前回がルパンを漫画化した『アバンチュリエ』だったので、今回はアーサー・C・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズを取り上げたいと思います。

「週刊少年マガジン」(講談社)で47号から、ホームズが犬に転生したという設定の『探偵犬シャードック』(原作:安童夕馬、漫画:佐藤友生)の連載が開始されたので、そちらにしようかと思いましたが、まだ本になっていないのでコミックスが出ている『シャーロッキアン!』にしました。なお、Sherlockianは「シャーロキアン」と表記されることが多いのですが、ここでは本書の表記に従っています。

 エル文化大学の3年生・原田愛里は、試験の答案に問題と全く関係のない自らのホームズ体験を書きます。担当の車路久教授が、最近妻を亡くしたと知り、教授を励まそうと考えたからです。そうした思い切った行動を愛里が取ったのは、ある「癖」から教授も自分と同じホームズの愛読者だと推理したからでした。その推理は前提が間違っていたのですが(指摘が外れた場面の見せ方が、実にうまい)、結論は正解で、これが契機となって二人の交流が始まります。ただし、愛里はごく普通のファンなのですが、教授はシャーロッキアンとも言うべき重度のホームズ愛好者でした。

 シャーロッキアンとは「『シャーロック・ホームズ』物語を実際に起こった事実だとして、作中のさまざまな謎や矛盾に合理的な解釈を与えることに喜びを感じる熱狂的ファン」(単行本1巻の裏表紙より)のことです。ホームズ譚には謎・矛盾がたくさんあります——「『最後の事件』から『空家の冒険』の間の“大空白時代”には何があったのか?」「ワトスン博士が負傷したのは肩か足か?」等など。そうしたホームズ物語の謎の検討を通じて、登場人物の周囲の問題が解決されていく——これが本書の基本的な構成です。例えば、こんな具合に……。

 愛里のバイト先の書店に、老婦人が『シャーロック・ホームズの冒険』を手に訪れます。作中に誤植があるというのです。「唇のねじれた男」の冒頭部分、夫人がワトスン博士に「ジェイムズ」と呼びかける場面があります。ワトスンのフルネームは、ジョン・H・ワトスンなので「ジェイムズ」は誤植ではないか、との指摘です。しかし、他の版元の本を調べても同じで、出版社に問い合わせても、原文がそうだとの回答。店長は、浮気相手の名前じゃないかと軽く答えますが、それが意外な影響を及ぼします。 

 老婦人は末期ガンで闘病中の夫のため、夫の好きなホームズ物語を読み聞かせていたのですが、店長の話を伝えると、悲しそうな顔になり興味を示さなくなってしまったというのです。夫は、ワトスン夫妻に理想の夫婦像を抱いており、それだけに「浮気相手の名前」という説は受け入れがたかったのでしょう。思い悩んだ愛里が、車教授に相談したところ、教授はその疑問を解明する説を彼女に伝え、それを聞いた夫婦は心の平安を得ます。卓抜した知見が、個人的な問題を解決するという『美味しんぼ』以来、脈々と受け継がれているタイプの作品なのです。

 愛里は、当初教授をはじめとする、シャーロッキアンを「重箱の隅をつっつくようなつまんない細かい事を……ゴチャゴチャ言ってる人たち」と思っていました。それは、ひょっとしたら、読者の方々が一般的に抱いているイメージかもしれません。しかし、その後「ホームズ物語の中から……人が生きる上で大切なメッセージを読み取って……教えてくれる」人だと見方を変えていきます。

 読者もきっと、本書を通じて、そうした思いを共有することだと思います。

『シャーロッキアン!』は、現在掲載誌の「漫画アクション」(双葉社)では、第3シーズンに突入しています。そろそろ第2巻が刊行されるかと思うと、非常に楽しみです。

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