが、どちらも登場人物が家に入ると日本人みたいに靴を脱ぐんですよね。へええ、です。いままでまったく知りませんでした。こういう習慣て、アジアだけじゃなくてロシアや北欧でも一般的なんでしょうか。

 かと思うと、小説でも映画でも(たぶん現実でも)、欧米のドアはかならず内開きですよね。だからあっさりと悪者に蹴破られたり、警察に「破壊槌」なるもので叩き破られたりする。日本みたいに外開きにすればそう簡単にはいかないと思うんですが、なぜなんでしょう。不思議でなりません。以上、翻訳ミステリーに見る東西文化の考察でした。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:『生、なお恐るべし』『ピザマンの事件簿2/犯人捜しはつらいよ』『ロンドン・ブールヴァード』。最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

  20111003173742.jpg  白石朗

 小鷹信光氏の近著『アメリカ・ハードボイルド紀行—マイ・ロスト・ハイウェイ—』の「第IV部 失われたハイウェイ」を読み進め、小鷹氏がアメリカのメイン州の「謎の道路標識」を求めて車で旅をした紀行文にさしかかって、思わず「わっ」と声をあげてしまいました。

 くだんの道路標識とは、ノルウェー、パリ、デンマーク、ナポリ、チャイナなど9つの国名や都市名と、そこへの距離が書かれているもの(古い絵葉書のカラー写真が口絵に掲載されています)。決してジョーク標識ではなく、メイン州にはその名前をもった町が実際にあるのです。小鷹氏は、代替りしつつ現在もあるこの道路標識(写真はここここ参照)と対面。ナポリ経由でデンマークからポーランドに旅をしたり、サウス・パリでは貴重な絵葉書を買われたりしている……。

「わっ」と声をあげたのはノルウェーもサウス・パリもスティーヴン・キングの作品でよく目にする地名だからで、キャッスルロックやチェスターズミルからもそれほど離れていないはずです。一枚の古い絵葉書をきっかけにメイン州のいくつもの小さな町をみずからの運転でめぐった小鷹氏の紀行文は、その土地の過去と現在の雰囲気を伝えてくれます。ですから本書は、題名にもあるハードボイルドの愛好者にはもちろん、キング作品の愛読者にとっても必読だと思います。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、いまなおワープロソフト「松」でキング、グリシャム、デミル等の作品を翻訳。最新訳書はデミル『ゲートハウス』、キング『アンダー・ザ・ドーム』。ツイッターアカウント@R_SRIS

20111003174217.jpg 越前敏弥

 なんとしても成功させたかった読書探偵名古屋読書会というふたつのイベントが無事終わり、この仕事をはじめて以来最も締め切りがきつかったスティーヴ・ハミルトン『解錠師』もまもなく刊行というところまで漕ぎつけて、少々脱力気味になっている。こんなときこそのんびり五感を解放できそうな映画をポレポレ東中野あたりで満喫したいんだが、この1週間で観たのは〈サウダーヂ〉〈恋の罪〉という重量級の2本。いまの自分は、死を扱っていない映画にはまったく興味を持てないけれど、〈サウダーヂ〉は例外——と思ったら、これはつまり町の死を描いてるんだな。だから強烈に惹かれるんだ。〈恋の罪〉の重みは自分にとっては〈監督失格〉とほぼ同等。これだけ魅せてくれたんだから、ええ、ええ、「おれのを返せ」なんて言いませんとも(すみません、しつこくて)。

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくり[冗談、冗談]。ツイッターアカウント@t_echizen

20111003174437.jpg 加賀山卓朗

 会社員時代に出張や観光で何度も韓国を訪れ、カラオケに行くと毎度冬ソナの挿入歌を歌ってしまう私。パチンコの大当たりを思い出す、と喜んでくださるかたもいるが(うちの田口師匠です)、さすがにもう冬ソナは古いか。

 韓国はだんぜん都会より田舎がすばらしい。だから、申京淑『母をお願い』の田舎のオンマ(母さん)に、ただごとではなく感情移入してしまった。ソウル駅でオンマが行方不明になり、懸命に探す夫や子供の胸に思い出が次々と去来する。とりわけ夫の視点の第三章にはやられた。第四章の家の描写にも。人間関係がダイレクトで濃いあの国ならではの傑作だと思います。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

20111003174611.jpg 上條ひろみ

 最近読んだ本で印象的だったのは、スコットランド北東部のシェトランド諸島が舞台のミステリー。アン・クリーヴス〈シェトランド四重奏〉シリーズと、S・J・ボルトン『三つの秘文字』です。

 シェトランドの四季を描く〈シェトランド四重奏〉はこれまで三作が邦訳されていますが、これまで読む機会がなくて、今年になって『大鴉の啼く冬』『白夜に惑う夏』『野兎を悼む春』をまとめて読んだので、計四作。どれもシェトランドのきびしい自然や特異な地域性を生かした物語であることはもちろん、ミステリーとしての水準の高さに驚かされました。

〈シェトランド四重奏〉は、どこか人間臭いキャラクターも実に魅力的で、特に心やさしいペレス刑事がいい。出来の悪い部下にも決して短気を起こさず気長に成長を待ち、恋愛も自分からぐいぐい行くタイプではないので、最初はちょっといらいらする人もいるかもしれないけど、じっくり腰を据えて人びとの心のなかに分け入っていく捜査スタイルは、むしろ閉鎖的なシェトランドという場所に合っているみたい。四作目が愉しみです。

『三つの秘文字』のほうは、デビュー作とは思えない完成度。裏庭に穴を掘ったら惨殺死体が出てきたという、ありがちなオープニングから、予想もできない物語が展開されていく。この土地ならではの怖さや、数々の秘密が明らかになっていく過程は驚きの連続で、一気読み必至です。

 英国最果ての地は、ミステリーの土壌としてまだまだ耕しがいがあるかも。あまりなじみのない遠い地に思いを馳せるのも、翻訳ミステリーの愉しみのひとつですね。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)

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